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『キネマの神様』【エッセイ】二四〇〇字

※TOP画像は、映画のロケ地となった「川越スカラ座」

 「あなたにとって人生最良の映画は、なんですか?」

 映画『キネマの神様』を観て、そのあとに原田マハの原作を読んだ。
 
 2020年3月29日23時10分、国立国際医療研究センターにおいて、新型コロナ感染症で志村けんが急逝した。日課のウォーキングのルートにもなっている近くの病院で。翌日にはその周辺を、彼を偲びながら歩いた。まもなく、自身初の主演映画『キネマの神様』のクランクイン目前だった、と知る。『男はつらいよ』をはじめ、山田洋次の作品のほとんどを観ている。山田映画そのものはもちろん、志村を主役に据えようとしていたことも興味を増幅させた。しかし「山田組」は、予定していた主役を奪われただけでなく、コロナ禍で構想に大きな狂いが生じただろうことは、想像に難くない。

 そんな紆余曲折がありながらも、映画は、期待通りに山田洋次お得意な家族愛・友情を表現した内容になっており十分に楽しめた。案の定、山田マジックにかかり最後は泣かされてしまった。さらに、予想はしていたものの、エンドロールに「さようなら志村けんさん」が出てくると、大洪水。自宅だったから良かったものの、映画館なら「明るくしないで(競馬好きの主人公なら、「そのままあ~! そのままあ~!」)」と叫んでいたかもしれない。

予告編

(映画は、Netflixで無料)
 何度も、観た。冷静に鑑賞できるようになって感じたのは、やはり、(泣かされながらもあえて言うと)志村けんのイメージが払しょくできないことだった。
 事務所が同じで親友ということでバトンが沢田研二に渡されたようだが。沢田も志村を意識していた。ビールを飲んだあと、「あ”~~」と発するのは志村のマネだったように。ちょこまかと動く所作にも。主役「ゴウ」は、ギャンブルとアルコールに依存する借金まみれの落ちぶれた役柄。年金と、公園掃除のアルバイトの収入は賭け金に消える。沢田がどんなに役に成りきったとしても、どうしても昔のジュリーのイメージがあり、(私には)無理があった。志村なら、どう演じただろう、と思ってしまう。やはり、この「ダメ男」は、クセのある志村のはまり役だったのでは、と思えてくるのだ。少なくても沢田ではなく、(小説を読んでから思ったのだが)例えば火野正平のような(原作の「ゴウ」は禿げ頭ということもあり。「こころ旅」で調整は難しいかもしれないが)。
 あと一つは、昔と現在の「ゴウ」のギャップも気になった。
 「ゴウ」は、昔は映画監督を目指す青年(菅田将暉)。松竹映画100周年を記念して制作された作品であるが故のストーリーだからだろうか、当時の撮影シーンに多くの時間を割く。映画愛、松竹大船撮影所へのオマージュに溢れている。松竹を代表する監督が登場する。最初は清水宏(出水)、のちに小津安二郎(小田)だ。そして、その作品らしきスタジオセットが組まれる。「ゴウ」はその助監督役。純粋に映画を愛する好青年に見える。台詞のなかでは「競馬や麻雀が好きな男」となっているが、菅田将暉には、そのイメージが薄い。後年の「ゴウ」役と同様に、もっとアクの強い女たらし男(中背の若手俳優)をキャスティングしたほうが良かったのではと思った。

この(純粋な)助監督「ゴウ」役は、山田洋次の昔の姿そのものなのかもしれない。いまでは小津ファンを公言するが、当時は清水や小津の作品について批判的だった。そのことが、初監督作品となるはずだった『キネマの神様』の脚本について「ゴウ」が説明するシーンで、こう言わせる。「おれは、うちの会社が作るメロドラマとかホームドラマ、ああいうベタベタしたセンチメンタリズムにうんざりしているんだ。出水さん(清水)も小田さん(小津)もそうじゃないか。(中略)<乾いた映画、ドライな喜劇。ダイナミックな、思い切ってファンタジックなストーリー>それこそが新しい映画(後略)」と。山田は当時そう思っていたと、他の機会で述べている。

 映画の山場は、「ゴウ」が立ち直っていくシーン。初監督作品になるはずだった、「ゴウ」が書いた脚本が残されていて、一緒に住む孫が目にし、絶賛。書き換えてコンテストに応募しようと提案する。そこから「ゴウ」は、ギャンブルも忘れ孫と二人で完成させ、脚本賞(木戸賞<城戸賞>)を受賞。その授賞パーティでフォルティッシモに。そしてラストにつながっていく。

 原作は、(往々にしてありがちだが)映画とは全く異なる。「ゴウ」の昔は、映画をこよなく愛する男というだけで、助監督ではなく、(寅さんのように)全国を回る家庭訪問販売員。その昔の「ゴウ」は描かれていない。映画とは、登場人物の一部が同じなだけだ。主人公の円山郷直さとなお、その妻の淑子あきこ、娘のあゆみ)、「ゴウ」の親友、名作映画館の館主「テラシン」。そして、立ち位置は異なるが、「ゴウ」に影響を与える歩の息子(小説では歩が勤める映画雑誌社の社長の息子。どちらも才能はあるが「籠り」)が重なっているのみ。

 小説の最大の見せ場は、娘の歩が勤める映画情報誌社が運営する(社長の息子が立ち上げ管理する)ブログでの映画評論バトル。「ゴウ」と、謎の(実は世界的な)アメリカに住む映画評論家とのブログでの激しいやりとりが続く。この評論は、もちろん原田が書いているわけで、むろんこの文章も秀逸なのだ。
 「ゴウ」と謎の映画評論家のバトルが続き、二人は徐々に友情を感じるようになる。最後は、会いたいと言ってくる。その場で「私の人生最良の映画は何かを教えよう」と。しかし、しばらく間があり、最期のメールが届く。「いちばん好きな映画を、いちばんお気に入りの映画館で一緒に観たかった」と、告げる。さらに追伸で、「「私の人生最良の映画は、君が最良と思っているあの映画だ」と、告げる。その映画を「ゴウ」と仲間たちが、「テラシン」の映画館で上演することを企画し、「人生最良の映画」の冒頭シーンが映しだされようとしたところで終わる。「あなたにとって人生最良の映画は、なんですか?」と、語りかけるように。

<後記>
ちなみに、小説でゆいいつ実在する映画館が和光裏「シネスイッチ銀座(前身は銀座文化劇場)」なのだが、(原田に指名されて)文庫の解説を書いている片桐はいり(映画にもチョイ役で)も、この映画館で、仕事の合間に“もぎり”をしているようだ。

(ふろく)

(『キネマの神様 ディレクターズ・カット』)

 『キネマの神様』は、小説を映画化し、さらに映画の脚本を原田によってノベライズ化するという珍しい試みがなされている。「映画を観て」→「原作を読む」→「さらにノベライズ」なのか、原作→映画→ノベライズなのか、いろいろな組み合わせが考えられよう。
 原田は述べている。父親と映画館で観たはじめての映画は、『男はつらいよ』で、寅さんファン、山田監督ファンになったと。そういえば、『フーテンのマハ』というエッセイ集を、映画化される2年前に出している(そのカヴァーにも「敬愛する寅さん」とある)。原田は、映画化されるなら山田監督の手でと想っていたほどに相思相愛で、「キネマの神様」を描いた。そして、“キネマの神様”によって実現されたのだ。
さらにこの本で、小説の前三分の一は私小説、と原田自身が述べている。ギャンブルで借金がかさみ家族が苦労すること、無類の映画ファンであることなど、「ゴウ」のモデルは、父親そのものらしい(このディレクターズ・カット版の最終部に、「for 原田剛直」とある)。美術だけでなく、映画の知見を披露しているのは、その父親の影響だったようだ。原田が学生時代にアルバイトで“もぎり嬢”(池袋文芸座)をやっていたようなのだが、父親の紹介だったらしい。

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