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「空気」【エッセイ】八〇〇字

 外出しようと、エレベーターを利用した際。途中で小学三、四年生くらいの、男の子が乗ってきた。軽く会釈したので、「どこか遊びに行くの?」と訊くと、「紀伊国屋書店に行きます。欲しい本があるんです」と答えた。自宅マンションの住人は、比較的あいさつを交わすほうだったが、コロナ禍以降少なくなっただけに、この子に救われた気分になった。
 鴻上尚史の『「空気」を読んでも従わない』に、こう書いてある。「エレベーターに乗ると、日本人は、全員が沈黙したまま、決して目を合わせず、じっとドアの上に表示された階数の数字を見つめています」(四十三頁)、(ある、ある)「欧米ではエレベーターの中で、必ず、目礼か会釈か会話が始まります」(四十四頁)。(そうそう、よく見かける)
 確かに、国内であっても、エレベーターで欧米の方と一緒になると、最低でも目礼はある。ときには、「ハーイ」か「グッモーニン」、「グッイブニン」でさえも、ある。
 欧米に旅行すると、他人でも、ちょっとした会話がある。(つられてだけど)「グッモーニン」ぐらいは、言うことにしている。
 何回かそんな経験を繰り返すと、日本のホテルやレストランでも、「ありがとう」はもちろん、ぶつかりそうになったら、「失礼!」も、自然に口から出てくるように、なった。
 鴻上の本を読むまでもなく、エレベーターの階数をじっと見つめるひと、スマホを見いるひとが、あまりにもシャイすぎると思えてきて、同調したくない。「意地でも階数なんか見ないぞ」とばかりに、まっすぐ前を見つめているか、周りのひとに、ニヤっと笑顔を作ることにしている(気味悪いかも?)。
 ある日、外出から戻りエレベーターに乗ると、続けて三人が入ってきたので、つい、ボタンを押し忘れていた。すると、「何階ですか?」と、男の子に訊かれた。「ああ、〇階、お願い。ありがとう」というと、彼は軽く会釈をして微笑んだ。あの紀伊国屋の子だった。

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