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【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた 11

 2019年10月12日、過去最強クラスといわれた台風19号(Hagibis)がマリアナ諸島からアッパーカットを喰わせるように接近、上陸した。

 以下、そのときの新米自治会長の動きを時系列で追ってみた。

【09:08】
 さあ、いよいよ雨が斜めってきた。昨夜、浴槽に水は貯めたし、家回り・庭周りの飛びそうなものも小屋や玄関に収納したし、ランタンの電池も買い替えた。スマホなどはみなフル充電したし、車のガソリンも満タン、ソケット式のコンセント変換器もあるからいざとなったら車で電気も使える。灯油もほぼ一缶あるのでマナスルストーブで煮炊きもできる。

 本日出勤だったつれあいは職場に電話して「自治会の方を優先してください」と言われて休みに。市内はしばらく前に避難準備(高齢者は避難開始)が出たので いま一人暮らしのお年寄り、とくに長屋などの古い建物に住んでいる人から避難意思の確認をしているところ。

※「〇〇〇市避難準備 08:07」

【09:20】
 上記該当のお年寄り世帯8人ほどにつれあいが訊いて回ったが、町内最高齢のAさんは(近所に住む)娘さんが「いざというときは息子の車で移動するので」と。その他の人たちもみんな自宅で待機しておきたい、と。

「トイレが近いから」とか「避難所では横になれないから」自宅のままがいいという声が多かった。「行きたくない~」という方もいたそうで。避難してくださいと言っても、とくに高齢者はそうした個々に寄り添った配慮ができなかったら結局は形どおりだけの呼びかけに過ぎないんだよな。

※「〇〇〇市 大雨・土砂災害 警戒レベル3相当 09:10」

【10:50】
 図書館やコンサートホールを併設している市民ホール内の「避難所」を見てきた。事務所に「自治会長なんで状況を見に来ました」と告げると職員が2名ほど案内してくれた。

 エレベータで2階に上がった会議室(細長い部屋)が3つほど。トイレは廊下を出て突き当り。会議室のままロの字のテーブルに椅子が並んでいる。 「ここに座っているわけですか?」と訊くと「はい」とうなずき、「夜になったらテーブルをどけて、床に(厚くはない)シートを敷いて寝てもらいます。毛布は用意しているので」と言う。

「うちの町内の高齢者のお宅にさっき聞いて回ったんだけど、みんなトイレが近いからとか横になれないからという理由で(避難所には)行きたくないって仰ってるんですよね。う~ん、ここにずっとすわってるのは年寄りにはきついなあ。人によってははじめからシートを用意して横になってもらうとか、個別の対応はしてもらえないんですかね?」と訊くと、考えないでもないというお役所的な返答。

「食事などは持ち込んでくれて構わない」 なぞと言うので、「それくらいかい。あんたが年寄りだったら、こんな部屋に何時間も椅子に座っていて耐えられるかい」という言葉は飲み込んで、「状況は分かりました。ありがとうございます」と言って帰ってきた。

市民ホール内の「避難所」

【11:30】
 市民ホールの帰りに車を駅前のスーパーに回して食材を少々購入。わたしはあとは食事をつくるくらいしか能がない。今夜はカレーがあるので明日以降の総菜に、骨付き鶏肉が安かったので大根やニンジンなどの煮ものをつくっておこう。

 つれあいが朝用意した昼食の焼きおにぎりを持って娘は自室へもどり、「自治会の避難活動に専念するから」と休みを取ったつれあいは「おにぎり食べながらネットフリックスで映画見るわ~」とやはり2階のテレビの部屋へ消えていった。わたしはビートルズの Yesterday and Today をかけながらひとり台所で作業している。まあ、いいけどさ。

【12:50】
 雨風がしずかになってきたので、リビングの庭側の雨戸を一枚開けてみた。関西はこのまま終わるのか? 骨付き鶏肉と大根の煮物がいい匂いを漂わせている。

【13:20】
 雨は少々だが風がふたたび強くなってきた。関西はここから15時くらいまでがピークかな。

 つれあいは映画を一本見終えて二本目に突入している。同僚のLINEで浜松は雨風共に強い、東京はまだ静か、名古屋は奈良と同じ様子。

【18:50】

 15 時を境にぴたっとしずかになった。16時には庭で鳥たちがさえずりだした。その後、雨はしとしとと降り続けたが風はほとんどやんで、台風も過ぎたのかと。

 そろそろ伊豆半島に上陸し、その次は千葉、そして福島かとテレビを見ていたら千葉で震度4の速報。あまりにタイミングがよすぎて“惑星の意思”とでもいったことすら考えてしまう。

 18時半、雨がやんだのでジップ(犬)の散歩に出た。古巣の東京は多摩川や荒川、中川など氾濫のおそれありと。こちらはもうしずかだが、通りへ出るといつもと違う風が吹いている。家回りのあれこれは明日の朝までそのままにしておこう。

 というわけで、幸いにしてわたしは料理をしているだけ、つれあいはネットフリックスで映画を二本見ているうちに、大きな被害も事故もなく台風はわが町内を横目に通り過ぎて行った。

 自治会長になって二年目のこの年。

 わが家がこの町に越してきた頃は賑やかだった地蔵盆もすっかり参加者が減って、夕方の御詠歌を唱えるおばあさんたちもわずか数名ほどになってしまった。御詠歌の後で路地に並べた長机でみなが一杯傾ける風景もなくなってしまったし、人手が減ってテントの設営や撤収も一苦労だ。この世とあの世のあわいに存在するお婆さんたちの御詠歌を聴くのは好きだったけれど、あと何年、聞けるだろうかと思う。

 思わぬ展開で自治会長になって二年。町内の財政(会計)を改善し、ぼろぼろだった掲示板や消火器などを刷新し、自主防災組織活動事業費補助金で防災ラジオも配布し、余裕ができたお金で敬老の日や子どもの日、夏の地蔵尊行事などで町内へ還元し、加えて会則の見直し、地蔵尊行事の段取りの簡素化、ゴミ出しのルールづくり、防災マップづくり、自治会長としての各種催しへの参加、地域交番とのやりとり、広報誌やゴミ袋の配布など、共稼ぎの夫婦としてはけっこう目一杯、町内会の改善・改革のために時間を費やしてきたと思う。

 もちろんそれは、わたしや副会長のSさんだけでなく、わたしのつれあいや会計役のAさんの奥さんらの女性陣の活躍も欠かせない。じっさいに敬老の日などのプレゼントや地蔵盆のときのお寿司を店に注文して、各戸へ配布するなどの実行部隊の多くは彼女たちであった。また平日の役所とのすり合わせや催しへの参加の多くは休みが取れないわたしに代わって、つれあいが多く行ってくれた。

 そうしてわたしたちが目指したのは当初の予定通り、じぶんたちの二年間で旧弊を打破し、続く役員の者たちがやりやすくなるような体制づくりであり、明瞭なマニュアルづくりであった。それはかなりの程度、予定通りにすすんだと思う。町内がどんどん良くなって、あたらしいことがいろいろ始まって楽しい、という声を聞くのもうれしいことだった。

 そうして、満足といえる二年間の任期がもうじきおわる。

【町内会 顛末記】 前半「自治会長というのをやってみた」は、こうしておだやかに幕を閉じつつあるのだが、ここから怒涛の後半戦「町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう」が突如、マグマのように火煙を噴き上げるのであった。お愉しみに。

第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう へ続く。


以下の内容で、連載を予定しています。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう
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