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姪と推し活と恩田陸

夏休みに姪っ子が遊びに来たとき「前にまりちゃんに教えてもらった恩田陸の本がおもしろくて、いまその人が書いた違う本を読み始めたんだよねー」という話になりました。

「好きな作家さんは?」と聞かれたら「恩田陸です」と、25年以上答えて続けている私としては、布教活動がうまくいって、してやったり。といった感じです。

こちらでも書きましたが、私はひたすら娯楽のために読書をするタイプで、その趣味嗜好が非常に偏っている自覚があるので、自分から人に本をおすすめすることはあまりありません。人から尋ねられたときも、なるべくその人がどんな本を欲しているかや、どんな嗜好があるかを考えて、そのひとに合っているだろう本をおすすめします。

ですが、こと姪っ子に関しては、小さい頃から「どうも本に関しては、私と趣味が似ているらしい」ということを感じていたので、私がおもしろかったなと思う本で、その年齢なら読めるだろう本を、会うたびにコツコツを刷り込んできました。

はじめに彼女におすすめした恩田陸さんの本は、少年少女向きの(実際の内容はそうでもない)ものでしたが、彼女が自分で選んできた本が、私が中学生だか高校生だかのときに、いちばんはじめに手に取った恩田陸さんの本と同じもので「こんなところで遺伝子の発現が!」と、血の繋がりの不思議さに感心したりしました。ちなみに、恩田陸をうちの家族で読むのは私だけです。父も母も姉もあんまり好きじゃないです(義兄はもともと本を読むイメージがない)。

自分が好きな本をおもしろい、といってくれる人がいるというのは、無条件にうれしいものです。本に限らず、なんでもそうだと思うのですが、「ヨハン(恩田陸の小説に出てくるイケメン)がかっこいい」とか「まさかそういう展開になるとは」とか、同じ世界を共有できるというのは、なんともいいものです。

ここまで書いてきて思いましたが、これって最近の「推し活」とおなじですね。というか「推し活」自体、昔から誰でもやっていたことだと思うんです。自分が好きなものをひとり楽しんだり、それを誰かにすすめたり、好きな者同士で語り合ったり。そういった行動は、一昔前なら「なんだか恥ずかしい」「こっそりやるもの」だったのが、「推し活」という名前が付き、それを本人もまわりの人も、後ろ向きにではなく、前向きにとらえるようになっているのは、なんだかのびのびしていて、とてもいいなと思います。

「男だから」とか「女のくせに」とか「大人なのに」とか、そんな条件づけで自分や誰かの行動を制限していても、好きなものは好きなはずで、他人に迷惑をかけなければ、私はそこは自由に考えたり行動してみたら、うまくいくことのほうが多い気がします。

ということで、今度は恩田陸さんのことについてでも、書いてみようかな。と思います。

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