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養生してみる

今年誕生日が来たら44歳になるらしい。
ゾロ目で縁起が良い、ことにする。

元来体が頑丈ではない私は、ここ数年特に、弱点が強化されているように感じている。
日光にアレルギーを持っている体は、ちょっと調子に乗って日傘をささず日焼け止めも適当にしか塗らず長袖対策もせずに出かけた日には、夜に熱にうなされる羽目になる。
小学校の体育の時間、外で長距離走の授業中に初めて発症した日光アレルギーは、以来時々、忘れた頃に顔を覗かせていたのだが、ここ数年は忘れる暇もないくらいの付き合いになってきた。

お風呂でのぼせた子供のように顔が真っ赤になり、ひどい時はミミズ腫れや小さな湿疹となる日光アレルギーは、細心の注意を払って出かければ防げるものの、人類としての本能からつい日に当たってみたくなったり、周りの目が気になって自分だけ日傘をさしづらいような気持ちになってしまったりして、夜にうんうんと唸りながら発熱して大後悔する。

そんな様子でよく外ロケの撮影とかやっていたよね、と言われるのだが、モデルさんや俳優さんというのは案外日に当たらないように気をつけやすい職業であり、撮影現場では周りも気を遣ってくれることがほとんどなので、遠慮なくいつでもどこでも日傘をさせるし日陰に避難もできるし、それを周りが推奨してくれたりもするので、普通の日常生活のほうがよっぽど日光危険度は高いのである。

夫は最初、日光アレルギーがどれほど苦しいものなのか全く理解できなかったようで「太陽に慣れていかないとね」などど、蕎麦アレルギーの子供に好き嫌いがあって軟弱だと行って無理やり蕎麦を少しずつ食べさせて死の淵を彷徨わせる昭和の祖父母のようなことを言っていたのだが、外に丸一日連れ出した私が夜に寝込む様子を見かねてか、何度か苦しむ私を見ているうちに諦めたのか、最近は無理を強いないようになってきたので命拾いをしている。

アレルギーの酷さは個人差が大きいし、その日の体調によっても反応の酷さは少し異なる場合がある。ちなみに私は他に、鯖アレルギーと揚げ物などに使われた時間が経過した油のアレルギーを持っていて、つまり仕事中に鯖が入った弁当と揚げ物は食べないようにしているのだが、それも毎度必ず湿疹が出るわけではないので、第三者への説明もなかなか難しい。

さらに食べ物のアレルギーは比較的わかりやすく、目の周りや脇の下、膝の裏などにブワッと蕁麻疹が出るので、アレルギー反応だなと私も他人も思えるのだが、日光アレルギーについては蕁麻疹が出る時だけではなく、なんともいえない関節の軋みと悪寒が迫ってくるという目には見えない反応が本人としてはかなり苦しかったりするのである。
そうなると抗アレルギー薬を飲んだ上で、日光を遮った冷たい部屋で1日から1日半は寝ていないと回復しない。正直そんな嫁がいたら、面倒臭いことこの上ないだろう。夫は年中日焼けしているサーフィン大好き人間なのだ。北の海のベルーガと南の海のハンドウイルカが結婚してどうやって生活するんでしょうかね、というレベルで体質が全く違うわけで、おそらくハンドウイルカが究極に譲歩してくれているものと思われ、なんとも恐縮なのである。

さてそんな体質が故、そして北国生まれで寒いのが大好きな故、秋から冬にかけては喜び勇んで体を冷やし、夏に備えて今こそ冷え溜めをせんと頑張っているのだが、ここ最近、どうも体調が変わってきたようなのである。
寒い。おかしい。手足が異常に寒い。いや、そもそも冷たくなってはいたと思うのだが、それをちょっと辛いなと思うくらいに寒いと感じるようになってしまったのである。
どうも変だなと思って体温を測ってみれば33度。あれ、一般的な人類の基準からすれば棺桶に足突っ込んでる温度だけれど。
それでもなんとなく寒いなと思うようになっただけで、夏の廃人のような有様と比べれば格段に体調は良く動けているのだけれど。
さらに異変は続く。
夜中にお手洗いに起きるようになった。おかしい。
そして数年前から時々襲ってくる胸の苦しさが最近ちょっと悪化した。やっぱりおかしい。

しかし病院で検査しても、気のせいですね、ストレスですね、血液検査も素晴らしくバランスが良いので問題ないですよ、なんともないですけどまあビタミン剤でも飲んでみたらどうですか1週間分くらい出しておきますね、で終わるので毎度金を返してくれと思うような結末になり、解せない。

40歳を過ぎてから、人生に執着はないなと思えるようになり、それはおそらくコロナ禍で自分について振り返ったり考えたりする時間ができたからこそ出てきた結論だったのだと思うのだけれど、毎日が「今日が人生で最も幸せな日だな」と思っても嘘はないと感じるようになっているので、明日仮にこの世を離れても、夫のことは心配だけれど、まあ仕方ないのだろうと思えるし、悪あがきもしないだろうなと思う。

さらに我が親族は心筋梗塞罹患率が高く、それは飲酒や喫煙のない親族すらも脅かし、救急車で運ばれて助かった人もいれば、そのままさようならになってしまった人もいる。
彼らは定期的に病院で検査も受けていたような人たちだったため、もし心筋梗塞を医療で防げるものならば、予防成功率は高い状況にあった。しかし、結果は全員見事に心筋梗塞発作を防ぐことは叶わなかったわけである。

そうなるとやはり、いつこの世とお別れになるのかは、神のみぞ知ることと言わざるを得ない。長生きが良いかといえば、素直に頷けないというのが私個人の見解でもある。まあ確かに複利のある投資は長く生きていればいるほど増えていくのかもしれないけれど、結局その増やしたお金はあの世には持っていけない。残された家族の役には立つかもしれないけれど。

私に与えられた状況で、今できることは何だろうかと考える。

今日を全力で楽しむこと。

目の前にある幸せに感謝すること。

明日がお別れの日になっても仕方がないようにある程度毎日小綺麗にしておくこと。

残された人の負担が少しでも軽くなるために出来ることは終わらせておくこと。

必ずくる終わりの日を今から嘆かないこと。

そんなことをポツリポツリと考えながらも、結局は悪あがきをしてみたくなるのか、仕舞い込んだ知識を引っ張り出して、お灸を再開してみることにした。
ドラッグストアでも種類は少ないものの取り扱いがあるお灸は、簡単に試せるものが多い。私が愛用しているのは、土台にシールがついていて、ツボの上にぺたっと貼り付けるだけでお灸ができるというもの。

昔学んだ漢方養生スタイリストとしての知識を復習しながらネット検索も駆使し、
心臓に良い経絡とツボを確認。手のひらを中心にお灸を据える。

じわじわと温まり、心地よく感じるお灸を見つめながら、今必要なのは養生であったかと再確認する。

私とお灸の出会いは30代の頃だったと思う。漢方の勉強をしていたことと、さらには銀座にあったラジオ局でパーソナリティをしていた時にゲストで登場してくださったのがせんねん灸の方だったこともあり、湿布を貼ったりホッカイロを使ったりするようなノリで自然と使うものになっていた。
しかしよく考えれば、お灸は普通に暮らしていたらそんなに馴染みのないものかもしれない。日本に住んでいたらこんなに簡単に試せるものなのに。勿体無い。
ツボを探すのが難しそうと感じられるかもしれないが、最初はなんとなくこの辺かなという手探りでも大丈夫。多少ツボが外れていたってそのお灸中心に温まるのは変わらないし、使っていくうちにだんだんとこれがツボかしらというのが、わかるようになってくる。
足の裏や手のお灸から始めて見ると、案外ハマるので、体調を整えたいなと思っているそこのあなたはぜひこの季節の変わり目にお灸デビューをすることをお勧めする。

私が最近お灸を据えているツボは

肌の調子や花粉症にも良いと言われる「合谷」
心臓の経絡にもつながる「労宮」「大陵」「内関」
足の冷えが気になるので足裏にある「湧泉」

などである。

そんな様子で養生を再開している私は、結局執着はないと言いながらもしっかり生に執着していて、まだまだ修行が足らないのだろう。



今実際に使っているのは、↑「せんねん灸オフ 伊吹」タイプ。
以前はもうワンランク弱いタイプ↓も使っていた。ふくらはぎなど、皮膚が薄くて水膨れになるのが心配なところにはワンランク弱いものを使っている。
伊吹は私の足の裏にはピッタリ。


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