見出し画像

Review of the Year 2023_Masaki Morihara


新年と災害

気持ちの良い日差しを浴びて新年の挨拶を終えてソファでくつろぎ、隣ではいとこがゲームをするサウンドを聴きながら、時折親族からの質問に答える。そんな年明けゆったりとした時間の流れの中で、2023年を静かに振り返っていたら能登で地震が起きた。

ひとまず自分の親戚や友人らは安全だったが、まだ小学生の従兄弟はずっと怯えていた。それもそうだと思う。自分も小五で体験した東日本大震災の被災映像や津波の様子、その後の原発の危機迫る状態や放射能汚染のニュースを見ていたとき、その詳細は分からなかったけど、何かしらのやばさだけを強く感じとって、怖かったのを鮮明に覚えてる。本当に世界が終わるんだと思っていたのだから。なので、未だにあまり災害の風景に対して強い耐性がない。SNSを見ることもニュースを見ることも途中でやめた。それでも1日弱寝込んでしまった。

2011年に震災を受けた石巻に関わらせてもらったり、建築と被災、災害や原発のことなどは文献や書籍、現地でも学んでいたので、ある程度の個人的な哲学や知性的な瞬発力はあるつもりだけれど、やはり映像や画像をリアルタイムで対峙してしまうとすごくくるものがある。こういうときに何かできないか、どうしたらいいかと爆速で頭を動かし、情報を浴びて気持ちを整理し、怒りや悲しさを感じとりすぎたり、ぐっと集中してしまい疲弊することが多々あるけれど、今回は寄付だけを早々にして、動かせないものに対して自己同一化してしまうことを意識的に辞めた。

何も元旦から…と思うけれど、大地はいつでも容赦ない、どうしても抗えない。建築をやる身として、大地や自然との向き合い方をもっと考えないといけないなと思う。そして、とにかく政府や自治体による早い復興と支援物資が届くこと、これ以上の被害がないことを祈っている。

⇩募金がまだの方は是非こちらから

***

▼2022年の年間振り返りと2023年の中間レビュー

2023年で作ったもの・取り組んだこと

本当に多動にたくさんの興味や好奇心を元にして取り組んでみた2023年だった。毎日何かに追われていたし、追われるように動こうと決めていた。自分で仕事を作ろうとすること、仕掛けること、誰かの野望ややりたいこと、社会の痛みに対して共感して手を貸すこと、自分が作りたいものや思いついた仮説をとにかく実行してみること。アカデミア/ビジネス/デザインの各領域を右往左往しながらこれまでの2年間の蓄積や思考量、大学教育や仕事で学んだことを使って出力するようにして動き回った。ソロワークではなくコラボワークを意識して仲間と打席に戦略的にたくさん立ってみた。

自分にできないことを決めることや、これが専門であるから、これ以外はやらないと、早めにお高く止まるのはとても簡単なことだ。無理なゲームを開始してそこで成果を上げることは明らかにコスパも良くない、悪手である。しかしゲームでいかに勝つかを考え、できないことや経験のないことに泥臭くも挑戦していこうとする気概を持たなければ、社会における階級的な保存装置や体制を打破できない。今の腐った社会に浸かって生きることはごめんだが、腐っているものには腐りながらも腐るだけの体力と質量がある。そして、社会も自然もとても残酷だ、容赦がない。戦争だって災害だって、社会保障だって…何一つ最後は守ってもらえないし、全てを奪われることもある。(と思っている。)その中で生き残らないといけないし、最悪な選択にならないように、今を戦わないといけない。ではないと、自分で自分を認められないし、後悔することになる。僕には建築やデザインしかないから、悪手であってもそれらを武器に携えて、僕は腹を括って対峙するしかない。生き延びるためにシェルターを作ることも、住居を作ることも、都市を作ることも全部同じだ。そんな気持ちで動き続けた2023年だった。

解体から紐解く建築循環:中谷研究室

数年間、アトリエや設計事務所、再開発などに携わってきて現在の開発に対しての忌避感、そして近代的な建築生産の前提にある意匠的な美学や経済的な論理は乗り越えなければならないものだと思う。しかし、ゼネコンやデベロッパーを交えて解築という視点からあらなた美学を打ちたて、建築のあり方を根本的に、時間的な積層を伴って変えていくのであれば、丁寧な社会運動として変わっていくための動き方をしていかねばならない。しかし、これまでアカデミアとビジネスサイドに丁寧な連携はなかったし、今もないと思っている。純粋な研究者でもなく、ビジネスマンでもない僕の役割は、そこにあると思っている。(もちろん来年も)

とにかく解築を考えるためにたくさんの本を読んだし、ZINEも年内に発刊した。学問を「受け取る」のではなく、「作っていく」という感覚はこのようなものなのかという手触り感も学んだし、相当な知的体力が必要なこともわかった。そして、歴史は、見えざる事実を発見し、過去の人々の知恵は現代における劇薬になりうるのだろうと思った。

卒業論文:生き物とヒトの構築技術比較

最後の最後まで、どのように書いたら良いか、何を明らかにしたいのかがクリアにならなかったが、最後の1週間で全てのピースがハマったように筆が進んで書くことができたし、他者評価もそうだけれど、自分でもとても良い論文を仕上げることができたと思う。とても自信になった。

○森原正希* 生き物の巣とヒトの構築技術比較研究-進化生物学におけるニッチ構築に着目して-
・良い点 今年1番の野心作。最新の生物理論は勉強になった。それらを吟味する中で新しい、ヒト-生き物観、技術観、建築観を導き出している。相当吟味と解釈に頭を使ったはずでその努力が窺われる。言葉、図版とも読みやすい、みやすい。
・改善点 さらに続けるべき。
解築の工程を検討するとき、本来的に解築的な生き物の巣を再検討することが必要である。この挑戦的な目的を設定し、生き物の巣の作られ方の既往研究を建築学のみならず広く生物学まで渉猟し、そのカテゴリを明瞭にし、生き物と人の構築行為の違いならびに同質性について、ほぼ全く新しい論点を自ら構築した。今後とも進展、応用が大いに期待される

先生からの講評

卒論は「知的」で「それっぽく」「正義感にあふれた」内容で終わらせたくないと思っていた。自分にとっても新しい表現に挑戦してみたいと思っていたし、もちろん解築学に対しても貢献することができる内容にしたかった、自分の建築の捉え方やこれからデザインをしていきたいものの基盤となるような理論を見つけたかった。結果的に、今回は全く無知な状態から「動物行動学」「生物進化学」「遺伝学」を学び、それらと建築を結びつけ、建築や社会に対して新たな視点を提示することができたし、このスタイルでここまで文章や理論を生み出すことができるのだという自信になった。研究を始めるときには友人や大人に相談したりしたが、おもしろ研究だね、趣味的でちゃんとしてない学部論文だね、などと笑われたけれど、信頼できる研究室の友人や先輩、面白がってくれる先生方が背中を押してくれたから書き上げることができた。

森原はちゃんと森原らしく攻めたことをしようとして、形にしているのがいいと言われ、卒論打ち上げの時は泣くかと思いました。これまでそうしたいと思ってきて、フィニッシュワークまでできたことがなかったから。
研究室にはとても感謝しているので、来年も活動しながら恩返ししたい。来年は2本の論文を書くことを目標に、研究成果も出していきたい。(論文は1月中にnoteにて全文有料公開します)

Project NESS:都市の作り方を作り変える

NESSは、一つちゃんとハマったプロジェクトだと思う。一緒にやっているメンバーの駆動力も高く、半年かけてゆっくりと進めてきた。須藤は2023年5月くらいに初めて話した(対談した)ばかりだし、専門性も全く違うのだけど、それがハマったのか、何だかんだで良いコラボをしながら一緒に作り上げている。また、たくさんの人と協力しあいながら、確かに成果を上げながら事例を積み重ねることができ、年内ではついに、行政や企業、建築家、教授の方々とのご共同の可能性が見えてきたり、WIREDやSPACE10から賞をいただいたり、そして展示会等にもたくさん展示させてもらった。1/14には赤羽の再開発地域にてワークショプを企画することができている。変わらず市民サイドに立ったアプローチを続けていきたい。

東京や日本は、今はまだ面白い土地だと思う。
未だ下町やヴァナキュラーと呼ばれるような自律的な建築の維持や自治、景観の共同管理等が生まれている。そのような価値のあるものをいかにこれから残し続け、そして今100年に一回の開発という開発主義の真っ只中にある年において、オルタナティブな開発のあり方をこれからも見ていきたい。(色々書いていると、僕は「作る」「建てる」「開拓する」みたいな概念の現代における転換を見たいのかもしれない)

作っていただいたZINEはとても好評だった。
WIRED creative hack 2023+ファイナリスト+特別賞を受賞

行動するデザインスタジオ:ASIBA

これもコラボプロジェクトからのスタート。わずかな時間で初動を作って形にすることができた。解築ゼミで出会い、企画を一緒に始めた二瓶は、すごくstableな行動ができるし、僕と違う側面で人当たりがよく、そして交渉力があるし、プライドを持ちつつも時には捨てながら動ける。コラボでやらなければ、絶対に形にはできなかった。10のシードプロジェクトを加速させることができたし、社会実装という視点でのカンファレンスも開催できた。日建設計や清水建設の皆さんとのコラボのおかげでもある。

また、建築や都市の学生である私たちは、実は提案という整った条件の箱の中で「作る」ことはできても、複雑な社会の中で「作る」ことはできないのではないか。そのジレンマを感じている学生は、実は多いのではと思っている。私たちのアイデアはどこか無力なんだろうかと悔しくなることが自分自身もかなりあった。設計課題や演習をできないのに世の中には通用するような物は作れない。それも一理あるがしかし、私たちは複雑な社会の中で課題を発見し提案を作って当てていくという複雑な社会の中で「作る」というアクションスタディにただチャレンジできていないからかもしれない。

建築はおそらくその社会の「受け手」ではなく、社会の「作り手」であったはずだ。林昌二は「その社会が建築を作る」と述べたが、今それが有効であり、実際に社会が生み出した建築が素晴らしいものかどうかは疑問が残る。「作り手」であることは世界や日常に新たな視点を形で社会を変え、そして新たな社会像を提示することである。モホリ=ナジの言うように根本的な姿勢を変え、「行動する建築」を実践する必要があるのではないか。

このASIBAをベースとして、この先にやっていきたいことや仕掛けていきたいことが山ほどあるのだけど、またそれは1月末などでリリースできたら良いなと思っている。とても楽しみである。


Hitasula:エディブルランドスケープ

小学校の同期の森屋とつばささんと一緒に始めた世田谷区を中心してデザイン活動をしているHitasulaで、地元の子育て支援NPOと共同して食べられるランドスケープ「エディブルランドスケープ」の提案と施工を始めている。エディブルランドスケープを題材にして、緑の環境プラン大賞のポケットガーデン部門も受賞することができた。農大の名誉教授である進士五十八先生から講評もいただけたことはとても感慨深いことだった。

エディブルランドスケープを実装する前庭部分のパースプラン

地域密着で動いていると、知られざる土地の側面や社会的な問題、全く交わったことのない世代との交流などを通して、チームとしても個人としてもとても学びになる。世田谷での活動を始めたのは再三書いているがコロナ禍が原因だった。地域やネイバーフッドの重要性、そして変わりゆく姿と変わらない姿の重要性を感じたからだった。景観や街のあり方、緑のデザインについて興味を持ったのもこれが初めだった。もっと世田谷の街をこれからの世代に繋いでいけるような景色や場所、土地にできるように。20年、30年ごも愛される場所であるように、できることに挑戦していきたい。

スタートアップ2B支援

長い間業務委託をいただいている2社では主にスタートアップの2B支援をしてきた。ギャルの会社で働いたことはとても大きな経験になったと思う。性差を語りたいわけではないが、やはり女性の波に対して、僕は補助材として開いた穴を1人でもカバーしていくこと以外に動けることがなかったし、そうせざるを得なかった。チームの形態が変わると、自分のスキルや役割も変わることを学んだし、色々な属性や個性、信念の交わる場所に身を置くことで働くことについて考えた。働きづらいと何度も感じたけれど、いつも働きやすいと思っていた環境は性別における特権的なものがベースとなっていたのだと頭ではなく経験として認識することができた。

引き続き巻組でも、色々なプロジェクトを担当させていただいたし、新しい場所とのご縁等も生まれた。ADDReCでもコンペティションにがっつりジョインしたり、再活用系のプロジェクトや企画など引き続き経験や機会をいただいた。もうどちらも関わってから3年くらいになっている。受け取っているものが多いのでいずれ返していきたい。いつも大変ありがとうございます。

その他、100BANCHに2度入居したり、色々な作業やプロジェクトの推進を支援いただいたり、ロフトワークさんの写真作品を作ったり、アーキディスコや向島EXPOや東京ビエンナーレなどで展示をしたり、長野での水素エネルギーのプロジェクトも徐々に進んでいたり、セブンイレブンのアクセラレーションを突破したり、川合さんのコルゲートハウスの資料整理やリノベに関わらせてもらったり、ラブホテルや都市計画、AI×建築の隣接領域とのコラボも始まりそうだったりと、撒いてきたたくさんのタネが来年も芽を出しそうで、どんな景色を観れるのかとても楽しみになっている。来年は、今年くらい挑戦しつつも内面も見る時間にしたいので、ちゃんと週間レビューを蓄積していこう。

週間レビューは7本と半減してしまった。

***

2023年で訪れた場所

五島列島/小浜市/シンガポール/ベトナム/京都-兵庫-岡山-鳥取/豊橋/青森/石巻/大阪/福岡/京島/高浜/高崎/宇都宮/都内は色々

旅をしたり、人に会いに行ったり、展示を見に行ったり、山に登ったりと色々したし、このくらい移動していないと都心は窮屈で仕方ないので、来年も色々なところに行きたいし、まだ見たことのないものや体験したことのないものを身体を使って探しに行きたい。何かを作るには、作りたいと思うその衝動を見つけに行かないといけないといけない。クライアントワークでは対話を通して、一緒に作りたくなるように伴走してようやく建築が生まれると思うのだけれど、内発的なものはもっと奥からくる体験や衝動のようなもの、揺さぶりに触れないといけない。そのためにも旅の回数は増やしていきたいし、予想できない何かと出会いたい。

京島はすっかり友人や関係の深い場所になってきた
赤羽にある100年以上続く銭湯。解体材などを燃料にして湯を沸かしている。赤羽の開発計画にも少しだけ関われそう。
青森・白神山地の緩衝地帯・五能線・十二湖を訪れる、雪国の森の中の風景。
青森・白神山地の緩衝地帯・五能線・十二湖を訪れる、寂しいが豊かな風景。太宰の津軽の文章がよくわかる。
シンガポールはヘリテージの守り方と開発がうまく回っているように思えた。人工大地を築き、強烈なエコモダニズム主義であり、管理された平和を感じる。不思議な国だった。
可愛すぎたシンガポールの居候先の猫、懐っこくてとても可愛かった。
ずっと訪れたかったアリマストンビルの内部を岡さんに案内してもらった。
コルゲートハウス、かっこよくて、川合健二の哲学も素敵で、高校生の時から追いかけてきたものが繋がったように思う。
色々な建築家とコルゲートであう。五十嵐さんや倉方と酔っ払いながら2時間近く議論させてもらえたのが感慨深かった。
重源の浄土寺浄土堂、大仏様、内観凄すぎて建築ってこれだ…となる。
投入堂は雨が降って死を感じたけれど、登りきった。山岳信仰恐るべしな山道。もう一度行きたい場所
いつも新宿で飲んだ帰りに見ていた柿傳。実測して内装を見ることができた。
ベトナム、活気があって良かった。

***

2023年の総括

冒頭でも少し書いたけれど、戦争や災害などの力の及ばない範囲で起こっている危機がとても近い世の中になってきたなと思う。そして1年前とその状況は何も変わってないし、むしろ悪くなっているのかもしれない。国家の政も国際社会も危うさ満載であるし、その全貌は自分にはわからない。正直この先生きると苦痛なのではないかと思って毎日起きるたびに怖いなと思う。

阿吽

社会は不安定で平和とはかけ離れているし、これからもっとかけ離れていくのかもしれない。何かが起こってしまった時、その事象に対して、個人としての自分はひどく無力である、無力さを噛み締めるしかないが、噛み締めるだけなのは悔しい、コロナの時もウクライナの時もそう思っていた。防げなかったこと、対処ができず小手先のことしかできない自分が嫌だなと思った。または身も捨てぬ自分の姿も嫌だなと思った。のうのうと平和に生きている自分や何も気にせず働き、楽しみ、好奇心のままにものを作り続けている自分や周りの人たちも同様にどうしても肯定することができなかった。

全てを変えることはできないけれど、少なくとも仲間や家族や恋人くらいは自分の手で守れるようになりたいし、きっと誰も苦しい未来を誰も求めてない。今の首相も嫌いだけど、きっと彼にも何かの苦しさや彼にしかわからないものがあるはずだし、全く倫理観の噛み合わない人にも守るべきなのかがあるのかもしれないと、他者や他種にも想像力を持ちながらも、毎日の選択や行動、仕掛けることの積み重ねで後悔しないようにしたい。その上で未来を見据えて、今ある生を謳歌したい。

そのために、自分のためだけではなく、仲間と一緒に努力をしないといけないなと思う。1人でできないのだから、仲間がいないといけない。そして、自分らの正義と排反する大きなものとも戦わないといけない、この先絶対に負けられない瞬間もあると思う。(それこそ戦争ができる国になるかもしれない)そこから逃げないようにしたいし、逃げない度胸を保つために、毎日や瞬間に楽しさを大事にして挑みたい。最悪な結末になる前に、今すぐ、そして常に行動をしている必要があるはずである。

なあ、みんなは心配じゃないの?
この先このままだとマジでヤバいだろ
何にもよくなってないのに朝までパーティ
今が良ければいい
やりたいことだけやりたいとかそれ本気?
状況を変えようともがいてる若者を裏がどうのゆとりがどうのと叩こうと
こういうことを言えばまた政治的
宗教的とか言われてももういいからすぐにやろうよ
だけどこのままいけば
このまま見て見ぬふりを続ければ
愛すべきものすべてが苦しむことになる
そうなる前に
だからそうなる前に今すぐ行動開始

SALU Nipponia Nippon

これを書いた時はすごく絶望的な感情を持っていたと思う。
高校の時から携わっていたデザインのことや建築のこと、その意味がわからなくなった。デザインを建築をもう一度信じ直すことが全くできずにニヒリズム的に見ていた。いくら平和の工場といって丹下やイサム・ノグチが作っていても核戦争になりかけているし、大好きな村野藤吾だってそうだ。平和を求めてアート活動を展開しているアーティストだって、ロックアーティストだって、表現者は何かを本当に止めることができているのだろうかと思った。建築学科の教授たちや日本の建築家も実質的には何もしなかった。クライアントワークに追われて動けていかなった。高尚なものを持っていても、現実を変えなかった。建築家にとても憧れていたけど、そんなもんかよと。

しかし、2023年の2年間で、色々な大人に出会えたし、近くで学ばせてもらうことができたなと思う。中谷さんはもう十分に素晴らしい社会的な仕事や文章を書かれているにも関わらず、まだまだ学生に機会を与え、教育し、社会に対してアクションを取り、建築業界の現実を変えようと知性や感性を生かそうとしている。大我さんは、社会的なインパクトに向けて絶え間なく現場を飛び回り、動き回り、仲間を無条件に助けている。巻組の享子さんも、お子さんが産まれても勉強し大学に通い、会社をタフに経営し、社会課題の解決に向けてアクティブに仲間で動き続けている。もっとたくさん影響を受けた方々がいるけれど、まじでかっこいいなと思う彼らの傍に自分がいると、まだまだできること、やれること、作れるものがあるなと思う。

彼らだって戦っているし、毎日地道に現実を変えていけないかと挑んでいる。そして彼らの考え方を若手としてコラージュして、受け継ぎ、さらに乗り越えていかないといけないと思う。失望している暇も、絶望に浸っている暇も全くない。悲しむのはきっと1日で良いし、自分にしか見出せない建築家の姿やデザイナーの姿は、毎晩の挑戦や実践の数や積み重ねの内に鮮明になるのだろう。

その片鱗を、2023年を一緒に色々な形で過ごしてくれた、コラボレーションしてくれた皆様によって、彫刻を削るように自分の中や輪郭を見出し始めることができたと思う。ようやくだけれど、人生としてのストーリーも24歳にしてようやくつながり始めている。今年は2022年より変わった自分に出会えたし、2025年に向けてもっと変化して、まだしぶとく、かっこよく、そして生き残りたい。



この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?