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都市の均質化に対抗し、ボトムアップな建築生成を目指す京島LoRA Project(考察編)

「都市には、無限の変数があると思うんです。でもそれが可視化されないから“人の思い”が無視される。人が空間に影響を与え、空間も人に影響を与えるのだから、空間が均質化されれば、人にもその影響は及んでしまう。そんな未来が怖いんです。ぼくたちは、経済合理性で評価される“場所の価値”に、新たな指標を加えて街を守りたいんです」

「情緒」と「論理」の共通言語をつくる:“音楽”から場所を探すアプリPlacyによる「都市の均質化」への抵抗(https://wired.jp/2020/01/03/placy/)

1.GenerativeAIと建築の現状ついて考え始め、そしてコンペに挑戦した背景

今日GenerativeAIの社会実装によるさまざまな業界変化の速度は凄まじい。特に職能で言えば、これまでの建築も含むデザインやクリエイティブ的な業務が代替、またはプロセスの変化は過渡期にあるように思う。(誰がAIによってこの様に変化せざるを得ない状況に陥ると考えていただろうか、メタバースとWEB3で熱狂していた時ですら古典的建築産業は大きく変化することはなかった)

とは言いつつも建築産業において、GenerativeAIを活用した取り組みはまだまだ少ない。ほんの一部の建築情報系の研究室や学生、または感度の高い意匠デザイン系の人々はGenerativeAIをいかに建築産業やデザインに組み込むかを試行錯誤している。少なくとも自分の周りの建築学生の心の中にあるのは恐らく脅威や不安感、または悲しさである。しかしそれらを感じつつも、新たなテクノロジーがさらに建築を変化させると信じてトライしている。

しかし、現実はどうだろう。建築デザインにおけるGenerativeAIの現状のユースケース達は、本当に業界を刷新させる様な変化を巻き起こしているのだろうか。

確かに、フォトリアルパースを瞬時に作り、ファサードやボリュームのスタディ、リフォーム案を複数検討するスピードと解像度は凄まじい。Chat-GPTと組み合わせてコンペも提案できてしまう。これまでの私たちのデザインの生成速度を優に超え、強烈なデザイン作業の時間短縮と市場経済の中においてはデザインクオリティの向上に直結する。つまりデザインの生成速度とクオリティがほとんどのデザイナーの能力値や臨界点を超えたので、GenerativeAIを活用すればデザインでお金を稼げる速度が飛躍的に上がるということだろう、そこに興奮と可能性を覚える人もいるのは決して間違いではない。ここまで、業界構造すらにも直接影響している建築デザインプロセスを根本的に塗り替える様な道具は今までなかったのだから。

しかし、自分はGenerativeAIという新たな道具の登場によってこれまでの建築デザインのプロセスが効率的に変化しただけのように思え、また実際の私たちのプロジェクトを引用して後述するが、「ヒトの脳で創造する楽しさ性の剥奪」という側面を持っていることは否めないと思っている。

このような活用方法にはまるで興味がない…同じような人も多いのではないかと思う。知性的工夫を楽しまずに単なる生産になる…これは実に虚しいことなのではないかと。もちろん、この主張に対しての批評が存在することもわかるのであるが…自分のモヤモヤに対しては答えきれてないと思っている。

私はここで一度立ち止まって建築とGenerativeAIの可能性を別視点から考えることで、もっと本質的かつ社会的意義のあるGenerativeAIの建築領域における活用方法を捉えてみたいと思った。

2.SPACE10のコンペティションについて

このnoteでは、デンマークのResearch and Design LabであるSPACE10が主催するコンペティション「Regenerative Futures: A SPACE10 AI Design Competition」に、前述した課題意識を共有している友人のsuudoと共作で提案した「京島LoRAプロジェクト<築100年の木造長屋地域のリジェネラティブな郷土的建築文化の再発掘>」プロジェクトを紹介し、建築とGenerativeAIの社会的可能性について論じたい。

過去 1 年間、私たちは生成 AI ツールが想像力と創造力を強化し、何百万人もの人々がこれまで可能だと考えていた世界を超えた世界を視覚化できるようになったのを見てきました。
では、これらのツールを将来の家や都市に適用したらどうなるでしょうか? 気候の影響、移住、資源不足の結果、世界の人口は変化しています。
これは、私たちが将来の住宅について、デザインや機能だけでなく、私たちの周囲の世界をどのように補充し、回復できるかという観点から、これまでとは違った考え方をする必要があることを意味します。 どうしたらもっと再生力を発揮できるのか。
Regenerative Futures は競争とオープンソースの研究であり、誰でも参加できます。 私たちは、AI を使用して、日常生活に対する最大の課題のいくつかに対処する、未来の住宅、コミュニティ、都市の視覚的なコンセプトを作成するよう挑戦します。

コンペティションステートメント
審査員リスト
建築家だけでなく実業家や起業家、デザイナーなどが見ている点も良い。

個人的にはこのnoteは、この様なGenerativeAIの活用方法は、単なるデザインの話や建築学にとどまらない、コンヴィヴィアルなGenerativeAIのあり方の可能性を秘めていると思う。ゆえにあらゆる知見者に届き議論されることを願っている。

コンセプトやGenerativeAIの具体的な活用プロセス、技術的な面についてはsuudoの以下のまとめレポートを参照してほしい。

3.非情報を人間の視点で情報にする観察のプロセス

今回の京島LoRAプロジェクトでは、まず足と目を使った学習画像の収集フィールドワークから始めている。まるで、象設計集団の設計手法のように京島をくまなく歩き回り、築100年の木造長屋の生活景や固有性、時間によって変わる街の表情の変化を身体で感じながら、写真として抜き出す。その場所らしさを自分の体で感じ取り、情報とするべきものを選定するのである。

場所の表現
私たちは、建築がその建つ場所を映し出すことを望んでいます。デザインが場所や地域の固有性を表現するよう努めます。村を歩きまわり、景観を調査して、土地が培ってきた表情を学びます。人々の暮らしを見つめ、土地の歴史を調べます。このようにして、デザインのなかにその場所らしさを表現するための鍵やきっかけを掘り起こしてゆきます。

象設計集団
https://zoz.co.jp/%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%89%87/


外観・内観・その他、合計で250枚ほど撮影。
主観的に京島らしく素敵だと思った水瓶や古びたポストなども撮影した。

ネットに転がる京島の写真を学習素材にするのではなく自ら探すというこのプロセスこそ、GenerativeAIと人のあるべき共同作業ではないだろうか。

GenerativeAIのこれまでの用い方である「何が素材となって出力されているのか分からない」というブラックボックス的状況は不確実さを与え、私たちに驚きをくれることは間違いない。しかし問題は、私たちに与える感情が極めて単一的な点にある。
GenerativeAIによって生成されたものを見て「なんだこれ、少し想像と違う、なぜそうなった?」という想定外が起こったための驚きの感想か、「プロンプトを調整したらなんとなく思い通りになった。上手くできたね」「そして自分の手による記述能力を大きく超えてきてビビるね!まるで芸術家になったようだ」という感情は非常に単一的な喜びに過ぎない。この感情の単一性は、作るという行為をする建築デザインにとって極めて致命的であると思う。

「何をなぜデザインするの?」や「デザインすべき対象の発見」は建築家達のobservationの力に掛かってきた。身体的経験を通じて、みんなで創りたくならないといくらデザインイメージが生成されようと質的な建築空間は建たない。創りたくないがデザインイメージが素晴らしいので作ることもあるかもしれない。しかしそれは作業であり、創造とは呼ばない類のものである。

本当の意味でのGenerativeAIとヒトの建築デザインにおける共同作業を志すのであれば、生成されたものを本当に実現し労力をかけて建築をしたくなるようにならねばならないと思う。その際に身体を用いて自ら情報を探し出すプロセスは非常にキーであると考えている。

4.GenerativeAIによる様式発見と市民による様式の更新

今回は京島の案内人の方と私で京島を歩き回り、なんとなく京島らしいと思った主観的な写真を200枚以上を撮影し学習素材としている。そこから「京島地域のデザイン」を集合記憶化させている。これを「京島LoRA」と呼んでいる。

「京島LoRA」はそこから誰も定義していない「京島様式」を非言語で抽象概念化している。彼らは時間軸での意匠的比較をせずとも、ヒトの選んだ写真をベースとして構成要素として出現頻度の多いものやネットワーク的に近いものを認識し、私たちの様式構築を明確に補助していると言える。

大きなテーマとなるのは「様式」の発見だ。著者は中世末期、都市間の交通の発達によって人の移動が生じ、各地方の建築を比較するという見方を通じて初めて様式というものが発見されたとする。そしてルネサンスの時代、様々な意匠を様式として抽象化することによって初めて、人為的なデザインの選択が行われるようになった。

面白いことに、市民が「これも京島らしい」と捉える写真を追加学習させ続けることで、この様式は定義として固定されず常に流動性を持ち続け、しかも言語的定義や時間的拘束を持たないのである。これは言語や時間軸を持たない様式定義とも言える。また、建築的な様式のみならず、生活景や風景としての様式も集合的な記憶の中には保持され続ける。

京島LoRAにより生成
京島LoRAにより生成

GenerativeAIで建築物のイメージを生成する際に、プロンプトとして建築家や様式の名称(例えばゴシック、ロマネスク、ローマ…etc)など入力するだろう。すでに人為的に言語で定義されているものから生成イメージが生まれている。これらはプロンプト、つまり「誰か」による比較検討や人為的な言語定義がなければ、そのイメージは生成されえない。

では、言葉にならない共有されたものはどう出力するのだろうか?
言葉にならない美しさや言葉にならない風景、言葉にならない愛しい瞬間…
それらはGenerativeAIと共には見ることはできないのだろうか?

知っていることを表現するのに言葉は有用ですが、模型は私たちが知らなかったことまで教えてくれる。私がつくりたいのは、言葉にならない、まだ知らない空間。モノの連なりが生み出す雰囲気を大切にしていきたいんです

模型を行き来してつくる、言葉にならない建築。【建築家 中川エリカ】

この「京島様式」はまだ言葉にならない、または定義されてない主観的な地域のあらゆる美的視点を集合させ、間主観性に昇華させた新たな様式の発生方法と言えると思う。ここには街に寄り添った建築を生み出すことなど、設計者を補助する大きな可能性があろうだろう。そして次の章で記載するが、様式が発生することで建築や風景の維持と応用発展が生まれるのである。

5.ヴァナキュラーの再発見<都市の均質性に対抗する>

京島は都市の均質性に今もなお対抗する地域である。
関東大震災や東京大空襲、バブルの開発からも逃れた京島は、築100年の木造長屋がいまだに残っている地域である。京島では自治的にDIYによる改修やコモンズ的協働を行い、長屋をケアし改修しながら住み繋いでいる。
しかし近年、東京の宅地開発や防災対策により、京島の木造長屋が解体されるなどの危機が訪れようとしている。それに対抗する様にして自治的な保全活動や財団設立が行われている。東京という近代都市の中で、自発的にそして人の手で維持された京島の建築スタイルを維持し、郷土的建築像を発展させていくことはできないか。これが私たちが今回捉えた課題意識だった。

建築におけるヴァナキュラー性はユニバーサルスペースの台頭以降常に削除されてきた。

洋服と建築はグローバル化が進み、非常に均質化されてしまっているが、食だけは、グローバル化とエクストリームなローカル化が、同時に起こっているからである。「例えばワインでいうテロワール文化のように、食には、土や気候の影響によってそこでしかできない食べものが存在します。建築がヴァナキュラーになったらいい、とはいいませんが、これからの建築にもっとそういった要素があれば、面白いのではないかと思いました。

ここでいうようなエクストリームなローカル化が建築には起こらず、飲み込まれてしまった。

その理由として、前章で述べたような「様式の発見と定義」がローカルで自発的に生まれなかったからではないだろうか。もしローカルにおける様式が定義されていたとしたら確実に保全や維持、または応用的な話が発生するはずであるが、認識が存在しなければ利便性や新規性に流れるのは必然である。

しかし、今回の京島LoRAの生成プロセスは、街のヴァナキュラーを再発見し集合的記憶にする。そしてそこから京島的デザインを常に吐き出すのである。シビックプライドのように京島的デザインを共有し、それをベースにしながら新たな京島的デザインが実装されていく。エクストリームなローカル化をボトムアップ的に促す市民の道具となり、東京という均質的な都市開発に抵抗することも使い方次第で可能であろう。

また、まだ実験してないが、この集合的記憶は決して建築デザインや風景を出力するだけではなく例えば京島的デザインのプロダクト(椅子や机の京島らしいデザイン)、またはSF的な飛躍(京島らしいデザインシンボルタワーを作る)もできる。土地や建築的記憶からモノや想像にも展開されうる可能性を持っている。

***編集中***

6.市民参加WSへの活用展開について

こちらは実証実験の6/25開催のWSの後に記載します。


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