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最期の日まで


 あぁ、やっと話せる。

 先日伯母が亡くなった。前回の記事を書いた後から、たった1週間しか伯母の命の時間はなかった。早く知っていたら記事を書く時間すらも伯母と一緒にいれたのに。そんな後悔ばかり、今も降り積る。

 癌と宣告されてからトータルで2週間。
早すぎる2週間だった。なにかもっと出来たはずなのに、何にも出来なかった。悲しみを受け止めることも出来ず、死に向かっていくのんちゃんの隣で見守ることしかできなかった。

 24時間一緒にいたからか、痛みがでたからかのんちゃんは私の介護に不満だった部分も多かったように思う。私には介護経験も知識もない。ご飯を口に運ぶのも下手だし、何回やっても歯磨きさせるとうがいの時に必ず水を溢してしまう。マッサージをしても適度な強さが合ってるのかもわからない。私が失敗するとのんちゃんは嫌そうな顔をする。そんなのは当たり前だ。私だって手術で1ヶ月寝たきりだった時に、思うように身体を動かせず何をしても不便な身体に苛立ったものだ。「ごめんね」と謝るたびに、心では泣く立場じゃないと思っていても、どうしても涙が出そうになる。今回介護すると決めた時に本やネットの記事を読んだりはしていたけど、実際に行うのとは全然違った。戸惑うことばかりで、のんちゃんが喜ぶようなことを何ひとつできなかった。「ずっと一緒にいてくれるなら安心だね、のんちゃんも嬉しいね」と親戚の人は言ってくれたけど、介護経験の兄がいる時の方がきっとのんちゃんは安心して快適に過ごせるはずだ。

 父に相談した。メインの介護は私ではなく兄に変えた方がいいんじゃないかと。私は一緒にいれて嬉しいけど、のんちゃんは嫌なのかもしれない。できるなら「私が一緒にいたい」よりも、「のんちゃんが一緒にいたい」を優先したい。残された時間が少ないからこそ、私のエゴを通すわけにはいかない。

「あのな。のんちゃんは本当に、誰よりもお前の事が心配で大好きだったんだ。」

 父はただそう言って私の頭を撫でた。その日は寝る前にたくさん泣いた。私だってのんちゃんが好きだ。のんちゃんだって同じように私のことを好きでいてくれたんだと、私も信じたい。今日はたくさん泣いて、明日からはもう泣き言を言わないぞと、心に決めた。もっと勉強してのんちゃんが少しでも過ごしやすい日々を作ってあげたい。兄にお願いしてうがいの練習をさせてもらおう。身体の拭き方やマッサージはYouTubeを何度も見よう。泣き言を言う暇を全部のんちゃんに使おう、と思いながら眠りについた。

 それからのんちゃんは日を重ねる毎に容態は悪化していった。治療をしていないので良くなることはないのだが、それにしても早い進行だった。家に帰ってすぐの頃は話せたしご飯も固形物をしっかり噛めて食べられた。なのに家に着いてから3日後には会話はほとんど出来ない。ご飯もアイスクリームやゼリーしか食べなくなった。噛む力がほとんどなく、口に入っている感覚も鈍くなっているようで「口に入れたよ」と毎回伝えていた。意識は弱くなっていたかもしれないが、美味しい?と聞くと小さく頷いてくれる。それだけでも、のんちゃんが生きてくれて居るだけで本当に嬉しかった。

 家に帰ってからの5日後には全身が痛みだし、ついには痛み止めが効かなくなった。看護師さんに相談して痛み止めが入る量を変えてもらった。痛み止めを追加しても痛いと唸る。どこが痛い?と聞くと「ぜんしん」と途切れ途切れの呂律の回らない声でそう言う。
 見ているのもキツかった。のんちゃんが一番辛いのはわかっているのだけれど、こんなこと思っちゃだめなのかもしれないけど、もう楽にさせてあげたかった。足の浮腫みが取れなくて、優しく拭くことすら痛がってしまう。手足は氷のように冷たいのに暑いと言う。「いた、い、いたい」と言う声に気軽に「がんばれ」なんて言えなかった。だって、もう、ずっと誰よりも頑張っているのだから。

 その次の日には昨日が嘘みたいに痛いと言わなくなった。代わりに水もアイスも口にしなくなり、呼吸がいつもと何か違う。その日に来た看護師さんには「かなりステージは悪化している」と言われた。テンパった私は家族全員に今日家に来てほしい、とラインした。たまたまみんな次の日を休みにしていたので、夜には全員集合出来た。夜には呼吸は顎でするようになり、呼びかけには反応もない。
 父が「危ないかもな」と溢す。「今のうちにお前ら寝とけ」と言われて無理やり部屋に戻された。眠れるわけがなかった。きっと兄も、父も同じだったと思う。

 「おい、お前ら来い」
父が私たちを呼んだのはその1時間後だった。行くとのんちゃんの呼吸が止まったりまた息したり、を繰り返していた。今ならまだ伝わるから。手を握ってやっててくれ。そういう父の目は真っ赤だった。兄2人と順番に手を握る。昨日とは違い、温かい手だった。ちゃんとここにいる。生きている体温だった。「のんちゃんまだ置いて行かないで」と言った。涙なのか鼻水なのかわからないけど溢れて止まらなかった。

 眠るような最期だった。人の呼吸が静かに消えるのを見たのは、初めてだった。のんちゃんの身体はまだ温かいのに、死んでしまった。まだまだやりたいことや行きたい場所も話したいことも聞きたいこともあったのに、死んでしまった。今まで我慢していた悲しみが一気に襲ってきて、のんちゃんのベッドの横で大泣きした。悲しい気持ちに限界はなかった。ただ、ひたすらに悲しかった。悲しくて寂しくて、やっぱりどうしても悲しかった。

 その後は葬儀を終えて私は日常に戻った。葬儀でもひとしきり泣いてしまったけれど、戻ってしまえば遠い昔のことのようにも思えてなんとかやれている。だけれど夜になれば思い出が悲しみと共にやってくる。仕事終わりに上野駅で待ち合わせて一緒に帰ったな。この店、一緒に時計を買いに行ったところじゃん。ここのご飯、味付けが全部しょっぱくて帰りに水買ったっけな。街中の至る所にのんちゃんとの記憶が散りばめられている。

 忘れられない。いや、忘れてたまるか。
今まで散々心配かけちゃったけどさ、私は大丈夫。時々やっぱり泣き虫にはなってしまうけれど、私は大丈夫だよ。しっかり、自分のペースで生きていくから。だから安心して、ゆっくりおばあちゃん達と過ごしてほしい。そしていつかまた会えたら、聞いてほしい話も聞きたい話もたくさんあるんだ。また昔みたいにコタツに入りながら夜通し喋ろう。大好きなかりんとうも用意しとくから。


 大好きです。今でも。そしてこれからも。
   ほんとうに、30年間そばに居てくれてありがとう。



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