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編集後記「別当の潮」

こんにちは、正井です。

今回は拙作「別当の潮」の編集後記、取材日誌です。参考書籍は「日本発祥の地淡路島(おのころじま)のむかしばなし」五味プロダクション発行です。

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高雄山観音寺が犬の飼い主、別当が住んでいたお寺になります。岩屋のほうはかなり道が入り組んでいるので、もしも行ってみたいというかたがおられましたら言いましょう、「都会人ならマジやめとけ」と。

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淡路島北部、岩屋地区は旧淡路町にあります。昔からの漁師町で、播淡機船やタコフェリーなどが最短距離で本州まで運んでくれる土地でした。明石海峡大橋完成に伴い、各フェリーや機船は便数が減少し、旧東浦地区から出港しておりました淡路フェリーのように解体された会社もあります。

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岩屋の坂道をぐっと上がった場所、もしくは北淡方面から山を越えた場所に、「鳥の山展望台」という地元の遠足お約束スポットがあり、そちらにございますのが「せきれい丸遭難者慰霊碑 合掌の塔」でございます。

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ざっと動画末尾の解説部分に載せておりますので、そちらには載らない正井個人の経験でお話ししますと、「せきれい丸沈没事故」は淡路北部の小学校六年生が毎年決まって学芸会で上演する演目でありました。学年順番で短編劇中編劇合唱を披露したのちの最後の演目がこれです。トラウマ作るの大好きか。

正井がその演目を見たのは未だ淡路フェリーが活躍しておりました時分ですから、浦港から須磨高取まで「沈まへんよな?」と一時期不安になったりもしたものです。

ちなみにその演目、だいたい頭痛と吐き気と闘いながら見ます。気持ちが悪いと訴えても保険医は許さず、締め切られた体育館でふらふらになりつつ体育すわりで見ておりましたが、あれ今思うと軽い熱中症とか貧血とか酸欠とかそういうものだったんでは???

淡路周囲の海峡でとられた魚介は荒い海流の中に育ったものですから、筋肉がぎゅっと引き締まっていて評判です。特にタコが筋肉質です。固いタコが苦手な方は別の海域でとられたものを試すのもよいのではないでしょうか。

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あだしごとはさておきつ。

鳥の山展望台はさすが展望台というだけありまして景色がよろしい・・・んですが、足元にイノシシの足跡が。

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見よ世界!これが淡路島だ!!(自棄。)

そんなこんなで今回は取材と動画素材の写真を多く獲得して動画作成に向かうことが出来ました。

それから今回のお話は、いつもとは少し違った印象にしてみたいなあ、とあえてああいった終わりとしました。まあ花畑写真にナレだと別の演出となりますのでね、お察しください。

「別当の潮」は所謂名づけの話です。実際観音寺からは海原が現在でも広く見ることが出来ますので、あの周辺に住んでいた昔の人は、荒れた海のあるひとすじが全く間に立たない様子であるとかよく観察できたと思われます。

一応次回も淡路島の昔話でなにか面白いことが出来ればいいなと考えております。

ご視聴、閲覧、そして読了感謝いたします。

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あと実は今回の動画は一度全没しています。全没の成果が出ていたら良いのですが。

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