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【読書録60】致知 2022年10月号 「生き方の法則」感想

 今回で読書録としては、60本目、致知の感想としては、13本目の投稿となる。

 そもそも読書録を書こうと思ったのは、読んだことがなかなか頭に残らず、行動につながっていないという課題意識からである。

はたして、その課題に対して進歩しているであろうか。反省する点は多い。

総リード 生き方の法則

 
 今号の特集のテーマは、「生き方の法則」

 中江藤樹の言葉を紹介して、「心を修める学問」こそ、人が第一に学ばなければならない学問であるとする。

学問には品あまたありといへども、心を修むる学問のみ正真の学問なり。この正真の学問は天下第一等のことにして人間の第一義なり

 心を修めることこそ、人間にとっての「生き方の法則」であろう。

 今年で44周年を迎える致知で今まで取り上げた心に残る言葉が多く取り上げられている。総リードで紹介された数多くの言葉の内、3つほど取り上げたい。

人間学の結論は最高の教育を受けた人間もその後の自己陶冶なくしては立派な人間になれない。各人の自己陶冶によってのみ大業も成し得る。(安岡正篤)

生きるとは情熱をもって燃えることだと思います。燃える心を忘れているような生き方は気の毒な生き方ではないでしょうか。(平澤興)

どんな逆境にあっても決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて心穏やかに道を楽しむ。これは天命だと受け入れることが大事なのである。すると、霧が晴れるように視界が開けてくるものである。(渡部昇一)

そして、こう締める。

「生き方の法則は万古不易である。」

 まさに先達たちが、懸命に生きる中で掴んだ法則は、不易であろう。これからも致知を通じて、人間としてどうあるべきか学びを深め、実行していきたい。

そう、何よりも実行である。

いま、ここ、自分を精いっぱい生きる

 
 90歳を迎える尼僧・青山俊董老師と円覚寺管長・横田南嶺老師による対談記事である。
長きに渡り、多くの人の生き方の指針となってきた、仏教・禅こそ、万古不易の生き方の法則の宝庫である。

まずは、青山老師が紹介する、道元禅師の言葉から。

学びの足りない人間ほど、”もう十分だ”と思って学ぶ気が起きない。学びが深く高くなるほどに、本人の自覚としては一層足りない自分に気づき、限りなく学ぼうとするものである。

 さらに、修行して気づいたことも、自分のその時の持ち合わせの受け皿の寸法のものしか得られないという「産学眼力のおよぶばかりを見取会取するなり」という言葉も紹介する。
1日1日ごとに、受け皿を伸ばしていく。そんな生き方をしたいものである。

 次に横田老師の言葉から。
青山老師の師である余語老師の提唱から以下のように教えられたという。

塵一つないのが、禅の世界と思って修行してまいりましたが、塵の中でも平然としていられるのが禅の世界であることを教えられました

その意味するところは、青山老師がそれに対して言っていることと同じではないかと感じる。

道元様は「身肉手足を断つことは易きことなり。より来ることに心品をととのうるは難きなり」とおっしゃいました。より来ること、即ち一瞬一瞬、目の前に起きることに対して心を整えていくのは容易ではない

どんな状況でも心を調える。なかなかできないことである。今号の特集テーマである「生き方の法則」の一番の根本ではないだろうか。

横田老師の以下の言葉も心のこと、仏心のことを言っている。

「我がこの心こそ仏である。日常のあらゆる営みが仏の営みである」と自覚できれば、それが禅なのではないでしょうか。いかなる働きも仏の行いだとすれば、主体性をもっていきいきと生きなくてはいけない。

主体性をもって生きる。自分がどうありたいか。
それは、青山老師の言う、「欲の方向付け」ということに繋がってくると思う。

欲を自分の方に使えば煩悩となり、正しい方向に使えば誓願行になる。欲イコール悪ではない。「勉強しよう」「修行しよう」「少しでも世のために」というのも天地からいただいたエネルギーです。欲がこのような誓願に向いたとき、限りなく大欲張りになれと説かれています。

自分が生かされているという感覚、同時に主体性を持って生きると考えた時に、どう生きていくか。人生を貫く問いである。

人生における成功とは何か

 
 オイシックス・ラ・大地社長・高島宏平氏とミシュラン一つ星を獲得したsioオーナーシェフ・鳥羽周作氏の対談記事である。

 31歳になってから料理の世界に入ったという遅咲きの鳥羽さん。最初からこの世界でやっていけるという確信があったという。その根拠として、「将来をディテール(詳細)まで創造できるかどうか、その精度の差」であるという。

 それを受けて高島氏は、こういう。

結局、「こうなる!」と心の底から思い描けたら、それで仕事の半分は完了しているも同然なんだということです。思いが定まったら、後は実現のために行動するのみ。

またこうも言う。

それが心から思った目標なのか、ただ口にしているだけの目標なのかで、天と地ほどの差があるなと痛感しています。

 創業社長として、オイシックスをあれだけ成長させてきた高島氏の言葉には、重みがある。

 本気で何を志すか、またそれをディテールまで思い描き、後は、実現のために行動するのみ

またお二人が、取り組んでいることの共通点として、自分と向き合う。自分を俯瞰して見るという点が面白かった。

高島氏は、飛行機に乗るときに、「視座を高めて自分を俯瞰」し、「この人生において、いまはどんな時期で、どうするのがベストなのか」と、ぐつぐつ煮込むという。

 そして、鳥羽氏は、1日2時間、毎晩歩きながら自分と向き合う時間をつくって、一日の出来事をきちっと整理することで次に進めるようになったという。

休みの日は、1日15~20分の瞑想をするようにしているが、もう少し自分を内省する時間を持ちたいと思う。

 ちょうど、10月2日の円覚寺の管長日記に「布薩」という戒のことが出てくる。
 毎月2回、僧侶が内省のために集まる事であるという。古より、内省することの大切さは変わっていない。

高島氏の、配送センターの移転に伴う物流トラブルのことを振り返っての一言も多くの示唆に富む。

人に任せるとは何なのかということ。(中略)任せっきりにしていると、問題が起きた時に何が問題なのか自分で判断できず、解決が遅れる。あるいは問題がおきるまで問題の予兆を掴めない。やっぱり、任せるからには任せきるのだけれど、自分が理解した上で任せるという覚悟がないと大きな問題を引き起こしてしまうのだと痛感しました。

降りかかる問題は選べないが、問題を解く態度は選べる、そう覚悟が決まると、どんな困難がやってきても、気持ちの上で負けることは無くなりました。

最後に、人生の成敗を決めるものとして、以下のようなことを言っている。心に留めておきたい。

鳥羽氏

尽きることがない目標に、自分の人生をどうささげていくか。そして誰と捧げていけるか。それを考えること自体が実は幸せなことですね。これは綺麗事じゃなくて、自分のできること、得意なことで誰かに役立てるって本当に素敵なことです。

高島氏

人生における成功は何なんのかを考えると、繰り返しになりますが、どんなことでも「夢中になれた人が勝ち」だと思っています。

僕は組織を勝利に導けるリーダーって、社内外の変化に常に対応できるよう、自分自身も変化し続ける人だと思っています。

 今号では、他にも「森信三『続・修身教授録』に学ぶ生き方の法則」や連載の、「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」や「人生百年時代を生きる心得」なども心に残ったが、このあたりで終わりにしたい。

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