高校野球で得たモノ②「覚悟」

前回の「挫折」では、僕が選手を引退することをメインに裏方へと転向した経緯を書きました。ですが、まだ学生コーチではありません。裏方です。

ということで今回は裏方→学生コーチになった話をしていきます。

裏方というのもマネージャー業のことで選手引退から学生コーチになるまでの2週間しかやりませんでした。なぜなら2週間で監督から「学生コーチになれ」と言われたからです。もちろん最初は「やらないか?」でしたけど、僕が2度も断ったので最終的には「俺が大丈夫って言ってんだから大丈夫!お前は学生コーチをやれ!」と背中を押されコーチに転身しました。

ここまでの話で疑問点があるとするなら(誰も読んでないだろうけどwおかげで気楽に書けます。。)①なぜ僕が2度も誘いを断ったのか②なぜ監督は半ば強引に僕を学生コーチにしたのか、の2点ですね。

①の理由は、「この戦力外の俺なんかがコーチなんて無理!!」でした。自分たちの代の時だったので部員にはもちろん僕より上手な同級生だっていましたし、後輩もいました。そんな中、このまえ競争から脱落した人間が2週間たって上の立場になるなんて普通考えられませんよね。なので僕は踏み出せず誘いを断ったのです。2度も。今考えたら随分と失礼ですね、上司からの指示を2度も拒否したんですからw監督さん、ごめんなさい。

②に関しては多分ですが、翌春から1軍2軍制を設けるために2軍の指揮官かつ監督自身の右腕が欲しかったからではないでしょうか?僕には「いろんな部員に選手の頃から技術のアドバイスをしているのを見ていた。」とか「できるからやらせた」(←これちょっと嬉しかった)とか言ってましたね。

ともあれ踏み出せなかった僕の背中を監督が押してくれました。ついに「覚悟」を決めたのです。決めなければなりませんでした。秋冬ではコーチとして40名以上の技術指導、翌春からは2軍監督として紅白戦、練習試合で指揮をとりました。本当にやりがいがありましたし、野球に夢中になれました。「‘‘野球をする‘‘ということは‘‘プレーすること‘‘だけじゃない」と監督は日頃から言ってくれました。すごく支えられました。

‘‘覚悟する‘‘のはあくまでも自分です。一人で腹をくくらなきゃいけない場面もあります。でも‘‘覚悟させてくれる人‘‘がいて‘‘覚悟する‘‘とより強くなれる気がします。みなさんにもそんな方がいてくれることを願います。若者が生意気なこと言ってごめんなさい。でもいるならその人をどうか大切に。

今回はここまで。前回読んでイイね押してくれた方(「スキ」ボタン?でしたっけ)ありがとうございます!!こんな話は近しい人にしか話したことがないため、世間の方がどう思うかすごく気になります。是非、感想でも批判でも下さい。それではまた次回!!

MARS

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?