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「行動する建築」-ASIBAの目指す実装するデザインスタジオの姿

3ヶ月ほど前から、ASIBA(Architecture Studio for Impact Based Action)という都市建築学生向けのインキュベーションスタジオを完全持ち出しで友人たちと始め、実験的に運営してきた。まさにLinkedInの創業者リード・ホフマンの「崖の上からから飛び降りながら、飛行機をつくる」という言葉通り、1つの事業体を構想/改善/実行を繰り返しながら組み立てていく日々であった。

まだまだ、ASIBAのコピーやブランディング等も落ち切っていないし、事業の形自体もまだフィットしている感覚はない。正直なところ作りかけである。

しかし協力いただいている企業やメンバーの皆さんとは何かしらのビジョンや信頼が共有できているのだと感じているのが、ASIBAが多用している「社会実装」や「実装する」というワードはわかりずらいと思っている…(ごめんなさい)

走りながら、反応を確かめながらのため言語化しきれていないが、今回はこのASIBAという取り組みをなぜ始めたのか、どこを目指しているのか等を、自分自身が今説明できることだけでも整理したいと思う。


1.「発見から行動へ」:緩衝材としてのASIBA

NGOやスタートアップ、デザインファーム等を経験してから大学に戻ってきて感じたことは「諸条件による歩みの遅さ」そして「実行・実現することへの力の無さ」だった。確かにアカデミアは重要な事実や課題を発見しているし、自分の目線でリサーチクエスチョンを見つけ、社会から保護された場所で生産行為とは無関係に探索・探究を行うことができる。しかしそれを提示しても、やはり具体的に世の中をその場から変えることは難しく、「発見」や「探索」にとどまってしまう。

教育の形として知の探索・探究が進むことは重要である。しかし、その重要な発見を次のフェーズに移すこと自体へはペンディングしてしまい、未来に先送りになる。結果的にそれらの知の探索・探究は「ポートフォリオの一部」として自身の実力やスキルを示すための仮想的な道具となり、いつかそれらは忘れ去られ、実現できないものと諦めになり、アイデアや発見は実行されぬままに、紙の中に止まる…もちろん、教育や力試しのコンペティション、そして演習等を否定するものではないのだけれど、しかしながら、そこで生まれた重要な発見や提案等は、自身を企業へ説明するためだけのモノとなっている事実があるのではないだろうか。と思う。

また、建築や都市の学生である私たちは、実は提案という整った条件の箱の中で「作る」ことはできても、複雑な社会の中で「作る」ことはできないのではないか。そのジレンマを感じている学生は、実は多いのではと思っている。私たちのアイデアはどこか無力なんだろうかと悔しくなることが自分自身もかなりあった。設計課題や演習をできないのに世の中には通用するような物は作れない。それも一理あるがしかし、私たちは複雑な社会の中で課題を発見し提案を作って当てていくという複雑な社会の中で「作る」というアクションスタディにただチャレンジできていないからかもしれない。

ASIBAは、大学を横断する形で開催されている解体建築ゼミで出会った二瓶と始めている。解体建築ゼミは建てて築くから解いて築くへ社会変革することを目的とするゼミだが、このテーマは「産業システムや経済システムを変える」という実効性を捉える視点無しでは語り得ない内容だ。学者や建築家、そして学生がこの場に集い議論を重ねたとして、知的な深化は行われても、社会変革は実現し得ないと共通して感じていたことにある。具体的に社会を変えていかねばならない時代に対して、どうにもアカデミアだけでは力不足を感じていた。

大学はアカデミアであるからこそ、研究や実験、探索に没頭するべき場所であると思っているし、あまりに実利的で合理的なものを求められる社会的システムの介入は望ましくないとさえ実は思っている。しかし、アカデミアの探索を社会に馴染ませていく、適応させていく、実装していくためには何か緩やかな連帯や緩衝材が必要である。特に建築やデザインではアイデアを搾取されたり、許可なしに使用されたりすることも多々ある。逆にアカデミアの硬さや速度、説明力に欠ける部分のストレスも存在する。

そのような課題を認識しつつ、ASIBAという緩やかな連帯を持つ組織が、中立性を持ち、そして両者をなめらかに結びつけていくことができるのではないか。その間に立ち上がるものこそ、社会に実装するべきものではないだろうか。

2.「行動する建築」:姿勢としてのデザイン

建築は、いわゆる受注生産である。施主からの依頼を頂き、施主の資本を持って、不可逆的な製品として建築を設計、納品する。ゆえに、資本家や大企業から依頼をもらえるような存在へと文化的な水準や設計力等を磨き、時にはチームとして、時には個人として受注する。

丹下健三は国家を施主とし国を建築するという建築家として、村野藤吾は民間企業のお抱えとして商業建築を多く手がけてきた。この構造は現在も変わらない。何かを作るには「依頼」をもらわねばならないし、「依頼」に対して回答するように設計を行わねばならない。

しかしどうだろう。建築するものやデザインするものはすでにハード的なものだけではなくなっている(ソフトコンテンツやデジタルなど)し、応援型の資金の集め方、ファンの獲得の仕方などは多様化しており「依頼」を待つのではなく「提案」するということに対して限りなくハードルが下がっている環境である。もちろん、大きなスケールの建築を作ることは難しい、しかし建築をするハードルは昔と比べたら明らかに低い。アイデアを持つ人々は、その提案や未来を信じてくれる人はどこかでは見つかるような時代であるし、世代によって捉えている姿勢や視点すらも多様になっている。つまりは持っているアイデアを社会に提示するという行動や一つの姿勢があるのみなのではないか。

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モホリ=ナジはこのようなデザインにおける行動と姿勢を100年前に提唱した人物であるかもしれない。彼は、1922年バウハウス設立とともにその教授となり、視覚芸術の指導をした著書『ヴィジョン・イン・モーション』では「デザインすることは職業ではなく姿勢である」とした。そして、デザインを「世の中に起こるあらゆる変化―社会、政治、経済、科学、技術、文化、環境、その他—が人々にとってマイナスではなくプラスに働くように翻訳する《変革の主体》としての役割」と定義していた。

モホリ=ナジ.ヴィジョン・イン・モーション

ナジのこのようなデザインの姿勢は、ロシア構成主義運動に根ざしており、ロシアの前衛芸術家、作家、知識人たちは、大戦が終わるまでの数年間、集まって意見を交わし、社会改革を計画した。それらは、「デザインにはよりよい世界をつくる力がある」という彼の信念を体現したものであった。

ナジの考えのように、建築は受注生産を続けるという社会姿勢ではなく、自ら課題や問題意識、そしてポリコレに安易に乗るようなものではない個人的な想像や空想や社会の姿を元にして、建築やデザインという具体的なアウトプットで行動していく。そして社会を今、形を伴った状態で変えていく…という行為になる必要があるのではないかと近年の社会情勢を見て考えることが多い。そして、かつてないほどのスピードと規模の変化がさまざまな局面で国際的にも起こり、社会課題等のリスクも多いこの時代においては明らかに重要ではないかと思う。

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DE牧野さんの「ブランドビヘイビア」- 行動する広告へ。では、企業や組織、ブランドの社会的責任のあり方、そして「話題づくりのためのアイデアを送ってこないでください。」というバーガーキングの引用があるように、短期的な売ることだけの広告ではなく、長期的な社会課題の解決や決意を固め、日々の行動に落とし込むことを提示している。

「どうかこれ以上、アフリカン・アメリカンコミュニティをサポートしていることを言うだけの、話題づくりのためのアイデアを送ってこないでください。その代わりに、あなたの会社でもっとアフリカン・アメリカンの人々の雇用を進めてください。そして私たちの会社のダイバーシティプログラムを推進するために手を貸してください。広告ではなく、行動を。」

バーガーキングのグローバルCMO|Fernando Machado

ここで建築とソーシャルアクティビズムを結びつける意図はないが、モホリ=ナジの「デザインすることは職業ではなく姿勢である」という意図とは限りなく近いだろうと思う。建築として何かしらのテーマを扱い、そして描くのであれば、自分自身も行動や態度、そして姿勢に落とし込む必要がある。

建築はおそらくその社会の「受け手」ではなく、社会の「作り手」であったはずだ。林昌二は「その社会が建築を作る」と述べたが、今それが有効であり、実際に社会が生み出した建築が素晴らしいものかどうかは疑問が残る。「作り手」であることは世界や日常に新たな視点を形で社会を変え、そして新たな社会像を提示することである。モホリ=ナジの言うように根本的な姿勢を変え、「行動する建築」を実践する必要があるのではないか。

ASIBAはその社会に目線を持った行動を後押しすること、そして、アイデアを社会に届けるための良き踏み台(足場)として機能することを目指したいと思う。

3.新たなスタイルの建築デザインスタジオへ

建築における欠点として、コールハースはスピードが遅いこと、そしてクライアントありきの仕事であると述べ、ゆえに自発的なプロジェクトを起こし辛い存在である、だからこそ今起こっている変化について皆で考え、速度の速い領域(ファッションやアート、プロダクトデザイン)などとコラボしプレイフルにデザインするべきとする。

コールハースが言い続けていることなんですが、建築には二つの欠点があって、一つ目はスピードが遅い、そして二つ目はクライアントありきの仕事なので、自発的なプロジェクトを起こし辛い。その欠点を克服するには、例えば、異なるスピードで機能しているファッションやアートの領域とコラボレートすることで、早いスピードに慣れ、もっとプレイフルにデザインすることなど、建築で得れない体験をしてみる。後は、自分が関心あることをプロジェクト化する方法を見付ける。大学でのリサーチもそれで、自分の関心を学生達とシェアすることで、皆でスペシャリストになろうとしているんです。本来大学というのは、教授が蓄積した知識を伝える場なのかもしれないけど、これだけ早く社会が変化しているのに、例えば、私の知っている図書館の知識を教えたところで、それが10年後に役立つとどうしても思えないんです。それより今起こっている変化について皆で考えて、それが図書館という建築をどう変えていくか、その可能性を探るほうが重要だと思うんです。
これは持論なんですが、建築家のマニフェストが良しとされてきたのは、ロバート・ヴェンチューリの時代で終わったと思うんです。彼はこんなにも複雑化した社会を、マニフェストという一元的な価値では計りきれないと悟ったんですね。じゃあ建築家は何をすべきか。社会を観察して、その変化を伝える人になりましょうと。彼の場合は建築論と建築作品が直結してなかったけど、コールハースはそれが出来た。私もリサーチだけでなく、建築作品を通して社会の変化を伝えていきたいのです。そうしないと、いつまでも前時代的な建築を作り続けなければならないし、それをクライアントの責任にしてしまう。だから、私はマニフェストの代わりに、社会の変化を見つめる観察力とそれを建築化する実行力とをもって、建築に取り組むようにしています。

http://freemagazine.jp/shohei-shigematsu-oma-new-york%E2%80%A8/

ASIBAは、そんな次世代における「建築デザインスタジオ」となれると良いのではないだろうか。ネットワーク的に知識を相互に補填し、若手世代の目線で見た課題や問題意識を元にして、リサーチやデザイン、建築、事業を実行する。これからの時代に必要な建築の姿を構想し、それを構想だけにとどめず、即時的に行動化・実現して、アクションスタディ的に試し、学びを元に伸ばしていく。「技術を磨き、依頼を持って、受けて作る」のではなくまだない価値や未来の姿、そして意味をデザインし「自ら行動し、作りだす」そのような動きを異なる世代や大きな企業が利害関係等を超えてみんなでサポートしていく…

理想的かもしれないが、社会実装を行動を後押しする中立的で社会との連帯感を持ったプログラムやデザインスタジオとなれば、これから数十年先の都市建築のあり方や、作られるものたちはも面白くなり、解決される課題も増えていくの可能性はないだろうか?

ASIBAは実装するデザインスタジオとして、プログラムやワークショップコンテンツを展開し、これからの建築業界や都市業界の新たな姿の立ち上がりを実践を通して確かめていきたい。

4.ASIBA GROUNDBREAKING 2023「新たな社会実装の形」

11/25日(土)、以上に述べたようなビジョンを持って運営しているASIBAがスASIBA GROUNDBREAKING 2023「新たな社会実装の形」を開催します。

会場は「超建設」を掲げオープンイノベーションを推進する清水建設イノベーション拠点「温故創新の森 NOVARE」にて行います。
またカンファレンスに合わせて、NOVAREの内部見学ツアーや、ゲストの方々によるパネルディスカッション、そしてピッチイベントなどのイベントも行われる予定です。

ASIBAの雰囲気等が気になる方々はぜひお申し込みください。
下記のpeatixよりどうぞ。

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