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「もしもの構え」でなんとかする5

「もしもの備え」を忘れても「もしもの構え」でなんとかする、の続きを述べます。

「なんとかする」は「なんとかする」である。
「なんとかさせる」にしてはいけないのである、と何度も強く述べています。

何故ここまで強く述べるか

何故ここまで強く述べるか。

非常時にこそ「なんとかする」と個々人が思考を柔軟化する必要が出てくるということ。
非常時にこそ「なんとかさせる」という老害が、他人に「なんとかさせよう」とすること。

この2つは、災害が発生する前に構えておかないと、思考がそこまで及ばなくなるからです。

雑務が如何に思考を妨害するか、言うまでもないことだと思います。

非常時は、想定内の雑務もあり、想定外の雑務もありで、ただでさえ思考が妨害されます。
そこからさらに雑務をつくり出すのが老害です。

雑務によって「なんとかする」や「なんとかしてみる」という思考には行き着けなくなる。
程度の多寡こそあれ、行き着けなくなります。

ゆえに、自分だけでも「なんとかする」が大事。
一方で、自分「たち」が「なんとかする」では、「なんとかさせる」が生じるので、厳禁。
こういう理屈なんです。

「させている」ように見えてしまう

非常時は、細かく気がつくと厄介なのです。
あれもしておこう、これもしておこう。
人々のため、あれもこれも、予めしておこう。

そこに人災が現れて「おう、頼んだ。」と言う。
これがいけない。
これが本当にいけない。

「老害がさせているように」周囲が受け取る。
老害が口を挟んだだけであろうと、よく知らずに見かけただけの周囲が、そう受け取ってしまう。

こういう理屈で、無能が「やらせる側」になり、有能が「やらさせられる側」に見られる。
極めて恐ろしい、放言であり、暴言です。

駄々っジジイは要支援者

老害が後から見かけて「おう、頼んだ。」などと言い放つと、遅効性で致死性の猛毒になります。

断られても聞き入れませんから。
「頼んだ頼んだとにかく頼んだ」と駄々をこね、駄々っジジイをやるだけで済む。

ゼロ円で発注者になれるのでパワハラをする。
ゼロ円で消費者になれるのでカスハラをする。
それが非常時における老害です。

偶然居合わせただけの人は下請けではない。
偶然居合わせただけの人は従業員ではない。
そんなことさえわからないのが、非常時における老害です。

老害は要支援者です。
あれもこれもしてあげないといけない弱者です。
なのに、発注者や消費者のように振る舞う。
言いたい放題、やりたい放題。
注文をつけ、評論をやり、八つ当たりもある。
要支援者の弱者の側のはずが、そうなる。

ゆえに「なんとかさせる」というのは禁句です。
テイカーの常套句に他なりません。
テイカー、弱者、老害の三拍子揃った人災如きが指示を出す側になっては絶対にいけません。

テイカーは人災です。
もし読者の方に、テイカー予備群の方がいたら、生活習慣や思考習慣、もしくは、性格を改善することを強く求めます。

#もしもの備え

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