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遺言の日は1年に3回:2022年1月5日(遺言の日)

「遺言の日」は1年で3回あります。

1月5日は「い(1)ご(5)ん」(遺言)と読む語呂合わせとお正月時期で家族が集まる機会であることから日本記念日協会により制定されました。
次は4月5日、「よい(4)ゆい(1)ご(5)ん」(よい遺言)の語呂合わせから。そして、最後の3つ目は11月15日で「いい(11)い(1)ごん(5)」の語呂合わせで制定されています。

前回11月15日の「いい遺言の日」のnoteでは父の遺言書がなかったこと、故人の言葉は全てが遺言となるという話を書かせていただいていました。

年に3回もある遺言の日ですが、できれば考えたくない話題です。
遺言を遺すことを考えるとき、否応なしに誰か大切な人、そして自身の逃れられない「死」を意識しなければなりません。
大切な人との別れはもちろんとても悲しいですし、自身の死については恐怖がつきまといます。

親兄弟に対しても、遺言の話はなかなか切り出しにくい話題です。
特に年をとった親に対しては、「死」を意識させてしまうことで気弱になってしまわないかな?とか考えてしまうこともあるでしょう。

しかしながら、「死」は必ず誰にでも平等に訪れることであり、その反対には「生」がある、裏表の関係です。
よって、「死」を考え向き合うことは、「今」の「生」を大事にすることに気づく機会となります。

それは自分自身のこと以外にも、例えば家族で遺言のことを話す機会があれば、それぞれの心残りを聞く機会になり、生きているうちに心配ごとが減ることもあるかもしれません。

また、11月15日のnoteにも引用させていただきましたが、遺言は臨終の言葉ではありません。

遺言とは、遺す側に必要な言葉ではなく、遺された者に必要な言葉で、遺された者が出あっていかなくてはいけない言葉です。

読むお坊さんのお話

前回11月に日本へ一時帰国したときには、沢山母と話をしました。
母の心配ごとは‥海外で猫と一緒にいる私のことのようです。

心配はしつつも「一度きりの人生なのだから思いっきりやりなさい」と言っていつも私を勇気づけてくれるのが母。

この言葉もきっといつかは母の遺言になってしまうんだなぁと考えていると、やっぱり胸が苦しくなりますが、それは絶対に避けては通れないことです。

私は母のこの言葉を聞くたびに「今」の「生」を大事にすることに気づくことができています。

本当にありがたいことですね。

遺言の日は、故人だけでなく自分の周りの今生きている人たちの言葉をしっかりと聞く(思い出す)日なのかもしれません。

本日もお読みくださりありがとうございます。

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