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トラブルメーカー

主人は定期的に
自分の母親の様子を見に
実家へ訪れる。

その際
自分だけでは 
話が続かなかったり
義母は常に被害者意識なので
主人はすぐにターゲットにされてしまう。

その対策として
子供たちのどちらかを
誘う対策をしている。

息子は
何かの行事以外は
足が向かなくなっている。

親孝行、お祖母ちゃん孝行
と称しての搾取ってやつかな。
時には
罪悪感的な空気を
押し付けてくることさえある。

かつては
娘は それも承知のうえで
顔を見せに一緒に出掛けていた。

しかし、子供たちも
もうお年頃。
友達との約束を優先するのは
当然。

しかも、主人が
自分たちを盾として
利用していることも
しっかり見抜いちゃっている(*`艸´)ウシシシ

そして、昨日も
子供たちに断られていた。

そして、私は
別の記事にも少し書いたのだが、
主人の父親が亡くなって
程なく 
自分からバッサリ縁を切った。

なので、どんな行事も(義父の法事なども)
私だけ 一切 行っていない。
こっそり 墓参りだけ行っているくらい。

まだ私が行っていたころ
私が行くたびに
主人が母親から愚痴を聞かされ
精神心的にきついから
行かないでほしいと
頼まれたこともあった。

よくある 嫁姑関係ってやつです(笑)
正直、何をしても最初から
嫌われているので
私は痛くも痒くもないですが。

私は 主人の父親が亡くなる
数年前から
私の周りで色んな事が起こったことを機に
考え方、行動が変化し、
自分の本音に嘘がつけなくなってしまいました。

故に、押しつけるわけではないが
躊躇なく、相手に合わせることなく
自分の考えを
包み隠さず話すようになっていった。

もちろん
相手を思いやり、相手をたてて
引くこともできたのでは?
と思われますか?
確かに可能です。
デモ、私は自己犠牲はしないと
決めています。

聞こえよく言うならば
相手も尊重、自分も尊重の為の
距離なんです。

学校でみんな仲良くと教えられます。
しかし、
これは決して喧嘩をしないという
意味ではなかったのです。

本音を隠して 自己犠牲で
成り立った関係は必ずどこかで
歪が生まれます。
必ず正しさは個人によって違うので。

喧嘩、本音は言っていいのです。
寧ろ出さないとずっと本音は
叶えられないまま 封じ込められ
出る時を待ちます。
一度生まれたものは無かったことには
できません。

たとえ、自分が傷つかないように
守るための物であっても
塞き止められては循環は起きません。
なので、同じような現象が
ループします。
(抵抗がなくならない限り)

相手、自分を守るためであっても
思考の鎧は重くなると
動けなくなってしまいます。

すると、反って守りたいものが
守れなくなるという現象が起きます。

本音を出し合った上で
どうしようか?という関係の方が
スムーズに循環が起きます。

本音を出す
(相手にぶつけるのではありません。
 自分が自分の本音に気づき
 目を向ける=愛(め)を向ける)
=自分を信じる
 最適な行動が勝手に起きてきます。
=相手を信じる
=自分の世界を信じる(無敵)
 となります。

※問題解決の現象は様々です。
 私が経験したものを数個あげておきますね。
 ・問題自体が解消され、勝手になくなる
 ・他者がいなくなる、距離があく
 (引っ越し、転勤、亡くなるなど)
 ・勘違い
 ・勝手に他者が解決してくれている
 ・やりたくなかったことは
  ホントはやりたいことだになっている
 ・問題自体への問題感がなくなる(忘れる)
 ・根拠のない行動がやたら勝手に起きる
 ・ポンコツな自分がむしろ可愛くなる
 ・環境、他者が変化しなくても
  自分の平和が保てる
まだまだありますが、思い出せないので。

とにかく、問題がなくなることだけが
問題解決ではないみたいですよ♪

そして、方法は個人個人違います。
残念ながら、これさえやっておけば安心
ということもありません。
 
思い通りに行かないことは
決して問題ではありません。
寧ろ 
自分の本音に気づくチャンスです
さらに
もうそれを超えることができる
時期が来ているサインです。

この次元は
我慢の先には我慢
被害の先には被害
闘いの先には闘いしかない
というフラクタル。

これを抜けるには
他者が変わるのを待ったり
コントロールすることは不可能。

自分の世界に起きていることは
全て自己責任。
自分の行動を変えるしかないのです。

どうせなら 私は
自分を信じるフラクタルの方が
いいかな?

結果的に 自分の納得できる
現象を体験することになります。
だって、自分を信じているのだから。

自分に抵抗があるからこそ
同じ大きさの抵抗と対立するように
結びが起きます。

なので、対立が起きるのは
他者だけの責任ではないのです。

必ず、たとえそれが無力な赤ちゃんでも
それ相応の抵抗が自分にもないと
対立は起きない仕組みなのです。

少なくとも私の世界は。
一方的というのはありえません。

反対に言えば
一方に 抵抗がなくなるが
起きてしまえば
何らかの形でその対立は
解消されます。
(両方がないと 対立は成立しません)
無くならない方は 対象を変えて
また別のことで その対立を繰り返します。

なので、他者や環境が変える必要は
一切ないのです。

その一つとして
私は距離を取るという行動が
ただ起きただけなのです。

そのマックスが
主人の父親が亡くなって
遺品整理などを手伝っている時。
整理中 義母は義父の文句ばかり。

一番 引いたのは
亡くなった義父の耳元で
恨みつらみを一晩中。
自分の心配ばかり。
他者には大事にしてほしいと依存。

実は 二日前には 私は
私の祖母を亡くしていたばかり。
詳細が気になる方は以下の記事で
ご覧ください。
https://note.com/mapamapa/m/m54b94ba82b6b

我が家の感じと
あまりにも違い過ぎて
義母の姿を見て 正直 笑いました。

それはともかく
嘘がつけなくなってしまったが故
益々トラブルが絶えない訳ですよ(笑)

私も 他者を傷つけるのが
楽しいわけではないですし、
何より、私は
義母と実母の被害者意識の姿のお陰で
心底同じにはなりたくないと
変わる決意ができたので
感謝してます。

正直、関係性がうまくいっていたら
うまくいっているその環境を
手放せずにいた事でしょう。

なので、我がままだとか
ダメ嫁だとか
周りからどう非難されようが
見られようが
私は気になりませんでした。
距離を置くのが最善と
判断が起きただけなのです。

そもそも万人共通の正解など
無いのですから
非難をする他者に私の正解はありません。
非難する方に抵抗が起こってるだけです。
私には何の問題もありません。

今も後悔してませんし、納得できています。
それに対し不都合なことは全く起きてません。

誰かに攻撃されるわけでもありません。
仮に攻撃されるが起きたならば
それはまた、その攻撃を超えることができる
サインなのですから、全く問題ありません。

ということで、
義母とは今は絶縁状態です。

そして、昨日
子供たちにフラれて
1人で実家に行こうとする主人に
笑いながら 
「私が一緒について行ってあげようか?」
と声をかけたら

主人はスマホで
相川七瀬さんのトラブルメーカーをかけ
私に見せて 出かけて行きました((´∀`*))ヶラヶラ

長々と回りくどく説明しましたが
実は 今日は
上記の太字3行が書きたかっただけです(;^ω^)

最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。











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