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子どもの日に思った父とDIYのこと

せっかく車を買い替えたのに、さっそく傷を作ってしまった。こんな傷を作ったのは初めてだ。20センチほどの線傷の一部は塗装を超え、恐らく金属層まで到達している。それから、狭い駐車場に停めた時に、隣の車に付けられたであろう傷も見つけた。

車にこだわりは無いけれど、このままでは錆びてくるし、目立つ傷を見るたびに気分が下がる。自宅のタッチペンだけでは対応しきれないので、実家に顔を出すついでに補修することにした。
 
父に傷のことを話すと、どれどれと嬉しそうに付いてくる。適当な研磨剤を出してもらい、傷を撫でる。文字通り撫でている程度の私の腕力に、見かねた父が交代してくれる。

父は、いつのまにか定年をはるかに超えていた。それでも、力を込める腕には筋肉が盛り上がる。みるみる小さな傷が薄くなっていくのが嬉しくて、すごいすごいとはしゃいでしまった。

そのうち、帰省していた兄も加勢して、あれこれと車の世話を焼き始める。最終的に、ケルヒャーでの泡洗車とフロントガラスのコーティングまでしてもらった。世の男性は、娘と妹にとことん甘い。
 
もちろんプロの仕事ではないから、ワックスは多少ムラがあるし、傷も完全には綺麗にならない。傷を直すやり方も、たぶん正確ではない。補修剤も、ガレージにあった使えるのか使えないのか分からない塗料だし、色も厳密には一致していない。YouTubeを見れば、「正しい」ものが簡単に分かって失敗しない。必要な材料も、最安のものがすぐに探せるだろう。

それでも、いま手元にある物と知識と自分の体を総動員して行う作業は、野性味にあふれてたくましく、とびきりクリエイティブで恰好よかった。

DIYとは、こういうものだと思う。そして、そういうスキルが「生きる力」と言える気がする。YouTubeなしでは、暇つぶしすらできない人が増えた。それは、自分にも言えることだ。
 
外仕事するおっちゃんたちの、ユーモアといい加減さと凄みみたいなものに魅了されて育った。だから未だに、技術のある人が好きだ。
 
 いくら上品ぶっても、私はこの父の子だった。それは自分を卑下しているのではなく、自分のルーツに納得したという感覚に違いない。綺麗にデザインされたものを求めて装うよりも、自分の持っているものを見せた方が、たぶん良い。
 
mari(まり)
言葉と紙と手製本。変わった形の本が好きです。2019年から手製本を始め、美術、アートブック、zineイベントへの出展を行うようになりました。2021年から、東日本大震災当時の新聞を綴じる制作を開始。日々の制作をそのstudyとし、制作を通して感じたことを記録しています。

(2023.5.28 BOOKDAYとやま zinezinezineマルシェで無料配布 タブロにリソグラフ印刷)
 

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