見出し画像

ふくちゃんとホルン(短編小説)

ふくちゃんはお母さんの妹で、わたしのおばさんだけれど、お母さんとは全然似ていないなぁといつも思う。
「こんにちは」
うちのリビングに入ってきたふくちゃんは、こんがり焼けたパンみたいな顔で、ニカッと笑った。お母さんはふくちゃんを見て目を丸くした。
「ちゃんと帽子かぶってる? 日焼け止めは?」
「めんどくさいからかぶってないよ、日焼け止めもしてへんし」
お母さんはあきれた顔になった。ふくちゃんは全然気にしていないみたいだった。わたしは二人を交互に見た。お母さんは肌が白くて、いつもお化粧をしている。ふくちゃんは笑った顔のまま、わたしを見る。
「あみちゃん、準備できてる?」
「うん」
わたしはリュックを背負った。小学校最後の夏休み、星の観察をするために、ふくちゃんのうちに泊めてもらうことになったのだった。ふくちゃんは山奥の家に住んでいて、灯りがほとんどないから星を見るにはいいだろうとお母さんは提案した。お母さんも一緒に行こうよとわたしは言ったのに、お母さんは、
「お母さんはいいわ、虫は苦手やし」
とすぐに首を横に振った。わたしも虫は嫌だけれど、星のためならちょっとぐらいは我慢しようと思ったのに。
「じゃ、行こうか」
ふくちゃんはもう玄関へ向かっている。お母さんは、
「もうちょっとゆっくりしていったら?」
と追いかけてきた。わたしは二人の間で立ち止まる。ふくちゃんは靴をはきながら、
「時間かかるからさ。じゃ、あみちゃん預かるわ」
と言った。わたしも靴をはく。
「そっか、じゃ、行ってらっしゃい」
お母さんは手を振った。
ふくちゃんの車は軽トラックだった。わたしは助手席に乗り込んだ。お母さんの車よりだいぶ視線が高い。
ふくちゃんがエンジンをかけ、軽トラックは動き出した。大通りを抜けて、だんだん細い道へ入っていく。ふくちゃんのスマートフォンから音楽が流れている。聴いたことがあるような、ないような。
「これ、何の曲?」
「チャイコフスキーのくるみ割り人形。いいやろ」
ふくちゃんは趣味でホルンを吹いていることを思い出した。木の下でホルンを吹くんだとふくちゃんが言ったとき、お母さんは、
「あんたは自由でいいなぁ」
とため息をついた。山でホルンを吹くことが自由なのかどうかわからなかった。冬は雪が深くて外に出られないし、台風が来たりするとすぐ停電するんだとふくちゃんは言っていたけれど、どうしてわざわざそんなところに住んでいるのか、わたしは不思議だった。
山道に入って、カーブばかりが続く。音楽がぷつりと切れた。
「あー、切れちゃった」
ふくちゃんは鼻で続きを歌いながら、運転する。走っても走っても木ばかりだ。こんなところに家があるのかなと心配になってきたとき、ふたたびチャイコフスキーが流れだして、ぽつりぽつり家が現れだした。
「ふくちゃんの家、もうすぐ?」
「うん、もうちょっと」
小さな橋を渡ったところの古い家の前の空き地に、ふくちゃんは軽トラックをすべりこませた。
「はい到着」
ふくちゃんはわたしを見てニカッと笑った。もう夕方になっていた。

家にはインターホンがなかった。ふくちゃんは、よいしょっと重そうな玄関の戸を引いた。中は暗くて少しひんやりしている。わたしはふくちゃんに続いて靴を脱いだ。入ってすぐは廊下になっていて、突きあたりは畳の部屋だった。部屋には何もなくて、ホルンがすみっこに置いてあるだけだった。なんだかお化けが出そうな家だ。
「先にご飯食べようか」
わたしは、うんと返事をして急いでリュックをおろし、ふくちゃんについていった。キッチンはうちのとは全然違った。おばあちゃんの家のキッチンと少し似ているけれど、流し台や冷蔵庫は外みたいに靴をはいていくのだった。冷蔵庫には、卵、ハム、豆腐しか入っていなくて、そういえばお母さんが、ふくちゃんはあまり料理をしないと言っていたのを思い出した。
なにしようかなぁ、いつも目玉焼きやからなぁと呟きながら、ふくちゃんは炊飯器の前に立った。
「こんにちは」
外から女の人の声が聞こえてきた。
ふくちゃんが、はーいと返事をすると、すぐ側のドアからエプロンをした女の人が入ってきた。わたしを見て、
「あ、もしかして姪っ子さん? こんにちは」
と笑った。わたしもこんにちはと頭を下げる。
「ふくちゃんとちょっと似てるなぁ」
そう? とふくちゃんはわたしを見た。女の人は手に持っていた大きなタッパーをふくちゃんに差し出した。
「これ、いっぱい作ったし、よかったら食べて」
ふたを開けたふくちゃんは、うわぁと声をあげた。小さな稲荷寿司がきっちりと詰まっている。
「ありがとう、美味しそう!」
わたしもありがとうございますと頭を下げた。これで夕飯は目玉焼きではなくなった。ふくちゃんは女の人としゃべりながら外へ出たので、わたしも一緒に出た。女の人はふくちゃんと同じような軽トラックに乗って帰って行った。中へ入ろうとすると後ろから声がした。今度はおじいさんがビニール袋を手に提げてやってきた。作業着っぽい服装で、頭にはタオルを巻いている。
「ふくちゃん、これ、ようけ採れたさかい、食べて」
ふくちゃんと一緒に袋をのぞきこむと、トマト、ゴーヤ、曲がりくねったキュウリが入っていた。底には小さなタッパーが入っていて、小魚の佃煮だとおじいさんは言った。
「うわぁ、ありがとうございます、うれしい」
ふくちゃんはおじいさんとしゃべり始めた。ここではみんなからふくちゃんと呼ばれているのかなと思った。そして、ふくちゃんがあまりご飯を作らない理由がわかった。おじいさんはわたしを見て、
「星がよう見えるで、ここは」
と言って帰って行った。
「サラダもできるなぁ」
タオルの頭を見送ってから、ふくちゃんはうれしそうにわたしを見た。
わたしとふくちゃんは蚊と戦いながら、夕飯を食べた。稲荷寿司は甘くておいしかったし、トマトはちょっと固くて、ハムと炒めたゴーヤはだいぶ苦かった。ここはクーラーがないけれど、窓を開けていると涼しい風が入ってきて気持ちよかった。でもそこから大きなムカデも入ってきて、ふくちゃんはほうきでがんばって追い出した。お母さんが来たくないと言ったのがわかる。ふくちゃんはほうきを片付けた。
「さて、そろそろ行こうか」
「星を見に?」
「そう。長袖と長ズボンに着替えてや。虫もいるからな」
わたしは着替えて、ふくちゃんについて玄関を出た。ふくちゃんは懐中電灯と、どうしてかホルンを片手に持って、来るときに車で通った道路を歩き始めた。わたしはふくちゃんの後ろをついていく。外灯が途切れたところで、ふくちゃんはホルンと懐中電灯を置いて、道路の真ん中に寝そべった。
「えっ、こんなところで見るん? 危ないやん」
「大丈夫、もう車は通らへんから」
わたしは、こわごわふくちゃんの隣に寝転んだ。車の音がしたらすぐに起き上がろうと思ったけれど、あたりは静かだった。背中のアスファルトがあたたかい。目が慣れてくると細かい星がたくさん見え始めた。ときどき風が鼻の先をかすめていく。わたしは夏の大三角形を探して、指でつないでみた。
時間がどれくらい過ぎたのかわからなかった。突然、ふくちゃんが起き上がったので、わたしは寝転がったまま、ふくちゃんのほうを向いた。ふくちゃんはあぐらをかいて座り、ホルンを構えた。
「夜空の演奏会」
ふくちゃんはそう言うと、息を吸い込んでホルンを鳴らした。やわらかい音が夜の空気にのって流れていく。少し遅れて、音は山にこだました。わたしは思わず聞いた。
「夜に吹いて、怒られへん?」
「大丈夫、いつも吹いてるし、誰も聴いてない。気持ちいいねん、これがまた」
ふくちゃんはもう一度、長く音を鳴らした。星を見ながらホルンを聴いていると、自分がいまどこにいるのかわからなくなりそうだった。ふとお母さんが言っていた自由ってなんだろうと考えてみた。ご飯や野菜をおすそわけしてもらえること。夜にホルンを吹けること。道の真ん中で寝転がって星が見られること。合っているような、違うような。
星がすっと流れていった。わたしはやっぱりお母さんも来ればよかったのになと思った。


◎写真はみんなのフォトギャラリーからお借りしました

#短編小説 #ショート小説 #児童文学 #ホルン #掌握小説 #小説

いただいたサポートは創作活動、本を作るのに使わせていただきます。