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『布団座からの帰還』 # シロクマ文芸部

布団から出ると、そこには見覚えのある顔。
見覚えがあるどころか、間違いない、その女性。
記憶よりも少し年老いてはいるが、間違えるはずもない。
そして、その隣には、高校生くらいだろうか、やんちゃそうな男。
そうだ、学校に行かなくちゃ。
立ちあがろうとする。
その時、女性が僕の名前を呼んだ。
「カン君」
「お母さん」
思わず声が出る。
そうだ、この人は僕の母親だ。
「え、兄ちゃんなのか」
男が僕を見つめてくる。

小学校に入って少ししたあの日のことだ。
「学校に遅れるわよ」
と部屋に入ってきた母の声を聞きながらも、起きる気がしなかった。
今日もいじめっ子が途中で待ち構えていると思うと、学校に行くのが嫌になって来たのだ。
布団をかぶって、どうしようか迷っていると、足の裏をトントン、トントンと、まるでドアをノックするように叩く奴がいる。
誰なんだ、勝手に人の布団に入ってきて。
足元を見ると、金色の仮面をつけて黒い服を着た男がこちらを見てニヤニヤ笑っている。
金色の仮面といっても、目の周りだけを覆って両目の横が鳥の嘴のように尖って吊り上がっている。
図書館で見た、怪人二十面相のような仮面だ。
「ねえねえ、カン君」
「おじさんは誰なの」
「おじさんはね、役者なんだよ」
「役者って」
「お芝居とかをやっているんだ」
「すごい、テレビにも出てるのかな」
「テレビには出ないけどね」
「じゃあ、どこで」
その時、男がニヤッと笑ったような気がしたが、仮面のせいではっきりわからなかった。
それに布団の中は薄暗い。
「この奥さ。楽しいよ、いっしょにおいでよ」
仮面の男は、そういうと布団の奥に向かって歩き始めるのだった。
僕も、仕方なくついて行った。
いじめっ子の待つ通学路よりも、こっちの方がずっとワクワクしそうだった。
途中、折れ曲がる階段を何度も降りながら、仮面の男を見失わないように急いだ。
いつも寝ているだけの布団の奥がこんなになっているなんて。
その頃には、すっかり目も覚めていた。

暗い通路をいくつか曲がると、突然明るい大広間に出た。
何列にも並んだ椅子のほとんどは、大勢の人に埋められている。
仮面の男は手招きをして、僕を開いている椅子に座らせると、さっと身を翻して、正面にある舞台に駆け上がった。
一瞬全体が暗くなり、再びスポットライトの中に仮面の男が浮かび上がった。
金色の仮面が眩しく光る。
「ハロー、エブリワン!布団座へようこそ!」
英語を交えた男の挨拶が終わると、男の後ろのカーテンがさっと開いて、いよいよショーの始まりだった。
次々と繰り広げられる楽しいお芝居と、美しい歌。
ダンスミュージックでは、僕も知らない大人に混じって体をくねらせた。
見たこともない光景に僕はすっかり魅せられてしまった。
こんなに楽しいことは今までになかった。

その頃、いつまで経っても起きてこない僕に母は堪忍袋の尾を切らしていた。
しかし、もう一度見に行った布団の中に僕はいない。
知らない間に学校に行ったのだろうと、その時には疑いもしなかった。
「まったく、あの子ときたら」
僕が行方不明者になったのは、その夜だった。
何時になっても帰ってこない僕を心配した母は、先生と一緒にクラスの生徒を訪ね歩いた。
父も、仕事から帰ると家の近くを探し歩いた。
しかし、僕は見つからない。
次の日の朝、母と父は警察に届け出をした。
いっときは、誘拐事件かと大騒ぎになったけれども、犯人からの身代金の要求もなく、いつの間にか、僕のことはみんなの中から忘れられていった。
母と父だけは、何度も警察に出かけて捜査の様子を確認したが、警官を首を振るばかり。

母は僕の部屋で、敷かれたままの僕の布団を見つめていた。
あの日、無理にでも起こしていればよかったと涙を何度も流した。
しかし、どれだけ悲しんでも僕は帰ってこない。
気持ちを切り替えた母は、さっと僕の布団を片付けた。

その頃、僕は延々と続くショーにも飽きて、布団に戻ろうとしていた。
今ならまだ学校に間に合うはずだ。
遅れたとしても、ほんの少しですむ。
それに、もういじめっ子もいないだろう。
もし先生に叱られたら、またこの布団座にやってくればいい。
来た道を思い出しながら、階段をいくつも上がった。
角を何度も曲がった。
ようやく向こうに小さな明かりが見えた。
明かりの向こうに足が見える。
あれは、母の靴下だ。
怒っているかな。
謝って、学校に行こう。
その時、
「あっ」
突然明かりが消えて、布団がなくなってしまった。
僕は、暗闇の中に取り残された。
明かりが消えるその一瞬に、僕は涙を流す母を見たような気がした。

数年後、母は男の子を産み、アルと名付けた。
僕の弟にあたる。
これが、最初に母の隣で僕を「兄ちゃん」と呼んだ男の正体だ。
このアルが高校生になると、使っていた布団も古びてきた。
いよいよ買い替えかと思っていた時に、押し入れにある布団を思い出したのだ。
僕が小学校に入るときに、これから大きくなるからと買い揃えた布団一式。
だから、ほとんど使われていない。
母は、アルの部屋に、その布団を広げた。

そして、再び明かりを見つけた僕が、布団から這い出してきたと言うわけだ。
僕は無事に布団座から戻って来ることができたわけなんだが、さて、これはハッピーエンドなのだろうか。
小学校一年生のままの僕と、高校生の弟。
布団の中の暗闇はほんの一瞬だったけれども、こっちでは10年も経っていたようだ。
今夜は、我が家で初めての、4人揃っての家族会議。
まあ、嫌ならまた布団座に戻るまでさ。

※下のお話を少し書き換えてみました。


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