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大河内 愛美(おおこうち まなみ)

両親から名付けられた愛美(まなみ)には

沢山の人から愛される美しい人になって欲しい

そんな願いを込められて付けられている

私の人生は名前負けしていないだろうか?

レックリングハウゼン病

生まれ持った指定難病
昔はいじめによって生きるのを諦めたくなる日々が
続いていた。勇気もなかったので行動に移すことは
なかったが、『死にたい』と毎日思っていた。

将来、この人に命を奪われるのではないか?と
危機を感じた事もある。

だけど、負けたくなかったし逃げたくなかった。
『ガラス作家』と言う夢を見つけたから
いじめにも負けず頑張る事が出来た

中学の時なんて、
一言も言葉を発さずに学校で過ごす事が多かった

中学に入学した次の日には
別の小学校から来た男の子達には
『気持ち悪い。タヒね』と言われたり
廊下ですれ違っただけで嗚咽された。
同じ小学校だった人が、
『大河内は○○で…』と広めていたんだろう…

入学して1週間もしたら、
同学年すべての人から疎まれる存在になった
(なお、1学年4クラスしかない)

小学校の時、助けてくれた人でさえ
周りに合わせたのか加害者側にいた

私には味方なんて一人もいなかった

だけど、『ガラス作家』になる為には
『大学』で『ガラス』を学ばなければならない
『芸術大学』に行くには『高校』へ行かなければならない
その為には、不登校になるわけにはいかない

こんな『信念』があったからこそ
いじめにも負けなかった。

『レックリングハウゼン病』を認識したのは
高校に上がってからだけど、
『病状』は既にあったので、
これが原因なのだろう…と感じ取っていた

中学生活は1つも良い思い出がない
朝、登校して教室に私が入ると
それ以降誰も教室に入ってこない。
『うわ。大河内がいるから入れねーじゃん。最悪』
そうして、朝登校してきたクラスメイトは
教室の前の廊下に並んで誰一人入ってこない。
チャイムが鳴って先生が来始めたタイミングで
ようやく皆が意を決して教室に入ってくる

この時、最初に
『うわ。大河内がいるから入れねーじゃん』と
言った男子生徒の名前を私は覚えている。
彼は学力もそこそこ良くて
偏差値も割と高い高校へ進学していた

学力があったって人格は終わっていた

私は、小中時代に人の黒い部分を沢山見てきた

人間扱いされなかった私は
生きる希望は『ガラス作家』という夢のみ
この時の私は、
両親から名付けられた名前に込められた意味なんて
1つも叶っていなかった。

沢山の人から愛される?笑わせるな。その逆だ

誰一人信じられない
学校の先生も信用できない
家族には心配掛けたくないから何も言えない

そんな日々。

『まだ生きてるの?』『なんでタヒんでないの?』
これに似たような言葉も毎日のように言われた
洗脳されそうになるレベルというか、
恐ろしいかな。言われ慣れすぎて…
言われるのが当たり前になっていて、
そう言われる事に何も感じなくなっていた……
しかし。ある時、
『これはいよいよ本当に無理かもしれない』
そう思っていた時に出逢ったのが
『画面越しに一目惚れした俳優さん』

人を見て好意を抱いたのは初めてで『奇跡』だった。

私はガラス作家として有名になって
いつか仕事で共演したい!!

そんな新しい夢を見つけられたから
『負けてたまるもんか』と再起できた。

やはり過去を振り返っても
『自分を変えたい、変わりたい!』と
思っていても『キッカケ』がなければ難しい

あと一歩なのに踏み止まってしまうから

私が自分の過去も想いも何もかもを
オープンにしているのは
『病や障害、ハンディ』を理由に差別偏見してしまうのは
『正しい知識』がないからだと思っているから

例えば、もっと早くにレックリングハウゼン病を
認知していたら……もっと早い段階で、
『この子はこんな病気があって、
これはその病気によるものです』って
うまく説明が出来ていれば、
もしかしたら、いじめなんて起きなかったのかもしれない

ハンディは、本人が受け入れるのも大事だけど、
周りの理解や許容が『生きやすさ』に繋がっていく

私は自分の発信で、
『一歩踏み出す勇気のキッカケに繋げたい』
『こんな病気もあるんだな』って知って欲しい
『どんな生き方』をしてきたのか……
もし身近にハンディを抱えている人がいたら何を思うか

当事者

が身近にいないと中々実感が湧かなくて
イメージしづらいかもしれない。

けれど、私が発信活動を続けて、
ガラス作家としても有名になっていけば、

『身近な存在』になる事が出来る💡


世の中には私の知らない病気や障害の方が
まだまだ多い。それも身近に当事者がいないから

私は、私のことを好きだと言ってくれる人を増やしたい
興味を持ってくれる人を増やしたい

興味がある事は追究したくなる

レックリングハウゼン病の認知が広がっていく

私は、両親が名付けてくれた名前に
負けない生き方をしていきたい。
いや、超えていきたい🔥🔥🔥

私は『発信』で夢は叶う、近付くと知っている

『発信』で中学の時に画面越しに一目惚れした
俳優さんにお逢いする事が出来た。
作品を知ってもらえた。活動を応援してくれている。
私の病気の事を知ってもらえた

夢を『発信』し追い続ける事で実現する。
ガラス作家と言う夢を叶えた。
他の夢も続々と実現している、

キッカケは何だっていい!!

ハンディを抱えていても、抱えていなくても……

すべての人が前を向いて生きられる世の中になって欲しい

それは、一人ひとりの意識が変わっていけば
少しずつ変わっていく🔥

自分が動けば世界は変わる!

自分の周りが変わっていく!
自分が踏み出す事で関わる環境が変わる
環境が変われば関わる人達も自ずと変わってくる

きっと今後私は小中の同級生に会う事は
二度とないだろう。もしあれば偶然だ。
私からは『逢いたい』と思わない。
もし、何かがキッカケに
『あの時友達だった』という人がいたら、
それは確実に嘘だ。私には小中に友達はいない。
ただの同級生だ。私をいじめていた←←
傍観者の人も私から言わせれば同じだ。
直接何かをしたわけじゃなくても、
私から見れば同じなんだ……

今振り返れば、何もできなかった側の気持ちも
分からなくはないけれど、
当時の記憶のまま止まってしまっている

私は、いじめに関してでも、
私と同じような気持ちになる人が
一人でも少なくなれば…と願っている

BeautyJapanに出場して本当に良かった✨
エリア大会でグランプリ受賞出来て
新しい自分の1面を知る事も出来たし
『自分にとって本当に大事な人』も
見極める事ができた

人生は自分で創る
未来の自分は、自分の現在の選択で決まる

人生から逃げ出したくなってしまう人もいるだろう…
そんなときは私を思い出して欲しい
私の生き方を見て欲しい

私は消し去りたい隠したい過去も
病気の病状も何もかも
何1つ隠さず全てオープンにして堂々と生きる

『あなたって人はどんな人?』と
聞かれたら、sns、note、ブログに書いてる事が全て

何一つ一点の曇なく生きてきた
一点の曇りなく発信している

私には隠してる事が何一つない

だからこそ、周りにどう評価されたとしても
悔いは残らない。
私の発信も想いも、受け取り手によって
感じ方も捉え方も違う

発信は1つでも、受け取り方は
受け取る側の数だけ答えがある。
『正解』はないのだ。

わたしはわたし

大河内愛美

職業、自分。

時々ガラス作家

レックリングハウゼン病は
生涯ともに歩む人生のパートナー


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