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0と1の信号に変換される世界は、「ふみ」の世界のようにやさしいものではないかもしれない(2022年7月23日#文月ふみの日)

7月は和風月名で「文月(ふみづき」。
23日は「2(ふ)3(み」の語呂合わせで毎月ふみの日とされているので、今月のふみの日は文月ふみの日です。

ふみの日は「手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさを通じて文字文化を継承する一助となるように」という主旨で日本の郵政省が制定した記念日だそうですが、昨今では手紙を書くことがめっきりと減りました。

むしろこうしてnoteを書いているのもパソコンでキーボードを打っている状態なので、「文字を紙に書く」機会自体減っていることを体感しながら、「文字を紙に書く」機会があったとき、ちょっとショックを受けていることが2つあります。

・前より文字が汚くなった
私は硬筆の習字を習っていたので子どもの頃は「ノートがキレイ」といって先生から褒められるほどだったのですが、今は見る影もなくミミズのような文字になってしまっています。

・文字を紙に書こうとしたときに漢字が書けない
パソコンのキーボードで文字を打つときはローマ字入力、もちろん一画一画を書くということはありません。
なので、どの漢字を使うかは分かりますが、形だけを覚えているので、紙にはペンで書けない…といった困ったことが起こるようになりました。


…そして、今このnoteを書きながら試しに机の上にあったボールペンを握ってみたのですが、久しぶりにペンを握ったせいかとても違和感を感じているところです。
ペンを握ったのはいつぶりか?下手するともう半年以上はペンを握っていないのではないかもしれません。

これは退化なのか?進化なのか?
昨今は情報化社会にともなって、インプットしなければならない情報も増え手書きでは追いつかないほどの情報量を毎日確認しなければなりません。
特に私の働くIT業界ではメール以外にもオンラインのチャットツールで毎日情報のやり取りが必要になっています。

初めてインターネットでコンピュータ同士がつながったのが、1969年なので今からたった53年前のことです。


そこから急速にパソコンやインターネットは普及していき、今では仕事だけでなく日常生活でもなくてはならないものとなりました。

以前は手で紙に書いていた文字。
今は0と1の信号に変換される世界、文字だけでなく画像や映像も目に見えない光の道を通るようになっています。


ふみの日にちょっとたまには実家にエアメールでも書いてみるか…と思ってこのnoteを書き始めましたが、今はちょっと不思議な気分です。

昔の人は、「ふみ」といって手紙を楽しんでいましたが、今はどうでしょう。

0と1の信号に変換される世界は、「ふみ」の世界のようにやさしいものではないかもしれない
…昨今のインターネットやSNS絡みのニュースなどをみて、ふと思いました。

本日もお読みくださりありがとうございます。



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