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『桜回線』# 毎週ショートショートnote

丁寧に頭を下げた春男の目の前で、静かにドアが閉まる。
ドアにもう一度頭を下げて、狭い廊下を歩き出す。
普通なら、徐々に資料が減って軽くなる筈の鞄も、朝から重たいままだ。
そうだよな、桜回線なんて、今更誰も加入しないさ。
階段を降りて、次の棟に向かう。
今日は、この古い団地が担当エリアだ。
いくらでも快適な回線があるなかで、桜の季節しか繋がらない回線なんて、誰が興味を示すものか。
勤め口に困ったからといって、この仕事についたことを、春男は後悔していた。

花子はカーテンをそっと開けて、男が建物から出て来るのを待った。
男はセールスマンだった。
その商品はそんなに魅力的ではなかったが、懸命に説明する姿には好感が持てた。
奥さん、桜の季節には間違いなく繋がりますから。
お金さえあれば、契約してあげてもいい。
そう思った。
今日しかないんですよ、明日にはもう他所の街に行ってしまうんです。
そう男は言った。
男の姿が見えてきた。
一片の花びらが舞った。


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