見出し画像

トイザらスマウント

友達とのクリスマス会用プレゼントを買いにイオンに行った

休日のイオンは、本来は30代独身男性が一人で行くべき場所ではない。
広いイオンを歩き回る体力消費と家族連れが多くいることの精神的疲弊が、
毒のように心体を削る。

大人4人で開かれるクリスマス会のプレゼントの予算は2000円。
私は家族連れに道を譲りながら館内をぶらついた。

去年も行われたクリスマスパーティで選んだのは、高級茶づけ。
大学の時なんかは実用品ですらないものを贈ったりしたものだが、
今はもらっても困らないもの、何かしら消費してしまえるものということが選択の前提にあった。

街に行くのを渋ったせいか、イオンにはおしゃれな専門店があまりない。
地元民が必要なものを買い足して、家族全員に不足なく行き渡ればいいという発想なのか。
イオンのテーマは家族?
テーマ外の人間は、プレゼントすら選ぶことができない。

体力よりも、精神疲労が私を困らせた。
もう何でもいいや。
もらっても困らないし、質も悪くないやつ

贈り物の究極地点、お歳暮のフェアに足を踏み入れた。
誰もがもらってうれしい、ハムソーセージ。
これでいこう。

さっさと帰ってしまおうかと思ったのだが、
個人的にプレゼントを買っていこうと思いついた人がいた。
片思いの女性などではなく、クリスマスパーティー会場となるお宅の夫婦の子供だ。
まだ二歳になっていないくらいで、きっとそんな凝ったものもいらないだろう。
せっかくなので、私はトイザらスに足を踏み入れた。

子供以来、じっくりとトイザらスを見ることがなかった。
当時は無邪気に、どのおもちゃを買ってもらおうかと必死だったし、
ただ店内を見て回るだけで楽しかった。

けど今見れば、
トイザらスは子供たちの欲望と大人たちの冷徹な金勘定がぶつかりあう場だった。
泣いている子は、親にねだる子たち。
笑っている子は、大きな箱のおもちゃをもってレジに向かう子たち。
明暗は、普段の行いか。それとも、優しい祖父母がいるかいないか。
そして両親は、子供の抱える箱を大きいものから小さいものへと誘導していこうとする。

今でも小さい子には共感できるけど、大きな箱はそれだけで魅力的だ。
大きいものには魅力がある。
大人だって、デカ盛りとかに興奮するし、
真面目な人たちが考えたはずの牛久大仏だってそうだ。
規格外の大きさに、人は情熱を傾けてしまう。
だから大人と子供の衝突は、このトイザらスでは避けられない。

私はそんなカオスな場所を、ベビーカーや走る子供たちを謙虚にかわしながらプレゼントを物色していく。

プレゼントを考えながら、私は周りにどう見られているか考えていた。
きっと、こうやって真剣におもちゃを選んでいると、自分は不審者に間違われない。
この人には、おもちゃを贈る子供がいる。
自分の子供じゃなくても、どこかの子供にプレゼントを贈る優しい32歳独身だと勝手に解釈してくれる。
プレゼントを贈るということは、贈る相手がいるということ。
トイザらスでおもちゃを物色することは、社会的地位と社会的つながりを持っているという自らの自尊心を支えてくれる素晴らしい行為なのだ。
30代独身という社会的集団内で、私は彼らに優位な立場にあるのだ。

トーマスのおもちゃを買い、トイザらスの袋を持って館内をうろつく私は、
来たときよりも少し道の真ん中を歩いた

トイザらスの袋がよく見えるように、袋を持つ手を前にして歩く。
私だって、プレゼントを贈る相手がいる人間なんだぞ。
それをわかったら道を空けてくれ。
先を急ぐ。
たったこれだけの自尊心では、イオンの毒にすぐ食らい尽くされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?