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映画の感想語り合いたいけど語り合いたくない

映画『オッペンハイマー』を観てきました(ネタバレはないよ)。
誤解を恐れないでいうと、とても素晴らしい作品だと感じた。
泣くような話では全然ないのだけど、私はこの映画の壮絶さ美しさに圧倒され何回も涙した。
1日経った今でもウッ…と涙がにじむことすらあるくらいのハイカロリー&胃もたれ具合。完全に情緒不安定。

……映画や音楽、絵画など、何か素晴らしい作品を観たあと、このような想いを語り合えたり、なんらかの形で共有出来たらきっととんでもない幸福な気持ちになれるのだろう。それが理想。

でも、私は映画の感想を話すのがとても苦手だし嫌いだ。読書感想文なんて大嫌い。
だって、ないんだもん。感想なんて。

何も思わないって訳じゃなくて、感じたものが多ければ多いほど、言葉なぞで感想を述べるなんて野暮なことは出来なくなるのだ。
この感覚、分かってくれる人、いるかな。

お話に惹き込まれる、色々なことを感じる。自分の体験と重ね合わせてちょっとエモくなってみたり、こういうことかな?というようなことを同時に10くらい考えたり、この登場人物すきこいつは嫌いと思ったり、胸がキリキリしたり、ドキドキしたりざわざわしたり。
セリフやあからさまな描写では語られない、伏線にもなっていない、もしかしたら作り手も演じ手も全く意図していない細かい何かを勝手に受け取ったり、そんな中で自然と心が動く、涙が出る、それを受け止める、そこに感想なんかなくない?
むしろ無い方がよいとすら思うよ私は。

「ここのシーンがどうこう~」「あの俳優がさァ」「音がすごかった!」なんていう会話をするのはヤボなんですよマジで。
それは評論やあらすじ紹介であり、自分の心の体験を語ることではない。デートで映画観てこういう「感想」をめっちゃ喋ってくる相手だったら、なんか物凄くイライラするというかがっかりする。浅ッッ!みたいな(どこから目線やねん)。

作品を観て感じたものや想いは、言葉にすると途端に陳腐なものになってしまう。すでに自分で書いててウンザリする。
言葉は無力だ。

私たちは言葉を使う生き物なのに
いくら言葉を尽くしても伝わらない通じ合えないことばかりである。それでも分かり合いたい、想いを共有したい。
そう望まずには居られない。
そんな何かを表現し伝える方法が、世に死ぬほどあふれる芸術作品にあたるものたちなのだろう。

というわけで「映画の感想語り合いたいけど語り合いたくない」この感覚を頑張って解説し言語化してみました。

ほんとに、感覚というものをわざわざ解説するの、野暮すぎる。正直書くの恥ずかしい。

この感じ、わかる人が1人でもいたらいいなあ。
そしたらなんかちょっとだけ、恥を忍んで書いた甲斐があるというか、救われる気がします。

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