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短編小説:60点の人生に後悔はあるか。

やや長め、6000字。お時間ある時にどうぞ☺️

 生き様なんて、無様でいい。ただやりたい事をして、生きたいように生きて、それから死にたい。

 名声なんて、いらない。ただ死んだ後も、誰かの心の中に私と一緒に過ごした記憶が残っているといい。

 権力なんて、縁がない。それでも自分の持てる力全部を振り絞って、誰かのために生きられたら最高だと思う。

 お金なんて、全部あげる。死んだらだけど。ただそんなに沢山はないから、その残したお金を私の分身だと思って大切に使って欲しい。

 死に様なんて、クソ食らえ。みすぼらしくて構わない。ただ死にゆくその時に、誰かに手を握っていて欲しい。

 自分の人生に望むことなんて、大してありませんでした。いつも胸の中にあったのは、ささやかな望みばかり。それでも私の人生で全ての望みを叶えるのは、どうやら難しそうです。

 私、岩木千代子、67歳。先日、病気が見つかりました。大腸癌です。検診で便潜血の項目にひっかかり、病院に行って内視鏡検査をしてもらったら、まさかまさかの癌発覚。これまで大して病気なんてしてこなかったので、そりゃもう青天の霹靂で、お医者様の治療説明は全く頭に入ってきませんでした。

 私には息子が2人います。2人共いい年なのに結婚はまだせず、独身です。上の子はどうにも繊細に育ってしまって、一時期うつ病を患ってしばらく休職していました。下の子は彼女がいるみたいだけど、稼ぎが良くないから結婚に踏み切れず悩んでいるみたいです。

 2人共、いい子だったんです。自慢じゃないけど。上の子は弟思いの優しいお兄ちゃんに育ってくれて、手がかからないしっかり者でした。勉強もよく出来て、小学生の時なんかいつもテストで100点をとって帰ってきました。
 下の子は寂しがり屋で、我が儘も多くて手がかかりました。でもエクボが可愛くて甘えん坊で、なんやかんや甘やかすことが多かったかもしれません。社交的な性格で活発な子でした。喧嘩して帰ってくる事もありましたけど、昔から友達がたくさんいました。

 そんな子ども達を育てるため、元夫と離婚してから私は死に物狂いで働いてきました。子育てがちゃんと出来たかなんてわかりません。記憶がないんです。いや、まだ頭はしっかりしていますよ。仕事と家事と子育てに忙殺されて、なんというか、記憶が曖昧で。その日その日を越すので精一杯でした。

 子ども達には寂しい思いをさせたと思います。授業参観に行かなかった事もあるし、運動会を見に行かなかった事もあります。下の子が小学5年生の時に「真斗くん家のお母さんはいつも来てくれてるのに、なんでお母さんは来ないの」って泣いて怒ってきた時はさすがに傷付きました。あなた達のために働いてるのよって喉まで出かかったけど、言葉にはしませんでした。それを言ったら、ダメな母親になる気がしたんです。子どもに散々寂しい思いをさせておいてダメな母親は今更かもしれませんが、これを言ったら母親として終わりみたいな境界線が私の中にあって、その線の先にその言葉があったんです。だから結局いつも「ごめんね」としか返せませんでした。

 寂しい中、子ども達なりに折り合いをつけて耐えてくれていたんだと思います。文句を言われた事もあるし、衝突する事もあったし、もちろん反抗期だってありました。子育てを振り返れば、後悔は山ほどあります。私が離婚しなければこんな寂しい思いをさせなかったんじゃないかとか、もっと良い仕事を見つけてもっと良いお給料がもらえていればとか、もっと子ども達と一緒に過ごす時間があればとか。それでも、健康に育って大人になってくれましたから、私は子ども達に花丸の満点をあげたいです。

 私は65歳まで仕事をしていました。スーパーで働いて、途中から正社員にしてもらいました。たかがスーパーの正社員、されど正社員。子育てを1人でしていくのに、正社員になれたことは大きな支えとなりました。ずっと平社員でした。でも子ども達は、私が正社員で働いてるのを笑顔で友達に自慢していたんです。だから頑張れました。"正社員で働くお母さん"が私の持てる名声と権力の全てでした。

 あくせく働いてきました。本当に、長いようであっという間でした。定年退職する時、花束を貰いました。その時ようやく、子育ても仕事もやり切ったという達成感を得ました。退職金は大した金額ではありませんでした。でも、子育てを終えた私には十分でした。退職金で贅沢しようなんて気も全くありませんでしたから。

 これまでの自分に点数をつけるなら、60点くらいでしょうか。人間としてはギリセーフ、平均点より上だと嬉しいです。母親としては落第点でしょうか。人の見本になれたなんて思っていません。出来の悪い母親だったかもしれません。それでも自分なりに精一杯頑張ってきましたから、これから自分にご褒美をあげようと思っていたんです。

 さぁ、やりたい事をやって生きたいように生きるぞ、と意気込んでいました。それが自分へのご褒美でした。定年退職して、あれからたった2年です。まさか、癌になるなんて。まだ大して何もしていません。念願だった沖縄旅行は昨年行きましたけど、まだまだ行きたい所がたくさんあります。遠くなくていいから、年に一度旅行に行こうと決めていました。海外旅行も一度でいいから行ってみたいと思っていました。この間、月2回の油絵教室に予約したばかりでした。今度中学の同窓会があると案内が来て、参加に丸をつけて返送してしまいました。あと、そろそろ家の中も片付けて、子ども達の荷物を整理しようと思っていたところでした。それなのに、子ども達の荷物より先に自分の荷物を整理しなくてはならなくなりました。

 お医者様に勧められた通り、入院して内視鏡治療を受ける事にしました。入院が必要と聞いた時は不安でいっぱいでしたが、終わってしまえば呆気ないものでした。無事に治療が終わって、ホッとしているのも束の間。その翌日、上の子が病院にお見舞いにきて、とんでもないことを言ってきたんです。

「母さんの退職金含めて全部、俺に相続する旨をこれに書いてほしい」

 開口一番、上の子は意を決したように私に言いました。わざわざ遺言書の書き方の見本も用意していました。こういう几帳面さが上の子らしいと思いました。なんでも、会社を辞めてフリーランスで働くことを考えているんだとか。私の遺産をその準備金にしたいようでした。うつ病の再発の可能性もあるし、会社を辞めた方が自分の性格上働きやすいからと熱弁していました。どこか焦燥感に駆られているようにも見えました。
 言葉が出ませんでした。下の子は承知してるのかと聞けば「あいつには内緒にしておいて欲しい。あいつばかり甘やかされて、俺は散々我慢してきたんだから」という始末。私は「考えておく」とだけ返事をして、上の子を家に帰しました。

 そしてその次の日の夕方、今度は下の子がやってきました。「手術お疲れ様」と労りの言葉を忘れないあたり、下の子らしいと思いました。でもしばらく会話をした後「お金貸してくれないかな」と言ってきました。さらに「彼女にプロポーズしようと思う」と思い詰めた表情で言いました。「母さんだって早く孫の顔見たいだろ、もうそんなに長くないんだし」と畳み掛けてきます。そこで思い至りました。下の子はどうやら、プロポーズの指輪のお金を私に出せと言っているようでした。いや、もしかしたら結婚の準備金も出して欲しかったのかもしれません。
 開いた口が塞がりませんでした。流石に腹が立ってきました。すかさず「帰って」と言いました。怒鳴りたい気分でしたが耐えました。大部屋だったので、同室の患者さんに迷惑だと思って思い止まりました。

 次の日の朝、隣のベットに入院してる同年代の奥様が話しかけてきました。どうやら連日の息子達との会話が聞こえていたようでした。

「うちは子どもが欲しかったんだけど、出来なくてね。だからずっと夫婦2人で頑張ってきたの。夫が働いて、私は専業主婦で。子どもが居たらって思うこともたくさんあったけど、子どもは居たら居たで幾つになっても大変ね。」

 どうやら同情されているようでした。私は「本当に困っちゃいますよ、こっちは病気してるっていうのに」と愛想笑いをして返しました。しばらく楽しげに会話をして、お昼ご飯の時間になったので話を切り上げました。そして自分の周りのカーテンをピシャリと閉め切りました。

 内心、奥様の物言いに腹が立っていました。一体何に腹が立ったのかって、そりゃあ、私の子ども達を馬鹿にしてきた事です。でも、怒らずに我慢しました。さすが、私です。"正社員で働くお母さん"を長らくしてきただけあります。忍耐力と愛嬌はそこら辺の"養われてるだけの奥様"とは格が違います。
 その後すぐに看護師さんに言って、個室に移動させてもらいました。1日2万円の個室にしてやりました。"正社員で働くお母さん"を長く続けるコツは、自分で自分を褒め、自分のご機嫌を自分で取る事です。そこら辺の"養われてるだけの奥様"には到底出来ぬ芸当です。

 確かにあの奥様が言うように、子どもがいる大変さは幾つになってもあります。これまで子ども達のために身を削って働いてきたのに今回みたいな事があると、今までの苦労が報われているのかよくわからなくなります。
 でもあんな子ども達でも、私には今だに可愛くて仕方ないのです。他人から見たら、兄弟揃って病気になった母親に金をせびってくるクズみたいに思われるかもしれませんが、それでも可愛いのです。ぱっと出のちょっと見の他人に、あの可愛さがわかってたまるものですか。

 子ども達の可愛さを挙げればキリがありません。生まれた瞬間初めて見た皺くちゃで猿みたいな顔も、どうあやしても泣き止まず響き続ける金切声も、私のお気に入りの服にヨダレと鼻水を擦り付けてくる笑顔も、気に入らないとオモチャを投げつける小さなお手手も、反抗期ドアに穴を開けるほど逞しくなった大根足も、母の日机の上にカーネーションと一緒に置いてあった『母さんへ』の汚い字も、「お弁当今まで作ってくれてありがとう」って照れ臭そうに言う野太い声も、初給料で焼肉を奢って焼いてくれる筋肉質な腕も、「母さん今だに俺があげた肩叩き券持ってんのかよ」ってニヤニヤ馬鹿にしてくる髭面も、「やっぱ母さんの手料理が一番美味いわ」って言うだけで準備も片付けも手伝わない弛んだ腹も、「死んだら俺に金くれ」って言ってくる思い詰めた暗い顔も、どれも全部、私には世界で一番可愛いのです。何人たりともこれを否定することは許されないのです。"自分の子どもは可愛い"は、私にとってこの世の真理なのです。絶対絶対そうなのです。
 あの奥様に、教えてやりたいですね。手間を掛けるからこそ、愛着は湧くものなんですよって。苦労して育てるからこそ、子どもは可愛いんですよって。まぁ、ムカつくから絶対教えてやらないけど。



 私が生涯で成し得た事なんて、"正社員で働くお母さん"くらいでした。他人から見たら、とても良い人生だったとは言えないかもしれません。到底人の事をバカに出来る立場ではない事もわかっています。

 もしこのまま死んだら、私は後悔するでしょうか。いえ、そんな事はありません。人と比べたら生き様は無様だったし、権力も名声もお金もありませんでしたけど。それでも、私が死んだ後も子ども達の心の中に私と一緒に過ごした記憶は残るし、何より、自分の持てる力全部を振り絞って子ども達のために生きられましたから。私は、最高の人生だったと思います。

 願わくば今でも、死ぬ瞬間だけは子ども達2人にこの両手を握っていて欲しいと思っています。なにも子ども達に今までありがとうって言ってもらいたいわけじゃないんです。私が、ありがとうって言いたいんです。私のところに生まれてきてくれてありがとうって。そんな恥ずかしい事、死ぬ時くらいしか言えないじゃないですか。でも、あのお見舞いに来た時の様子から想像するに、たぶん無理でしょうね。そのうち兄弟喧嘩になります。長年2人を見てきた母親の勘です。遺産なんかのために兄弟喧嘩するくらいなら、迷惑だから私の死に際は病院に来なくていいって言っておこうかと思います。死にゆくその時に手を握っていて欲しいという望みは叶わないかもしれないけど、別にそんなの今更叶わなくてもいいんです。十分、幸せな人生でしたから。

 それにしても、2人揃って大した金額でもない私の遺産を当てにしてくるなんて、実に浅はかな子ども達です。そもそも、私の余命はそんなに短いわけでもないのです。だって、私ステージⅠですから。大腸癌ステージⅠの5年生存率は90%以上ってネットにも書いてあります。お医者様も治療の後「綺麗にとれましたからね」って言ってくれました。まあ、先のことはわからないけど、私はまだまだ、まだまだ、生きますよ。こんなので死んでたまるものですか。"正社員で働いてきたお母さん"を舐めんなよって感じです。それをあのバカ息子達ったら、話なんて碌に聞かずに勝手なイメージだけで私がすぐ死ぬと思い込むんだから、まったくもう。その上目先の金に目が眩んで、本当にしょうがないですね。でも、まぁ、そんなところも可愛いんですけどね。

 晴れやかな、この退院の日。桜が散りゆく姿のなんと美しいことでしょう。菜の花が咲きほこり、ツツジの蕾が開きかけた今日、まるで世界が私の再出発を祝ってくれているようです。

 今回の入院で、子ども達のためにも私の貯金は全部使い切ってから死のうと決めました。ずっとお金を残してあげようと思っていましたけど、遺産で兄弟喧嘩するのが先の山だからダメですね。40歳超えても、まだまだ考えが甘いんだから、手が焼けます。お金は汗水垂らして自分で稼ぐものだって教えてあげないと。こんなのが子ども達への死に土産なんて、笑っちゃいます。

 私は残る人生、やっぱりやりたい事をして、生きたいように生きて、それから死にたいと思います。あ、そうだ、外来通院がひと段落したら、1人で海外旅行にでも行ってこようかな。


おわり


〜追記(補足)〜

 やりたい事をして、生きたいように生きて、それから死にたい。→余生でこれから達成予定、20点。

 死んだ後も、誰かの心の中に私と一緒に過ごした記憶が残っているといい。→子ども達の心の中に記憶は残るので達成、20点。

 自分の持てる力全部を振り絞って、誰かのために生きられたら最高だと思う。→子ども達のために生きられたので達成、20点。

 残したお金を私の分身だと思って大切に使って欲しい。→遺産を残しても子ども達のためにならなそうなので貯金は全部使い切る予定。達成せず、0点。

 死にゆくその時に、誰かに手を握っていて欲しい。→子ども達2人に手を握っていて欲しかったけど、遺産で兄弟喧嘩しそうなので、もはや死に際病院に来なくていいと宣言する予定。達成せず、0点。

100点満点中、60点の人生。
でも、後悔はないそうです。
人生なんて、60点でもいいのかもしれません。

皆さんは何点ですか?後悔はありますか?


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