お父さんのアジの骨スープ
思い出の味って何だろうって考えて、真っ先に浮かんだのは、母の味。
小鯛の酢漬けに、チューリップ鶏唐揚げ、たこ焼き、マドレーヌ、、、。
結婚前は、お米すら炊いたことのない母だったらしいが、私の記憶の中の母は、冷凍食品やスーパーの総菜を食卓に並べるのを恥と考えていた「家人の健康を守る門番」の後ろ姿だ。
そして、その記憶の第一層をめくると出てきたのが、アジの骨のスープ。
アジの骨のスープは、週末の朝食にアジの干物が出たときによく父が作ってくれた。
作り方は、いたって簡単。
食べ終わったアジの干物の骨をお椀にいれ、ちんちんに沸騰したお湯をかけ、仕上げにちょろりと醤油をかけて出来上がり。
父の作るスープには必ずすりおろしたニンニクがたっぷり入っていた。
これがまたしっかりとアジのエキスがしみだしていて、最高においしいのだ。
私は、父のつくるアジの骨スープが大好きだった。母がつくるのでは、何かパンチが足りない。やはり、父が作るのが一番おいしい。
なので、アジの干物を食べ終えた父がお湯をやかんで沸かし始めると、私と兄が競ってアジのスープ注文を父にしたものだった。
そんな時、普段は眉間にしわを寄せて大変近寄りがたい父が、いつもより少しだけ顔を和らげて私たちの要望を聞いてくれるのが、またとてもうれしかったことを覚えている。
今から思い出すと、なんて二日酔いにぴったりのスープなんだろう。
きっと、前夜に飲みすぎた父が自分の胃袋を落ち着けるために飲んでいたスープなのだと思う。
アメリカに住んでいると、滅多にアジの干物なんてぜいたく品は口にすることができない。
ホームシックが募って思い切って買った時、一度だけ骨のスープを作ってみたことがある。
もちろん、家族からの大変冷たい目にさらされた。
「なんだ、このみみっちいスープは。」
と言わんばかりの馬鹿にした目だ。
しかし、このうまみたっぷりスープを飲めば、家族も美味しいとうなって私に謝ってくるに違いないと、ちんちんに沸かしたお湯をアジの骨に回しかけながら、私はそんな家族の姿を想像して顔がにやけていた。
ところが、父がしたように作ったはずなのに何か足りない。パンチがない。
アメリカまではるばるやってきたアジの干物が、疲れて味もくたびれ果ててしまったのか、それともニンニクの量か、、それとも水のせいか、、。記憶の中の味と大きくかけ離れていた。
早速、父に電話して事の次第を説明する。
ニンニク チェック
ちんちんに沸騰したお湯 チェック
お醤油ちょろり チェック
やはり父のやっていた通りだ。なので、二人でなんだろうねえと頭をかしげる結果となった。
「やっぱり、パパじゃないとおいしくできないんだねえ。」
なんて言ってみたら案の定、父のほっぺが緩んで大きな笑顔が広がった。
最愛の人を見送り、愛猫1匹と暮らしている父は日を追うごとに感情の垣根が低くなっている。
嬉しいや悲しいを前よりずっと簡単に表すようになったのだ。
私の記憶の中の怖くて大きい父は、少しもんであげるだけですぐあったかくなるホッカイロみたいになった。
私と父は性格が似ているので、よく衝突する。イライラするタイミングが似すぎているせいだと思う。
それでも、やっぱり一緒にいるとあったかい。
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