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『ショック・ドクトリン』を直視する

まずは御礼を。

2021/2/15に累計PV数が20万を突破しました。これまで私の記事に目を止めて読んでいただいた全ての方々に深く感謝を申し上げます。私は引き続き書き続けていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

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本日のテーマは、『ショック・ドクトリン』です。

『ショック・ドクトリン』とは?

『ショック・ドクトリン』は、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クライン(Naomi Klein, 1970/5/8-)が2007年に発刊(日本語訳版は2011年)した『ショック・ドクトリン:惨事便乗型資本主義の正体を暴く The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism』で使って、有名になったことばです。

政変・戦争・災害などの危機的状態下、人々がショック状態や茫然自失状態にあることにつけこんで、新自由主義的発想の下に自らの利益追求に走る行為をさすことばで、「惨事便乗型資本主義」「惨事活用資本主義」「災害資本主義」「火事場泥棒資本主義」とでも言うべきものです。

私はナオミ・クラインの本を読んでおらず、水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説に21世紀経済』(集英社新書2017)”第一章「国民国家」では乗り越えられない「歴史の危機」”の中で、『ショック・ドクトリン』ということばが使われているのを見て、興味を持ちました。

資本主義の本質が『ショック・ドクトリン』

この章で水野氏は、資本主義の終焉が近付いていることを説明しています。私なりに要約すると、

● 資本主義の本質は「あくなき富の嵬集(かいしゅう)」である。
● 人類の歴史の中で、国家は資本の下僕(資本>国家)であった時期の方が圧倒的に長い。
● 人類の歴史の中で、二度の世界大戦とその後の米ソ冷戦時代だけは、国家が資本をコントロール下に置くことが可能な時代だった。
● 戦争が身近な環境下では、中産階級の維持・創出が重要であり、その為には"民主主義&資本主義"が相互に補完的で効率の良いシステムだった。
● 経済成長が止まり、交易条件:産出(結果)ー投入(投資)=利潤率 が悪化している、要するに「儲からない」状況になってきている。
● 市場の限界が見えて拡大の行き場を失った資本主義は、電子・金融空間を高速で移動する構造へと変化した。
● 相互補完的だった資本主義と民主主義の蜜月時代は終わり、民主主義の土台となる「平等」や「自由」をも資本主義は破壊してしまう。
● 強者が弱者から簒奪し続けることで(民主主義の産物である)中産階級も収奪の対象となる。

この解説からわかるのは、『ショック・ドクトリン』とは、資本主義の本質に他ならないということです。

惨事が資本主義に積極的に利用される

こう考えると、一連の新型コロナウイルスの世界的流行に便乗した掠奪的経済活動や便乗商法が至る所で行われていることがしっくりきました。

資本は、惨事が起こるのを予測して、あの手この手を準備しながら出動機会を伺っています。実際、コロナ禍でも金融市場や商品市場は健在なので、到来した機会に乗じてたっぷり養分を吸い取っている資本家集団がいます。

生産消費活動の停滞が予想されるこの状況下で、日経平均株価が3万円を超えるという事態は、不思議なことです。歴代政権が頭を捻って策を練り、国民や企業を必死に煽っても駄目だった株価上昇が、こうもあっさりと実現してしまうと、これまでは何だったのか…と暗澹たる気分になります。

例外的状態が平常状態へ

私も含め多くの人が、新型コロナウイルスの流行で自由な移動や会食やイベント開催が制限されているのは例外的状態であり、不安が霧消して早くこれまで慣れ親しんだ平常状態に回帰しないかなあ、と願っていると思います。

でも、過去の「平常状態」が既に終わってしまっているのであれば、平常(と思っているもの)への回帰はひどく贅沢な願望になります。

例外的状態が平常状態になってしまうのは、恐ろしい、嘆かわしい、と思うものの、立ち竦んでいれば、資本主義の本質の波に吞み込まれます。資本主義を維持するには、惨事という注射を定期的に撃ち続けないと維持できないのかもしれません。

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