「もしもの構え」でなんとかする2
「もしもの備え」を忘れても「もしもの構え」でなんとかする、の続きを述べます。
前回は、「なんとかする」という思考の柔軟化が「もしもの構え」になる、と述べました。
けれども、「なんとかさせる」ではありません。
「なんとかさせる」は絶対にいけません。
今回は「なんとかさせる」について述べる前に、その前段、「なんとかしろ」について述べます。
「なんとかしろ」が「なんとかさせる」になっていくからです。
誰に「なんとかしろ」と言うのか
物理的に声の届く範囲内?
「なんとかしろ」と言う場合、誰にしろと言うのでしょうか。(※私は言いませんが。)
自身の声が届く範囲内ではないでしょうか。
自身の「声が届く範囲内」、というのが比喩表現なんですね。
物理的に「声が届く範囲内」ならば、それが例え知事であろうと市長であろうと届くわけです。
来賓、視察、選挙などで、その前後に見計らって野次を飛ばせば物理的に届きます。
ただ、そんなものは要求ではなく野次。
野次将軍が要求のつもりでいようが、野次です。
野次でなく要求の「なんとかしろ」が本題です。
誰に対しても言う?
老害が野次ではなく要求として「なんとかしろ」と言うのは、概ね、年上から年下に対してです。
愚かな老害は「俺は誰に対しても言う。」などと平気で嘘を言いますが、年上には言いません。
オラオラどうした。
誰に対しても言うんじゃなかったのか。
老害は「いやいや、そうだけど、でも。」と返すだけです。大嘘にも程があります。
愚かな老害は、「誰に対しても」とほざいておきながら「(都合の良い)誰に対しても」言う、でしかないのです。
心理的に声の届く範囲内
老害が「なんとかしろ」と言う対象は、心理的に声の届く範囲内でしかないのです。
老害でなく子どもだったら、話は別。
心理的に声の届く範囲が、大人の常識を超えますからね。
この「大人の常識」という言葉に当てはまらない老害、即ち、老いた幼児みたいな駄々っ子でも、話は別です。
(※「子」ではないので駄々っジジイですね。)
心理的に声が届くと思いやがったか、と受け取りましょう。その上で、人災から避難しましょう。
追いかけてくることは稀です。避難が一番です。
懇切丁寧に「やって差し上げる理由は無い。」と説き伏せると消耗します。
説き伏せきれずに少しだけ助けると、次の要求が開始されます。
他人にそんな要求はできない、という基準が違うため、何を言い出すかわからないのです。
テイカーは人災
駄々っ子と駄々っジジイはテイカー(taker)です。
taker×takerです。
テイカーは人災です。
あまりにも異文化、異言語すぎて、そいつの言う日本語がわからないと思います。
テイカーは人災ですから避難しましょう。
世の中にはどうしようもない人災が紛れていて、何かしら理由をつけては、「なんとかしろ」、とほざいています。
老害、若手老害、元ヤンなどが、理由にはなっていない理由を持ち出して、「なんとかしろ」、とほざくことが多いです。
理由というか、因縁。
因縁をつけて要求してきます。
因縁をつけて要求する、ってヤンキーみたいですが、実際に元ヤンの中高年や高齢者はヤンキーの状態からそのまま加齢しているのでしょう。
老害の因縁は、ヤンキーのカツアゲと一緒です。
カネが欲しいなら同級生より銀行員に行くべき。
けれども同級生に行くのがヤンキーです。
周囲の人々に行くのがテイカーです。
ちょっと関わり合いになりたくないんで、早めの避難が賢明であろうと思います。
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