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世界の果ての平家の王国【架空国家を作ろう!そして、架空国家の民になろう! Part 13】


  いつもの如く、前回の記事を読んでおいてくださいね、しっかりと。


  エリサルディアのおおまかな歴史がどんどん作られてきているね。

  今回も、元気に歴史を紡いでいこう!


  クルス・エリサルデと平惟安が1206年に到達してからの、13世紀のエリ
  サルディアの様子を簡単に言うと、以下の通りですね。

  スペインからの入植者が急増し、スペイン人勢力が拡大しエリサルディ
  アの最大勢力となった。

  一方、日本人勢力「平国」にも、日本人を中心に東アジア人などが加わ
  ったが、その規模は限定的であった。

  ちなみに、13世紀前半のエリサルディアにおける日本人勢力(赤)とスペ
  イン人勢力(水色)のそれぞれの勢力圏はこんな感じですね。


  説明ありがとう。

  早速だけど、歴史を考えてきたよ。

  まぁ、おおまかな歴史だけど。詳細は後々考えるよ。


  ほう。聞かせてください。


  1212年に平惟安は平国王に即位することを宣言し、この宣言をもって平
  国は王国となった。

  1215年に平惟安が43歳で亡くなると、息子の惟宗(これむね)が26歳で王
  位に就いた。惟宗は中国で生まれているので、中国人からの入植者や技
  術の受け入れに積極的であり、彼の治世に人口が増え、農業や造船、航
  海などの分野における発展に寄与した。

  また、この間にもスペイン人勢力は急速に拡大し、平国に対する圧力も
  日に日に増していたので、惟宗は軍備増強にも積極的だった。とはい
  え領土拡大に積極的だったわけではなく、現状の領土の保全に努めた。

  しかし、1240年に再びスペイン人勢力「エリサルディア」が平国に侵攻
  してきて、両者の間に戦争が勃発した。この戦争で陣頭指揮を執ってい
  た惟宗は戦死してしまう。

  王を失った平国は不安定化し、寝返る者や降伏しようとする者も出た
  が、惟安の弟であり惟宗の叔父である惟基(これもと)のリーダーシップ
  や奮戦により、大損害を負いながらもなんとかエリサルディア軍を平国
  から撤退させた。


  惟宗は名君って感じですね。でも戦死してしまうんですね。

  惟安と惟宗の生涯って波乱万丈過ぎて、大河ドラマになりそうですね。


  たしかに。彼らの物語を単体で書いても良さそうだね。


  この後どうなったんですか。惟基という人物が登場しましたけど。


  惟宗の戦死により、第3代平国王となった惟髙(これたか)は父の敵討ちの
  ために「エリサルディア」への進軍を独断で強行しようとする。

  しかし、エリサルディアを駆逐するために奮戦した惟基はこれに反対
  し、惟宗の弟である惟義(これよし)を新たな国王として擁立しようとし
  た。こうして平家王家で内部対立が起こる。

  結果的に惟髙は惟義・惟基らに暗殺され、第4代平国王の座に惟義が就
  いた。


  血みどろのお家騒動ですね。エリサルディアの平家も、現実世界の鎌倉
  幕府と同じようなことをしていますね。

  それにしても「惟〇」って名前が多過ぎて、訳わからなくなりますね。
  
  まぁ、あの時代には、代々名前を受け継いでいく通字(とおりじ)の文化
  があるので仕方ないですけど‥‥。


  ごめんね。そこんところは我慢して。

  まぁ、そういうのも含めてリアルじゃない?


  たしかにそうですね。

  「足利義〇」「徳川家〇」も、覚えるのが結構難しいですからね。


  じゃあ今回はここまでにしようか。

  まだまだ歴史を作っていくつもりだから、応援よろしく。


  「3代目がやらかすと王朝に波乱が訪れる」という歴史あるあるを鑑み
  ると、平国はマズい状況に置かれるかもしれませんね。


  (また心を読まれている‥‥)


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