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その本は、私が感じる不自由さを言語化し、私の代弁者となった。

私は脳出血を起こした自分の脳に、なにが起きているのか、これからの将来、自分がどうなるのか、不安でたまらなく、ひたすらインターネットで答えを見つけようとしていた。
その時、偶然見つけたのが、ルポライターである鈴木大介さんが脳梗塞を起こした自分の脳について書いた本である。
養老孟司さんが、その本をこのように紹介している。

「人が変わること」とは「「脳が変わること」。その脳の変化を当事者が記録した、貴重なドキュメントである。ーーーーー 養老孟司

そして、何より、”深刻なのに笑える”と書かれたオビを見て、速攻、ポチった。
それが『脳が壊れる』(新潮社発行)、つまり私の第2の人生のバイブルとの出会いだ。
この本は、自分が置かれている状況がわからず、困惑している私にわかりやすく説明してくれ、いま、自分がなにに対して、どういうふうに困っているか、他者へ代弁してくれる本であった。


本を読み始めると、”これだよっ!”、”わかるわぁ〜〜〜!”の連続だった。

私は、今でも半空間無視をうまく説明できない。「視野欠損と何が違うのか」とみんなに疑問をぶつけられる。
しかし、筆者は排便紳士という爆笑エピソードを交えてこう説明している。
「僕は自分の左側の世界を「見えていても無視」したり、左側への注意力を持続するのが難しい脳」と。
つまりは、実際には見えていても、決して自ら無視しているのではなく、脳が勝手に無視してしまっているのだ。
私は、これを読んだ時、”これだよっ!” と感激したのを覚えている。

急性期病院で歩行のリハビリ中、初めて自分の半空間無視を自覚した。
理学療法士(PT)さんが、「せこさん、あの車椅子のところまで歩いてみましょう」と言った時、
私は、思わず、「先生、どこに車椅子ありますか??」と言ったのだ。
そうすると先生は、私の体を左側へ少しだけ回転させ言った。
「ほら、あったでしょ?」と。
そして、「これが半空間無視だよ」と説明してくれた。
そこには、私が乗っていた車椅子が何事もなかったかのように鎮座していた。
私は、自分の左側にあった車椅子が実際に見えているにもかかわらず、そこに存在しないと脳が勝手に判断し車椅子の存在を無視したのだ。
だから、私は車椅子の存在に気がつかなかった。
周りからは、単に視界に入ってなかったんじゃないの?と言われた。
”そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ。”、”あー、なんて言えばいいんだろう。” と悶々とする中、
筆者が私の気持ちを代弁してくれた。

まだまだ、”わかるわぁ~~〜!” という話はたくさんあった。
筆者は、「少しでも脳を使うと、すぐに瞼が重くなる。」と漫画すら読めなくなってしまったと書いている。
私自身も急性期病院時、少しの時間なら活字が追えて本を楽しんでいた。
でも、時間が経つにつれ、頭がボーッとし、最終的には、頭が重く感じ本を置き、ベッドに横になっていた。
活字がダメならと思い、ファッション雑誌なら大丈夫だろうと読んでみても同じ結果だった。ひどい時には、テレビさえもボーッとなってしまった。
でも、回復期病院時にはこの現象も落ち着き、筆者の本を爆笑しながら読んでいた。
ボーッとするのはなんでなのだろう?、なぜ、本が読めないのか?と疑問に思うことに、筆者はちゃんと答えてくれていた。

「人間には肉体的疲労、精神的疲労のほかに、精神的な疲労というものがあり、あらゆる神経は使いすぎた筋肉が動かなくなるのと同様に、疲労によって動かなくなる=意識レベルが低くなり最終的には寝てしまう」

私の場合、寝てしまうまではいかないが、、意識レベルが低くなっている=ボーッとする感じだった。
当時、”脳ミソが疲れちゃうのね” と妙に納得したのを覚えている。

自分と似た症状について、その病症ってどういうものなのか、なぜそうなってしまうのか、筆者のエピソードを通じてわかりやすく書かれている。
これは、私が、”どうしてこんなことが起きちゃうんだろう?”、”なんで??” と困惑していた状況をすんなりと解決してくれた。
筆者の説明や知識は、私がネットで調べた難解な専門的記事よりも、そして、何よりも病院の医者よりもわかりやすく、さらに情報が豊富であった。
人間、わからないことだらけになると不安になる。
しかし、この本の中で、筆者の経験や情報、知識を得ることで、私は、”何もわからない”、”これからのことがわからない”、という不安から解放されたのだ。
私は、救われた。


代弁者、現る。

動かなくなった左手足に、私は、”動け~~、動いて~~” と念を送りながらリハビリを行なっていた。
しかも、どういうふうに動かしたいかとイメージを思い浮かべ、それを身体中に巡っている神経の経路に沿って、そのイメージの塊が動かしたい場所へ流れていく妄想をするのだ。
んー、なんとも説明しにくいのだが、
手足が動く映像イメージを血管に流れる赤血球にくっつけて、血管の中を目的の手足まで運ぶと言うイメージだろうか。
私のように、ここまで複雑ではないが、筆者も指を動かす時に、「動け~~」と念じているという。
みんな考えること、やること同じだ(笑)。
さらに本を読み進めていくと、興味深いことを述べていた。

「知られているように脳細胞は非常に複雑なネットワークでその機能をなしていて、死滅してしまった脳細胞があったとしても、その周辺の生き残った脳細胞が、かつて死滅した脳細胞が担当していた機能を補ってくれるという、とんでもない潜在能力を持っている。」

一度壊れた脳細胞は、2度と戻らないと知っていた私には、驚きの事実だった。
”まじで?!代用できんの!!脳ってすげーな!” である。
その事実を知ってからは、”補え~~、繋がれ~~” と頭の中でシナプスが繋がっていくイメージを持ってリナビリに励んでいた(笑)
また、筆者は、後遺症の回復について次のように述べている。


「発症直後に大きく回復を見せるのは当然だが、〜(中略)〜 病後半年以上経ってからも非常に穏やかに回復は続く」

通常、医者は「6ヶ月ほどで回復はほぼ停止。」と論じることが多いが、筆者はそう言ってないのである。
これには、
”必ずしも、6ヶ月で回復は止まらないんだぁ。” と希望が湧いたのを覚えている。俄然、リハビリのやる気がでた!なんとも、単純な私である。
”やればやるだけ、その成果は自分に返ってくるのでは?!” とリハビリにそれまで以上に励んだことを覚えている。

だが、リハビリを重ねても不自由さや、できないことは、次から次と出てきた。
筆者も同じように述べている。

「もう大丈夫だと思ってもより深く日常に戻っていく中で、後から後からやれなくなっていることが明らかになる」

歩けるようになり、町歩きの訓練へ出かけた時、私は人混みの中に入れなかったことがある。
周りの人の歩くスピードにうまく乗れないのだ。
いつまでも、大縄跳びの中に入れずに身構えている子供のように、入るタイミングがわからなかった。

私は、自分にとって何ができなく、どこに不自由さを感じるか知りたくて、リハビリ時に片っ端から色々なことにトライしていた。
なぜなら、やってみないと以前できていたことができなくなった、不自由さを以前より感じるようになったと実感できないからだ
どこか違和感がないか、以前より少しでもできなくなったことはないかなど、些細なGAPを感じるべく感覚を研ぎ澄ました。薄くなった感覚をフル稼働させながら。
そうやって、私は不自由さ探しを始めた

しかし、ここでさらなる問題にぶち当たった。
わずかな違和感、不自由さを感じても、それを他者へ表現できない。伝えられないのだ。
そもそも、OTさんは、倒れる前の私を知らない。なので、倒れる前の私と、倒れたの後の私に違和感やGAPがあったとしても、それを理解してくれない、というか、それがあることさえわからない。
また、そのわずかな違和感が特に日常に問題ないレベルと判断されると、このわずかな違和感は放置される。
でも、私の中でそのわずかな違和感は、気持ち悪い存在であり、早く取り除きたいの存在でだった
そんな気持ち悪い状況の中、この本は代弁してくれていた。

「高次脳機能障害者の多くはこの不自由感やつらさを言葉にすることもできず自分の中に封じ込めてただただ我慢しているのかもしれない。」

思わず、「ハイッ!それ、私です!」と叫びそうになった。

筆者は自分の使命をこう書いている。

「いま「なにが出来なくなって」「なにを不自由に感じて」「どのように苦しいのか」を発見し、言語化し、それをどうにかして他者に伝える。
 すなわち自らの「病識」をもち「不自由さの言語化」をすることが、何よりこの障害と立ち向かう武器であり、記者としての使命だ」

実際、この本はいろいろな不自由さを言語化してくれている。
さすが、餅は餅屋!!!
思わず笑ってしまうエピソードから、脳の特徴や病症、不自由さや、その時々に感じる気持ちがプロによって言語化されている。
そしてその言語化されたものは、「わかるーっ!!」という共感できる部分から始まり、脳の特徴や病症、同じような不自由さや、その時々に私が感じてきた気持ちを十分に代弁してくれていた。
これ以上の私の代弁者はいないのだ。
この本に出会ってから、自分の状況、不自由さ、気持ち、病症について誰かへ伝える時、筆者の言葉、そして本を引用させてもらったことは必然だった。

どうしても読んで欲しかった。

私の母は子供に対してかなりの過干渉だと思う。
と言っても、私は親になったことがないので、どれくらいが普通なのかわからないが。
きっと、世間一般的な感じかもしれない。
面倒くさいなぁと思いながら、それなりに母と付き合っている。
でも、流石に、倒れてからは付き合いきれなかった。
と言うより、私には、母に対応できるほどの余裕がなかった。
毎日、「大丈夫?」「調子はどう? どんな感じ?」「今日のリハビリはどんなだった?」質問の嵐だ。
でも、私には、その質問に答えられるほど、自分の状況を理解できていなかったし、分かっていても、どう表現していいかわからなかった。
しかも、”あなたに言ったところで、どうにもなんないでしょ” と性格の悪い私が常にいた。
だから、母の質問に対する答えは、毎日、
「うん」「うん」「うん」「しんどいからもう寝る」だった。
そうすると、母は悲しい顔を必ずする。当たり前だ。
娘は頭の中の血管をブチっと切れて倒れたのだから。
”娘はいなくなるのでは?”と、”この子の将来はどうなるの?”と不安な気持ちに押し潰され、悲しみの毎日だったはず。
私は、そんな母の顔をみたくなかったし、見ることが自分のこと以上に辛かった。
”ごめんね、心配かけちゃって。”と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
そうやって、母の悲しんでいる姿は、私をネガティブにさせた。
そんなネガティブな中、泣きそうになる母を見ると、
”泣きたいのは、こっちだよ!” と苛立ちさえも覚えて、怒りをぶつけてしまった。
そして、面会の後、母へ怒りをぶつけたことに対する罪悪感に襲われるのだ
さらにネガティブ!
ネガティブのオンパレードだった。
正直、自分の病気のこと、母のこととダブルでキツかった。
そうやって、ますます、母を自分から遠ざけていった。
リハビリについてくると言い張る母親に「ついてくんな!!」と叫んだことさえあった。
筆者の本の中でこう書かれている。

「「助けようとしてグッと距離を縮めてこられると、両手を前に突き出して拒否したい気持ちにもなってしまう。相手が嫌いなわけじゃないから、なおさらその善意を跳ね除けてしまうことがまた申し訳なくて、一層疎遠になってしまいかねない。「頼れる相手」や「頼るべき相手」と「頼りたい相手」とは、別物なのだ。」

私はまさに、これだ。

母をこれ以上悲しませずに、距離をおいてもらうようにお願いする言葉なんて、私の脳ミソには高度すぎた。
今なら、あの時の感情を整理することができ、相手を傷つけないように自分の考えや気持ちを表現したり、相手を不快にさせずに、こちらのお願いを述べることもできる。
でも、あの時はできなかった。
自分のことで精一杯だった。
そして、またしても、私の気持ちをこの本は代弁してくれていた。

「もしあなたの近くに、孤独な当事者(高次脳や脳疾患者)がいるならば、〜(中略)〜 まず「行動」してほしいのだ。
〜(中略)〜 最も身近な人々に頼れない人かもしれない。〜(中略)〜。 苦しみを具体的に言語化することは多くの人にとって非常に難しいことだから、出来なくて当然だ。
であれば、「助けてほしい」の声を待つのではなく、「大丈夫?」と聞くのでもなく、その人がしてほしいだろうことを黙ってやってあげてほしい。」

これは、この本の最後に書かれている筆者の願いである。
私は母へ
「この本に書かれていることが、今の私の全てであり、思っていることだから・・・・」
とこの本を手渡した。

そして、この筆者の願いによって、私は救われたのだ。

と、ここで終わらせたかったのだが、この本でもう一人、私を救ってくれた人がいる。
それは筆者の奥様の”お妻様”である。
お妻様(敬意を込めてそう書かせていただく。)は、とてもユニークなキャラクターの女性だ。
この本を読んでいた時、失礼ながら、”ぶっ飛んでんなぁ〜〜” というのが彼女に対する感想だった。
その彼女の発言によって、自分の心がとても軽くなったのを覚えている。
筆者の病後、筆者がお妻様の生きてきた世界を知った時、お妻様が筆者へむけた言葉である。

「あんたの場合は時間薬で治るんだから、今は楽しめば?結構楽しくない?」

『結構楽しくない?』・・・いやいや、辛いし、きついよ。と思う反面、納得している自分もいた。
なぜなら、すでに自分は楽しんでいたから。

リハビリで自立(自分の力だけで立つ)訓練、歩行訓練している時、私は常に考えていた。
人間はどうやって立つのか、歩くのか
そもそも、人間は、物心ついた頃には、普通に立って、歩いている。
どの筋肉を、どういうふうに使って立ったり、歩いたりするのか、実感するする機会がない。
実感していても、あまりにも幼少期すぎて覚えていない。
そんな普通であれば実感できない経験をし、”これは、とても貴重な経験だなぁ。” といつも感じていた。
”こんな貴重な体験、できて面白い!!!” とさえ思っていた。
さらに、そんな中、リハビリに励み、倒れてから初めて自立(自分の力だけで立つ)ができた時だった。
腰を上げ、しっかりと自分の足で立ち、車椅子から手を離す・・・・・
その時、私の頭の中に、あの曲が流れてきた。


♪♪ 口笛はなぜ、遠くまで聞こえるの 
   あの雲はなぜ 私を待ってるの 
   教えてー おじーさん
   教えてー おじーさん ♪♪

そう、【アルプスの少女ハイジ】だ。
さらに、「クララがたった! クララがたった!」という台詞のリフレイン(笑)
おお!!、私、今、クララじゃん!(笑)
完全に、ハイジごっこをして楽しんでいるのだ。

できるならば避けたかった経験だけど、なってしまったものはしょうがない。
なってしまって、落ち込んでいるよりも、この経験を楽しんだもん勝ちだな。
貴重な経験できて面白い!!、ハイジごっこできて。楽しい!。
そう思えたら、心がふっと軽くなった。


※後記
6000文字以上ものとんでもない長文な上、拙い文章を読んでいただき、誠にありがとうございます。
書いている途中、これ、書き終わるのか?、ちゃんと伝わるか?と不安でしたが、なんとか書き終えることができました。
きっと、筆者が伝えたかったことと、私の解釈がずれているところが多々あると思います。
それでも、私の感想文?を読んで、「この本、読んでみたい!」と思っていただければ嬉しいです。
そして、今、症状に苦しんでいる方、その苦しんでいる方の周りにいる方が、少しでも心がふっと、軽くなればいいなと思います。

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