見出し画像

ポケモンの持つ端くれ的な魅力を、声を大にして言いたい。#29


私はポケモンの一部しか知らない。
ポケモンの名前なんてピカチュウ他あと何匹言えるかのレベル。


それでも1つ、ここは推したい!と強く語りたい魅力がある。
端くれすぎて、「そこ!?」と思うかもしれないけれど、好きなんです。



10年以上前に流行った任天堂DSで私は初めてポケモンと向き合った。
経験したのはダイヤモンドとブラック。
ゲームには確実に好きと言えるほどのめり込んだ。


言うまでもなく、ポケモンは世の中にファンがたくさんいるけれど、ファンと語れる自信は全くない。


私がポケモンのゲームに魅力を感じていたのは、ポケモンの強さ、種類、進化などではなく、ゲームの世界観だったから。その世界観を味わえるのならポケモンにずっと、ついていく。


のんびりした田舎町にいた子がある時突然、親元を離れていろんな街に行く。最初は自分の住む田舎町しか知らない。毎日行く場所が常に新しい。それに歩いているだけでいろんなことが起こる。何故か突っ立っている人がいて対決を求める人もいれば、世間話をする人もいれば、悟ったような人もいる。人以外にも、モンスターボールや木の実も落ちているかもしれない。



あれ、こんなところに洞窟あったっけ?と思って勇気を出して入ってみたり、
何故か通せんぼしている人がいたり、障害物があったりする場所があるけれど、何らか成し遂げることで、気づいたら通れるようになっていて。もしかしてあの出来事が、道を開いたことに繋がったのか?なんて伏線を回収できたようなできなかったようなところにもワクワクする。


さらに、戦いだけでない日常を楽しめる場所も所々にあって、私は好きだ。
コンテストがあったり、お花屋さんがあったり、あくまで普通に暮らす人がいる前提で、この世界には不思議や戦いも行われている。街も多様で、雰囲気が全然違う。コンセプトに沿ったまちづくりも、気候も、音楽も。
飛ぶ系のポケモンで移動するよりも、私はあえて歩きながら、せめて自転車で目的地に向かいたいと思う。


設定がどこまでも作り込まれている。


ただ、この世界観はDSの時ならではの価値かもしれない。アニメーションでは決して得られない価値。
人の表情や声など徹底的に無駄を排除したアナログ?な世界観だからこそ、ゲームの奥深い世界観だけに集中することができる。


だからこそ、想像する余白が、プレイヤーにはある。ポケモンは今どんな状態なんだろうか。疲れてないだろうか。
プレイヤーの女の子やポケモンにやたら情を注いでしまって、ポケモンとの対決がいくつか終わると、意味もなくたまに実家に帰ってお母さんと会話したりしていた。


常に未知が既知に変わる。常日頃新しい発見がある。
リアルすぎるけどファンタジーな奥深い世界観。まるで旅をしている感覚。本当の魅力はここにある。その世界を楽しむために、ポケモンは手段に過ぎない、と思ってしまう。あくまで端くれの意見だけれども。ポケモンはすごい。



ポケモンファンからしたら、ポケモンというモンスターにこそ、面白さがあるのに!醍醐味なのに!と言われそうだけれど。何故か、私がのめり込んだのは、そこじゃなかったんだよね。



ポケモンの持つ魅力のほんの端くれ的なことかもしれないけれど、この徹底した世界観を生み出した人は並大抵の努力ではないだろう。



この深い世界観のワクワク感はポケモンでしか味わえない。
だから私はポケモンが好きって声を大にして言いたい。

この記事が参加している募集

全力で推したいゲーム

心に残ったゲーム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?