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「池袋暴走事故ご遺族、松永拓也さん」に思いを馳せた日。

本日の記事は、文字数が過去最多の記事となりました。

お時間ございましたらお願いいたします。



きのう私が書いた記事を読んでいた。



私は昨日、劇団四季の舞台「ライオンキング」の観劇に行ってきた。

その話を書いた記事だ。


その舞台の中での印象的だった長老猿のキャラクターの台詞で、このような台詞があったのですってことを書いた。


(以下が、昨日の記事の内容になります。)

「過去から逃げるのか、それとも学ぶのか。お前はどうする?シンバよ。今のお前は、本当のお前ではない。本当の自分を思い出せ。」

(おぼろげな記憶で書いているので、台詞の内容は、正確ではないかもしれませんのでご了承ください。)

シンバは、彼の父、ムファサが
(僕のことを助けようとして、崖から落ちて死んでしまった…僕のせいで……取り返しのつかないことをしてしまった…………)

そのことを、心に病みながら生きていた。

(でも真相は違った。
ムファサの弟、シンバの叔父であるスカーが、兄であるムファサを殺し自分が王となるために、ムファサを崖から突き落とした、これが真実だった。シンバのせいで、父が死んでしまったのではなかったのだ。)

過去に起こってしまった、受け入れられないような出来事を見て見ぬふりして、本当の自分と向き合わずに生きていたシンバ。

ほんの二年程前までの、私みたいだと思った。

自分の繊細さを受け入れることが出来ず、ストレス耐性が高くないことで自分を責めて、そんな自分が嫌いだった。好きにはなれなかった。

でもnoteを始めて、自分の本当の感情から目を背けることをやめた。

マナヒロ「劇団四季・ライオンキングに感動し、心震えた日」の記事より


「本当の自分」を認識し、その与えられた役割、使命に気が付き、みるみるうちに息を吹き返す、そんなシンバの姿に私は、自分を重ねた。



人は生きて行く上で、到底受け入れることができないような出来事、そしてどうすることもできないような事実に、遭遇してしまうことがある。


私の場合は、それが繊細な気質を持ち、この世に生を受けてしまったことだった。

でも、それを見てみぬふりをして生きていた頃の私は、いつも「これは本当の自分ではない」そんなような、言葉にはできないような感覚を抱き、違和感がいっぱいの状態で生きていた。

そんな中でnoteと出会い、本当の自分と向き合う日々を経て、繊細な自分を心の底から受け入れることが出来るようになった。

そしてこうして日々発信を続けている。

そうして私の昨日の記事に思いを馳せていたら、ふいにある事故のご遺族の方が、私の脳内にパッと浮かんだ。



池袋自動車暴走事故

この事故で亡くなられた松永真菜さんの夫、そして松永莉子ちゃんの父である、松永拓也さんだ。



東池袋自動車暴走死傷事故は、2019年平成31年)4月19日東京都豊島区東池袋四丁目で発生した交通事故

報道では池袋暴走事故と呼称される。

逮捕容疑者呼称などに関する誤解や、SNSにおける加害者やその家族、被害者遺族への誹謗中傷も問題となった。

また、この事件は高齢ドライバーの自己対策に対する社会の関心を高めるきっかけとなり、高齢者の運転免許証の自主返納が増加したとされる。

Wikipediaより



私は、この亡くなられた真菜さんをとても他人とは思えない思いで、事故が起きたそのときから、ニュースに注目した。


子の母であること、そして彼女のお父様やご自身のご家族を、とても大切に想って生きていた、というその姿勢。


そんな彼女の心意気に、共感していた。


私は最初その事故を知ったとき、ニュースに注目しながらも、まじまじと直視することが出来なかった。


共感力が人一倍強い私は、亡くなられた真菜さんや莉子ちゃん、そして真菜さんの夫である拓也さんや、ご遺族の方々の無念さ、絶望感、そして憎しみ。ありとあらゆる感情そのものが、私自身の中に入ってきてしまうような気がして。


でも最近また、この事故に関わる件が、話題になっていることをニュースで知った。




そして今回改めてこの事故について、ちゃんと知りたい、夫の松永拓也さんがどんな想いでこの事故後の数年間を戦い抜いてきたのか、そこを知りたい、と思った。


そして松永さんがツイッターで発信をされていることを知り、早速フォローさせていただき、つぶやきや松永さんのブログ、松永さんについて紹介された記事を読んでみた。

そしてこう感じた。


こうして世間の目にさらされながら戦い続けることは、きっと並大抵のことではないと思う。

世の中は、自分の味方になってくれる人ばかりではなく、敵もいる、これがこの世の常だ。


名前や顔を出して戦うことを続ければ、当然のことながら、心無い言葉をぶつけてくる人間も現れるだろう。


現にそんな流れでSNSで中傷を受け、そのことに対し松永さんは、裁判を起こした。

そして懲役1年、勾留29日、執行猶予5年の判決が、松永さんを中傷した23歳の男に下った。

その判決を受け、松永さんはブログにこう書かれている。


「交通事故も誹謗中傷も、大変苦しい思いをしました。

この思いは誰にもしてほしくない。
尊い人の命が奪われることになってほしくない。

だから、どちらの活動も続けたいと思います。
少しでもより良い社会になりますように。」

松永拓也さんのamebaブログより



松永さんは、

「妻と娘を「物」の様に言われたことが非常に辛かったです。
……………
発言、発信をする前に、画面の向こうに人間がいることは忘れないで欲しいです。」

松永さんのツイートより


このように心に抱いたご自身の感情と、正面から向き合う強さを持っている方なのだと思った。

心無い言葉を投げかけてくるような人物を相手にして戦うことは、ものすごいストレスを伴い、エネルギーを消費してしまうことだろう。



自分のためだけではなく、世の中が少しでも良くなって、自分と同じ想いをする人を少しでも減らしたい。

私は、そんな松永さんとは比べものにならないくらい温々と過ごしてしまっているけれど、私なりに、自身が持つ繊細さ、過敏さを真正面から見つめ、戦ってきたつもりでいる。


それはとっても孤独な作業だし、オンラインであり直接的ではないとはいえ、発信すればするほどに人々の目を自分自身に向けることになるから、私にとってそれは楽な作業ではなく、苦しい作業だ。

でも苦しくっても、本当の自分と向き合う時間を作り前を向かなければ、どこかで私と同じ気質を抱え、苦しんでいる方の「何か」に私自身がなることなんて、出来ない。

だから、前を向くしかない。



松永さんも、

「妻や娘の命を無駄にしたくない」

「今ここで自分が表に立ち、動かなければ、世の中から誹謗中傷で苦しむ人を、なくすことはきっと出来ない。」

その一心で、戦い抜く過程で、大切な人を失ってしまった悲しみや絶望を受け入れて前を向き、そして与えられた命を全うする、このことを胸に秘め、ひとり涙を流しながら一歩一歩、乗り越えて来られたのではないだろうか。



私はそう思って、そんな松永さんの強い想いに、心の底から共感し、尊敬の念を抱いたのだった。


………………。


またわかったようなことを言ってしまった。

亡くなられた方やそのご遺族の苦しみは、ご本人にしかわからないのに。 

でも私はそんな松永さんに、前を向きそのままの私で生きる勇気をいただいている。

これからも、密かに応援させていただきたいと思う。






長文にも関わらず、ここまで読んでくださってありがとうございました。また明日、おやすみなさい。

記事を読んでいただきありがとうございます☺️これからも真摯に文章を書くことを追求して行きます。よろしくお願いいたします!