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孤独を感じない理由を考えてみたって話

無になるということ


NHKで、こころの時代という番組をよく見る。
先日、あるお坊さんが出てきて、いろんな話をしてくれた。

「自我が消える≒周りと一体化する」という話があった。
これは「無」になるということと同じらしい。

「大日如来と一体化して・・・」とか「宇宙と一体化して・・・」という文言が倫理で出てきて、何を言っとんじゃ??と思っていたが、ようやく納得した。

厳しい修行 
→ そのうち、辛すぎて何も考えられなくなる 
≒「無」になる ≒ 周りと一体化する ≒ 仏さんと出会える

どうやら、こういうことらしい。

だから、長い時間をかけて、生死をさまようような、とてつもない修行をするんだ。
「無」になろうと、あれこれ考えているうちは、絶対「無」にはなれない。

へぇ~と思った。

この話の時に、お坊さんが「長い修行中、自分が孤独を感じなかったのは、周りと一体化しつつあったからでは」と言っていた。

しかし、必ずしもそれだけが孤独を感じない理由ではないだろう、と、ぴょりは思った。

もちろん、お坊さんの言う通り、周囲と自分との垣根がない状態だから、孤独を感じないというのは納得できるが、ぴょりは、周囲に「求めない」ことも孤独を感じない理由の1つになると思っているんである。

求めないということについて

ぴょりは、「そういうのを孤独とか寂しさっていうんだよ」ってもしかしたら言われるかもしれなくても、自分ではそういう感情を抱いたことがないと思っている。

「孤独」とは、ひとりぼっちのことを指す言葉らしい。
ひとりからくる寂しさが辛いときに、それを「孤独」というらしい。

孤独感が生じる理由をネットで調べてみると、
「理解してもらえない」「好かれていない」「必要とされていない」など、受身の感情が多くみられた。

~してほしいのにしてくれない、求めているのに与えてくれない、ということのようだ。

ぴょりは、人に対して受身の感情を抱くことはあまりない。
上記の状況をぴょり的に変換すると、こうなる。
「自分が説明不足だった」「根本的に考え方が違う」「あの人は自分のことをあまり好きじゃないんだな」「やることがないかを聞いて、なかったら遊んでいよう」みたいな感じだ。

ぴょりは、「おもしろくない、残念、がっかり、退屈、ショック、悲しい」という感情はどれも経験がある。しかし、「寂しい、孤独」はないんである。

おそらく、「求めない」からだろう。
基本的に、誰かが「何かしてくれる」、誰かに「助けてもらえる」と思って生きていない。
誰かが横にいる前提で、ものを考えていない。
常に、自分のことは自分でやらないといけないと思っている。

自分の都合のいいように、人を動かせるわけがないし、そんなふうに動いてもらうことも申し訳ないと思う。そんなのは傲慢だ。
だから、たまに誰かが横に来て、何かしてくれると、すごくうれしいし、ありがたいな~って思えて、すごく生きやすい。
人よりも、期待や要求をしない分、不満が少なく、感謝や喜びが多いと勝手に自分で思っている。(笑)

ぴょりにとって、期待や要求は不満の元なんである。
「かわいそうに、なんて寂しい奴だ」とか
「逃げているだけだ、もっと人と向き合いなさい、そうすれば、もっと素敵な世界が見えるわよ」てなことを思う人もいるかもしれないが、
そういう見方もあるということは分かったうえで、この生き方をしている。(笑)

よく考えてみると、「~してほしい」なんて
人に何かを尋ねるときの「教えてほしい」ぐらいしか、使ってない。
しかも、「どうすればよいですか?」「何かよい方法はありますか?」「~していただけるとありがたいんですが」と言い換えていることが多い。

その時の自分の頭の中を振り返ってみれば、
「できれば自分で何とかしたい」という思いが伝わるように話している。
かつ、上からのニュアンスにならないように、自分が下で、相手を上にした言い方を意識している。

何かをしてもらって当然で、自分のことなのに、単に要求を相手にぶつけるだけで、自分では何もしようとしていないと思われるのが嫌なんだ。

でも、誰かと親密になる時には、ストレートに相手に求めることや、何なら、わがままな要求なんかも人間の魅力になるということは知識としては持っている。知ってはいるが、ぴょりにはできる芸当ではない。

もしかしたら、相手は、求めたり期待したりしてほしいと思っているかもしれないけれどね。

そういうのをできる人は、どういう感覚を味わうのかな~とか想像して、
うらやましくならないと言えば、うそになるけど、

自分のことは自分で好きにやりたい。
誰かに合わせたり、構われるのは好きではない。

誰かに何かをしてもらうことよりも、
なんでも気ままに思い通りにやれることが、
自分にとって何物にも代えがたい最高の幸せなんだと
気が付いているから、ま、いいや。

何かを得れば、別の何かは捨てねばなるまい。

人には人の、幸せがある。

客観的にみると、ぴょりはものすごく孤独で寂しい人間なのかもしれない。
でも、本人は孤独や寂しさを知らないと本気で思っているのだ。(笑)自分で書いていて面白い。

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