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(その2)知性改善論(知性の役割について)

 明らかに知性が働いて為されていることの一つとして「正解を導き出すこと」を引き合いに出し、「知性の活躍を明るみに出そう」と思う。
 すなわち、問題を解くにあたって我々はまず命題を理解することから始める。(いやそうしなくてはいけない)つまり、その正解に行き着くための足りない何かしらを補うことにおいて、その命題の方向及びおおよその距離を命題は示しているということを我々はまず何よりも先にそれを理解しなくていけないのである。なぜと言うに、大抵問題を解くというのは逆算だからである。方向や距離が分かれば準備ができるようになる。つまり、逆算が可能になるのである。そして次にその過程において、命題Aに含まれた何個かの命題Aに関連した小さな命題を我々は見出すのである。なぜと言うに、命題の主語と述語は複数の何かしら(主にそれは概念である)で構成されており、そしてそれを理解するというのは実際、その命題のより正確な方向及び距離を明るみ出すことであるからだ。
 さて。以上の命題に対する細工は知性が行ったはずである。では、もっとより一層綿密に正確にその細工を解説するにすなわち、まず人間はアプリオリに物事を認識する。つまり、そのもの自体の大前提を認識するのである。(無論それは教えられないものである)例えば、「問題が存在することはなぜか」と問われても我々はまず、その存在を経験をもって説明できない。すなわち、「問題が存在するという認識」はアプリオリ的概念に則って為されているのである。(まあ、このことから人間はアプリオリに認識する、できる生き物なのである)だからつまり先ほどの問題と合致させると、まず我々は知性のためのアプリオリ的判断を知る必要があるのである。
 では次に。それに則った知性の活動について。すなわち簡約に言うと、知性は「関連性を見つけ出し関連させる」、という活動を主にするのである。それは以下のことから明らかである。すなわち、「人間の知性の役割とは何か」という命題において我々はまず前述の通り、アプリオリ的概念からアプリオリ的に認識して個々をまずは知る。そしてその次に人間は実のところ、「アプリオリ的な物事とそれを用いて得た経験がアプリオリ的概念と一致した場合に人間はそれを真実である」と見なすのである。そして、その時に用いられるものこそがまさしく知性なのである。以上をもって、知性の役割とは物事の本質らしいそれらを関連させることなのである。


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