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ドイツLGBTQパレードを見て、ただそこに佇む権利を思う――結婚をすべての人のために

はじめに

本記事はLGBTQのパレードについてあつかっていますが、もし表現上の誤りがある場合はご指摘ください。筆者自身いまだ勉強させていただいている身であることをご理解いただいたうえで、もし事実関係に誤りなどがある場合はご指摘いただければすぐに訂正をします。

クリストファーストリートデイ(CSD)「ケルンプライド」

先日7月3日、私が滞在しているドイツはケルン市にて、クリストファーストリートデイ(CSD)のLGBTQパレード、通称「CSDケルンプライド」が行われた。これは、ケルンに限らず、毎年ドイツ各所で行われるドイツのLGBTQの権利を主張するデモパレードで、ドイツで最大のものはベルリンで行われる、ベルリンプライドだ。

クリストファーストリートデイの起源は、1969年にニューヨークで起きた「ストーンウォール反乱」にある。これは、ゲイバー「ストーンウォールイン」に警察が踏み込み調査を行い、抵抗したLGBTQと衝突した事件で、きわめて大きな暴動に発展した。この事件はLGBTQにとって歴史的転換点となる重要なできごととなった。

クリストファーストリートデイは、この「ストーンウォール反乱」を風化させないために設けられた記念日で、ドイツでは1979年にベルリンで始まった。これらのパレードは現在に至るまで毎年行われている。(2020年は新型コロナウイルス感染症対策により中止)

ケルンで行われるケルンプライドもベルリンのものに負けず劣らず、非常に大きな規模で行われた。いわゆるデモ行進というよりは、完全にパーティーで、町の主要な場所でパレードが行われ、多くの屋台が出店されている。

マイノリティのためのデモ行進、というよりは、ある種のお祭りといっても過言ではない。

若者たちの盛り上がりはさながらフェス。
しかし、そうした進歩的な考えを「クール」と考える若者が多いことはそれ自体がクールだ。

相当数の人があつまり、ダンスミュージックがかかり、お酒がふるまわれ、多くの人が踊った。ケルン大聖堂付近の主要地区、ホイマークトは多くの人で埋め尽くされ、LGBTのシンボル虹色に染まった。集まった人々のうち、やはり相当数の人がLGBTで、服装も振る舞いも非常に開放的だったのが印象的だ。

町中が虹色であふれ、人が集う
アフリカ系移民、アフリカ系ドイツ人もまとまって参加。

なによりも、誰もが自由な存在としてただそこに佇むことを許された時間と空間に、心を動かされた。マイノリティのための一日が、その町全体のお祭りとして、多くの人を踊らせている事実に感銘を受けた。

LGBTQの権利保障をめぐって

奇しくも、日本ではつい先月にあたる6月にLGBTの権利保障が大きな話題を呼んだ。大阪地裁の同性婚をめぐる判決である。この件の詳細については憲法上の高度な議論を含んでいるので、そのほかの公的なニュース記事を参照いただくのがよいが、つまるところ、同性婚を認めない民法規定は憲法に違反しないという判決を大阪地裁が下した問題だ。

この件については非常に詳細に公益財団法人のMarriage for All Japanが様々な形で解説をしているので、より詳細には下記リンクを参照してみていただきたい。 


いまだに日本では同性婚へ向けた法改正は進んでいるとはいえない。この一件でLGBTQへの権利保障は大きく後れを取っていると言わざるを得ないことが改めて明らかになった。いまだにパートナーシップ制度にとどまり、それさえもまだ道半ばの日本にとっては、多くの努力を要する。

ただし、これをもってドイツが優れており、先進的だと断言するつもりではない。ドイツであっても同性婚が法的に認められたのは比較的近年のことで、ドイツのLGBTQ権利保障も長い戦いを経てきた。
2001年にパートナーシップ登録制度が開始されて、多くの同性パートナーが登録されたものの、婚姻との制度的格差はあり、そこから同性婚が2017年に法制化されるまでには16年の道のりがあった。

たとえば渋谷でLGBTのパレードがあったからといってすべての日本人がすべからく寛容であるとは言えないのと同じように、おそらくドイツでもいまだLGBTQの生きづらさはあることだろう。
何事も道半ばであることを忘れてはならない。

だからこそ、クリストファーストリートデイのようなメッセージを発信し続けることが重要だと私は思う。
マイノリティのメッセージというのはいつも大きな声の方に簡単にかき消されてしまうし、その存在が透明にされていってしまう。

そうならないためにも、
虹色の旗を掲げて、声を上げて、ただそこにいることを、そこに佇んでいることを確かに主張し続ける必要がある。

マイノリティはいつもそこにいる。

他のマイノリティの一員として考える

私自身はセクシュアルマイノリティ当事者ではないのだが、ひとりの身体障害者として、マイノリティとして共感と、連帯の意思を示したい。ひとつの社会的少数者コミュニティのために多くの人々が集い、誰もがマイノリティであることにプライドを持ち、堂々と佇む姿は、うらやましく映った。クリストファーストリートデイで見た景色は、たとえば、それは私にとってパラリンピックの開会式にも似た光景に思えてならなかった。

障害者にとってもやはり権利保障というのは、最も重要な課題だ。LGBTQとはまた違った生きづらさを抱えて生きる人々がたくさんいる。
そんな中で、社会制度を獲得してゆこうという戦いは、障害者という視点から見ても、まったく同じだけ大切な行為で、ともに戦う存在でいたいと思う。

制度と戦う中であげられた「すべての人に結婚の自由を」という掛け声は、ほとんど自分事のように感じる。

自分が自分であることを社会が祝う日というのは、誰にとっても清々しいと私は思う。他のマイノリティにとって大切な日を、私は自分にとっても誇らしいこととして感じていたい。そうしてほかの人々へ思いを馳せるのは、いつか自分が祝ってもらえるその番になったときに、自分も誇らしくありたいからだ。だからこそ、他のマイノリティにも全力で応援の旗を振りたい。

ドイツのクリストファーストリートデイに最大限の敬意と、
すべてのLGBTQ、マイノリティの皆様へ心からのエールを


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