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四六時中の刹那

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犬みたいなあの子に噛みついたのは、衝動的欲求からだった。痛いですよ―ははは、と笑うあの子を掴み、連れ去りたかった。真面目に怖くなったので、遊びの延長線上みたいに今度はあの子をくすぐった。そして逃げるつもりだった。それなのにあの子は、力強く私を抱きしめてきた。不意を突かれた私は、その力に驚き、その繊細な美術品のような華奢な胸に落ち込んだ。暖かかった。

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滲み出ている不幸とか、特急でやってくるいじらしさとか、危なっかしい笑顔とか、そういうのをかわいいんだと思った。女の子は柔らかい。私が男の子だったらよかったのに。

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キラキラ輝くすべてに向ける羨望のまなざし。わたしそれと、あれと、それからこれも欲しい。パパに叱られるから、盗みをおぼえた。男の子だからって言われるのは、疲れたなあ。わたし、ただキラキラが好きなだけなのに。盗んだ小さなプラスチックの夢たちは、今日もお別れのキスと共に河川敷からキラキラ輝く川面に投げた。バカみたいな、白昼夢。わたしにはあの子たちを愛せる自信があるのに、捨てなくちゃいけない。わたしを守るために。痛いなあ、と思った。

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忘れてきたのか、諦めてきたのか、解りません。それが世間一般的でないことは承知でした。だから自分にまで嘘をついて来たんだと思います。もう一度、やり直せるなら、やり直すのでしょうか?わかりません。それはもう、純粋な気持ちであの人を愛していましたから。でも年月が経ちそれ程世間の目も気にならなくなってきましたから、もしかして、という淡い期待なんかもあるような気がします。だけど、こわいんです。私あの頃のように若くないし、今でも燃え続けているこの思いは一種夢のようで、ただの大切な思い出、なのかもしれないと。あの人を愛すのは、あの頃の私でなくちゃダメなのかもしれませんね。

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異常なのかもしれない。昨日は大体女みたいだったし、ずっと塞ぎ込んでることもあれば、男として男から愛されたいなんて思う日もある。乳房を羨ましいなんて思わないし、男性器は無くてもかまわないかもしれない。暴力的になる日もあれば、すごく母親的になる日もある。自分の性別がわからないし、自分という人間の性質もあいまいで、あべこべだから、人とちゃんとした関係が築けない。死んだ方がいいのかもしれない。

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明日死のうと思っていたんだけど、まだ生きていようと思った。声も顔も性別も知らない誰かの文章が、私をここに引きとめたから。死にたいは、生きたいと同じ。この世の中は、まだ捨てたもんじゃない。

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結局、いつも妥協しています。ほんとう、すべてを捨てて逃げだすなんて、普通の人間にはできませんしね。所詮私も普通なんですよね。あの頃は色々できる気がしたし、大物になると自信を持っていたので、笑えますよね。あ、これおいしいんですよ。もう体重ばかり増えちゃって、困りますよね。あの頃、あの頃って、呪いみたい。唱えてると、お化けになりそう。え?もうバケモノだって?失礼ですよ、地味に。

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ちらりと覗いた胸のふくらみに、ちょっとほっとした。除け者同士の友情は嫉妬の塊だと思っていた。でも友情なんかより先に芽生えたのは恋心だったのか、憧れだったのか。同化したいと思った。あなたになりたい、あなたを纏う空気になりたいと思った。おかしいから距離を取った。怖くて怖くて距離を保った。あなたがこんな私を愛すとか考えなかったし、もう忘れてしまったのだと思っていた。10年ぶりのあなたは、もうあなたではないし、大人の考えをするあなただから、こわい。ずっと成長できなかったのは私で、弱虫だから、何もできないし馬鹿みたいで、惨めすぎる。あなたに羨ましがられる筋合いなんてないのに、それが私をずたずたにする。ねえ、こんなの本当はいらなかったの。あなたといられるのなら、そっちを選んでた。でももうそっちには行けないし、あなたにもいい人がいて、それが残酷で、自分勝手なこの感情に躊躇する。ああ、私は自分にさえも嘘をつき通して、バカみたい。傷付けるのは怖いけれど、自分が傷付くのはもっと怖い。

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助けて、助けてよ。もう嫌だ。誰も聞かない、聞こえない。わたしをこわさないで。
死にたい。

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あの日父さんを呼びとめた女は、勝ち誇ったような眼をしてた。その勝利を蔑ろにした父さんは、惨めな女の子を製造するのに長けている。わたしも、あの子もきっとずっとどんな子よりも惨めだったに違いない。今なら、あの子とお話しできるかなあ?

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死にたいっていう。やめてっていう。その繰り返しが出来るのは、まだ幸せなんだろう。できなくなった時に後悔と、自責の念に襲われるのは分かり切っているから。でも振り回されるのに疲れてしまったし、かといって彼女の死の衝動を抑え込むのは到底無理で、じゃあ僕が死ねばいいのかな、ってなるよね。

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脱衣所で恥ずかしさのあまり、濡れた背中も拭き切らないうちに私が服を着るので、先生が優しく拭いてくれたこと。隣に越してきた品のいいおばさんが、私の作品をほめてくれたこと。女の子が欲しかった母の知り合いに週末髪を洗ってもらった事。子供のできない奥さんに、かわいがってもらったこと。私はそんなふうに優しい年上の女の人に惹かれて行ったのです。それはたぶん、あまりにもヒステリックで鬼のような母が私を虐げていたからでしょう。でも今ならはっきりとわかる事があります。もしその夢のような時間を提供してくれたあの人たちが本当の母なら、きっとその人達にも心の闇があって、私を母のように虐げたのかもしれません。

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秘密の基地でぬすんだスモモをかじった。内緒ね、って言ったのにちえちゃんはすぐばらしちゃったから、私は寒い外に追い出されました。泣いてもドアを開けてくれないので、仕方なくて、秘密基地に戻ってまたスモモをぬすみました。そのスモモはまだ青くてかたくて、すっぱくて、とても悲しくなりました。家に帰ったら、そのスモモをちえちゃんに投げつけてやろうと思いました。

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恋したり、彼氏がいたり、まわりの女の子達って平和だなって思う。キャーキャー言ったり、なんか羨ましい。この世で不幸な子を演じてみても何も変わらないしむしろ惨めだって事は分かり切っているけど、私だってたまには挫けそうになる。高校出させてあげるんだからって、店の手伝いするのはいいとして、最低なのはその後じゃん。もっと金が要るから、お客さんと行ってきなさい、ホテル。って、何考えてるんだって。死にそう。

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枕にあなたのシャンプーのかおりが残っていたので、幸せな気分になりました。
ひとつだけ残してくれたさくらんぼ、パンケーキの上にのせていただきました。
遺書が無かったので本当の事は分かりませんが、お元気ですか?
私はちょっと元気になりました。
もう少ししたら会いに行くので、それまで私のこと忘れないでね。

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ねえ、何でぬれたスプーンを乾いたインスタントコーヒーのジャーに突っ込むの?

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いなくなった男の子の事をずっと考えていました。死にたい人が死にたい人と結ばれなかったことは、運命のいたずらですか?あなたの奥さんは元気ですか?冷たい線路の上で、私は出来損ないの死体になって目覚めます。

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あした晴れたら、傘を買おう。

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