【ここに来るまで】 英文学専攻の僕が、英国留学を経て高校の英語教師になるまで
大学は外国語学部英語学科
国文学には関心はあったけど、国文学だと将来の仕事は国語教員のイメージ。教員には関心なし。英語、海外、通訳、旅行に漠然とした関心を持っていて、使える英語を身につけたいと思った。その方面だと当時は英文学科か英語学科。英文学には関心がなかったので英語学科を選んだ。
在学中は英語の勉強も特にしないまま、3年生になった時にゼミを選ぶ必要があり、なんとなく英国の作家のD.H.ロレンス(日本では『チャタレイ夫人の恋人』が有名)のゼミに入ってしまった。英文学には関心がないから英語学科だったのだけど、結局20世紀の英文学を専門的に学ぶことになった。
明確な職業の希望もなかったため、大学3年時に英国のエセックス大学大学の交換留学(約1年)に応募。イングランド出身のロレンスの研究をするためという理由を挙げて、試験と面接を経て運よく合格。
4年生の夏から英国のコルチェスターのエッセクス大学へ
留学後は大学院に進んでロレンスの研究者になろうかと思い始め、留学中はひたすら本を読み、参考文献を読み、課題のエッセイをこなす。ところが、半年取り組んでみて、僕の英語力や知識だと幼稚園児が夏目漱石を研究するような感じで、とても歯が立たないことを痛感。
留学後半には大学院に進む気持ちは消え失せ、就職をどうしようか考えたら、帰国すると大学5年目の6月なので、就職活動にはひとまわり乗り遅れていることにようやく気がついた。
教職と教員採用試験
友達が教職課程を履修していたのでたまたま僕も履修していて、留学前に教育実習もしていた。叔父が高校の英語の教員だったので、仕事として親近感もあり、とりあえず教員採用試験の申し込みを親にしてもらった。(家庭教師などの経験から教えることが好きなのはなんとなく自覚していた)
帰国して時差ぼけの状態で1ヶ月ぐらい教員採用試験の勉強をして、7月に受験。幸運なことに合格し、自分の教育理念や信念を明確に持たないまま、翌年の4月から公立高校の英語教員となった。
当時を振り返ると、教師としての自覚があまりにも薄かった自分に赤面。
🌈 生徒の皆さんに感謝
その当時の生徒のみなさんに教員として成長させてもらいました。心から感謝です。そして、未熟な僕をあたたかく見守ってくれていた同僚の先生方に今さらながら感謝です。
こんな経緯で高校教員になった僕が、ニュージーランドの大学教員となり、ニュージーランドの大学教員のトップ10の一人に選ばれるとは、人生とは何が起こるかわからないものです。あの時には微塵も想像することはできない展開となりました。
振り返って感じることは、今この瞬間が未来につながっていること。
というか、未来が今この瞬間につながっているということ。
教員になりたての当時の自分に伝えたいこと
❤️ いま目の前にいる人が一番大切な人だよ。
❤️ そして、いま目の前にあるモノ、起きているコトも一番大切に。
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