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日本の変なまちづくり。「まち」を「比較」し「卑下」し「もっと」を目指す。「まち」を「ひと」に置き換えると、「つくり方」「育て方」の「まちがい」が見えてくる。

皆さんお元気ですか? お久しぶりです。今年は一杯note書くぞ!といいながら、下書きネタが増える一方で。。やはり、まとまり切らずとりとめなくても公開していくことにしました。出会う先々で「note見てます」と伝えてくださる皆さんにはいつも励まされます。ありがとうございます!

ここ最近も10平米ほどのコーヒースタンドから、丸ごと新しいまちひとつのプロジェクトまで、いろいろな仕事が進行しています。相談ごとを含めると本当にいろいろな人と出会い、お話をうかがうことも多いのですが。

その中で、先日とてもショッキングな資料を見ることがありました。

「まち」は他の「まち」と比較してつくるもの?

Aというまちの役人さんが、自分のまちの紹介をはじめました。

「これからAというまちは、こういうまちに変わっていきます」。そこでシェアされたのは、自分たちのまちと他のまちを比較する表でした。Bのまちには映画館があり、Cの駅には合わせてショッピングモールもある、ホテルが何がと続きます。

そしてオチが、

「自分たちのまちには○○が無い、足りない」
(だから、それらをつくろうと思う)

といいたげです。

実は「まち」って、捉えどころが難しいもの。皆さん「まち」ってどんなイメージ持っているでしょうか? ここ最近、僕自身の一方的な気づきというか、例えばこんな捉え方をしてみたんですね。

「まち」を一人の「人間」、あるいはこれから成長していく「子ども」として捉えてみた

そしたら、意外としっくり来た。「まち」とは生きとし生ける個人の集合体。それが総体として「まち」なるものとして立ち上がっていると言えなくも無いかなぁと。

すると「まち」同士が比較されている図は、僕の脳内で、Aさん、Bさん、Cさん、Dさんと並べられ、さまざまなスペックで人間が比較されている図と書き換えられるわけです。人間に当てはめてしまうと、相当辛いですね。自己肯定感もゼロ。今どき隣の誰かが、何かをやっているからと押しつけられる子どもがいたとしたら、いや、大人だって辛いですよね。

別に比較して映画館がないからつくろうということは、問題ではないと思うですよね。ただ、やはり横一線に比較、検討されていることに少し異常性を感じたのでした。

それぞれの未来のまちを語り、どうつくっていくかという話になると、今でもビルディングをつくろうとする方々が、行政や企業の中枢にいらっしゃることが多いようです。そういう思考の人たちは、市民の捉え方も、相変わらず思考停止の傾向にあるようで。

以前別の記事にも書きましたが、そのまちに暮らす全市民は、クリエイターであり天才なんです。まずはそこに立脚しなくてはいけない。だから、モノやサービスを一方的に与えるのではなく、最低限のモノとサービスの間に、個人個人の創造するモノやサービスが立ち上がっていくことを目指す。それが「人間的なまち」。

※という話に理解を態度を示し、つくるものが商業施設や公共施設にに「地域拠点」「コミュニティスペース」を貼り付けとけば良いと思っているコミュニティ施設主義みたいな人たちのヤバさについても、またいつか。。

たとえばこんな図解

喫茶ランドリーからはじまり、いろいろなスケールのプロジェクトに携わってきた4年間で、お店ひとつでも、場所ひとつでも、まちづくり、都市作りひとつでも同じ考え方がしっくりくるな、とより思うようになりました。

こんなイメージにまとめてみました。

これまで都市間競争というゲームに乗ってあれこれとつくってきたまちづくりって、写真の中の器だけではなく、サボテンに表されるそこに生じるサービスや行為までをもしっかり描きすぎていたんですよね。でも、そのつくり方がかなり間違っていたことは、もはや言うまでもないでしょう。だって、再開発で作ったまちにコミュニティが生まれない!などと躍起になっているわけですから。

あくまでつくるのは、良い器。ただ、その先にさまざまなサボテンが、そこで暮らす人々の手によって立ち上がっていくことを可能にする器のデザインでなくてはいけません。それは制度やハードといった、市民には簡単には動かせないものたちです。

整えられた、とても魅力的な器の中で、人々は日々コミュニケーションを取りながら、思い想いのものを立ち上げていくこと。新たに立ち上がっていくものが、そこに昔からあるものと相まって「そのまちらしさ」になる。

少し離れた駅と比較して、アレが欲しい、コレが欲しい、映画館が欲しい、ホテルが欲しいと思ってしまう気持ちはわかります。でも、大きな資本でつくられるそんな施設よりも、まちの人が立ち上げるものでつくられていくことに勝るものはないのです。

突然の訪問にもかかわらずシアタードーナツのオーナー宮島真一さんがいろんな話を聞かせてくださいました。コザの再訪ネタもまた書かなくては。とにかく素晴らしかったコザ。

少し前に沖縄県市コザにいったときに出会ったコミュニティ映画館「シアタードーナツ」とか、本当にやばかったですよ。(興味のある方は少し調べてみてください!)

そうそう。関西方面にいくと、ついつい「おたべ」を買ってしまいます。ふと創業時はどんな感じだったのだろうと思って調べたら、終戦直後の1946年に、1.8メートルのガラスケースにお菓子を並べて商いしたのがはじまりとありました!(リンク先の写真見てみてください!) それが今では京都らしさの一端を担っているわけです。

https://www.otabe.kyoto.jp/kaisya/jigyou/takara.html

コザの映画館も京都のおたべも、物件や素材や周囲で応援してくれるコミュニティも含めて、さまざまな器が整っていたから立ち上がっていったとも言えると思います。そういう新しいチャレンジが、次々を起こるまちとなるために、さて自分たちのまちでは改めて器をどうデザインしていくか、というのが今、これからの時代に求められるものだと思います。

闇雲に、施設を誘致し、ビルを立ち上げていくことでは実現できないことを手にするために、日本には一度リセットする勇気が必要のようです。今こうしている間にも海外では、新しい開発のカタチが発明されています。何も商業施設が悪いとか、巨大なビルが悪いとは僕は思いません。今回指摘した考え方でデザインし直すことができれば、新しいカタチの商業施設は発明できるし、巨大なビルも発明できるのです。

そのためには、まずは、まちのつくられ方の新しいイメージを、多くの人と共有していくことが大切だと思い、今回の記事を書きました。。

もし、共感してくださる方がいらしたら、ぜひお仕事をご一緒に!

それでは、今日はこの辺で。

1階づくりはまちづくり。

大西正紀(おおにしまさき)

ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。

*喫茶ランドリーの話、グランドレベルの話、まだまだ聞きたい方は、気軽にメッセージをください!

http://glevel.jp/
http://kissalaundry.com

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