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【エッセイ】コロネ

姉のあやと私だけが使うオリジナルの言葉がいくつかある。
パン屋さんにコロネというチョコレートクリームの入ったパンがあるが、私とあやは別の意味でコロネという言葉をつかっている。
私たちは、まだ大人になりきっていない、すべての動物の子供のことを”コロネ”と言う。
わかりやすく言うと、子猫も人間の子供も“コロネ”ということだ。

なぜわざわざコロネという言葉をつかうようになったのかというと、単純に私は“パンのコロネが好きだから”ということに他ならない。
祖母のバーパンは私が9歳のときから一緒に暮らすようになったのだが、いつも何かしらおやつを用意してくれたのだ。
そしてある日のおやつがコロネだったことがきっかけで、私はコロネの虜になった。
始めてバーパンにコロネを与えられたとき、私はつい、美味しそうに頬張ってしまった。
それを見たバーパンは、「まりにはコロネさえ渡しときゃいい」と判断したのか、その日から与えられるおやつがいつもコロネになった。
私は悔しかったが、バーパンは間違っていなかった。
バーパンは私がコロネを食べているのを見る度に、「ほんとうにコロネが好きなんだね。」とまじまじとコロネを頬張る私を見つめた。
私は思春期だったので、バーパンはコロネが好きな私をバカにしているんだと思った。
本当はコロネをじっくり味わいたかったが、バーパンにずっと見られながら食べなきゃいけないのが嫌だった。
コロネのしっぽの部分にはチョコレートクリームが入っていないので、“まずしっぽの部分をちぎって、チョコレートクリームをつけながら食べる”なんていう工夫を見られるのもこっぱずかしいので、いそいそと食べた。

私は『バーパンがコロネを買ってくる→私がコロネを食べる→バーパンにバカにされる』
この無限ループに陥ってしまったのだ。

これは思春期の私には死活問題だった。
「バーパンはなぜ、私にコロネを見せびらかし、食わせ、バカにするのだろう?」
私はバーパンに試されているのかもしれないとすら思った。
もちろん、バーパンに隠れて食べたこともあった。
それでも、バーパンは私に与えたコロネがなくなったのを瞬時に察して、「もうコロネ2つも食べちゃったの?」そう聞くのだ。
好きなものを素直に好きと言えなくて、私は必死に「コロネのことはまぁまぁ好き」と、コロネへの本当の気持ちを隠しながら思春期を過ごした。

とまあこんなことから、私はコロネへの熱い気持ちを抑え続けていた。
それが冒頭の話に繋がるのだ。

あやは、私が勝手にコロネという言葉に『子供』という別の意味を持たせたとき、戸惑っていた。
そのときは確か、近所で生まれた、まだ子猫の野良猫をあやが道で見かけて、「猫って可愛いよね、子猫って可愛いよね」と私に言ってきた。
私はそんなあやの言葉に、「ああ、コロネね。コロネは可愛くて当たり前。だってコロネだもん。」と答えた。
するとあやは言葉を失い、その10秒程あとに「え!!もしかしてコロネって子猫のこと!?!!?」と言ったのだ。
わたしはしめしめと思った。
あやは大変驚いていたが、私は敢えてポーカーフェイスを貫いた。
そうすることで、コロネという言葉に安定感が生まれ、早めに定着させることができるのではないかと目論んだからだ。
私はその後も、あやの口から子供とか子猫とか中坊とか、『子供系』でコロネに変えられそうなワードが出る度に全部コロネで返していった。

そして今では、あやもコロネという言葉を大変使いこなしていて、「あの人コロネっぽい」とか「まだコロネだから仕方ない」というようにコロネを自由自在に操るようになったのだ。

今回なぜこんな話をしたのかというと、あやがふと、「一体コロネってなんなの?」と今更気づいて聞いてきたからである。

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