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イタリアの一皿は丼である

前回、前々回と、防災対応のイタリア型について述べました。
少しだけ、イタリアの食文化について、私なりに思うところを述べます。

日本人はすぐに食文化の話をしたがる

私が昔から常々思っていることなので、敢えて、真っ先に述べておきますが、日本人は何故かすぐ食文化の話をしたがりますよね。

「イタリアと言えばイタリア北部地震!」
「イタリアと言えば防災!」
「イタリアと言えば市民保護局!」

そんな人が周囲にいたことがありますか。
私はありません。

概ね、ピザかパスタ、イタリア料理の話に持っていこうとする人がほとんどです。
それぐらい、日本人の食への拘泥は強いのです。

イタリア人が被災者に温かい食事で元気を出してもらいたい、と考えて、何かいけませんか。

ネット右翼が、戦時中のイタリアのエピソードを披露してドヤ顔をするのも、もうウンザリです。
※イタリア軍は、激戦地でも温かい食事を摂取していました。(史実です。)

同時に、ピザやパスタのシェアの話をするのも、ネット右翼ほどではないにしろ、ウンザリ。

シェアをしない文化なのは知っています。
ただ、「私はこれ知ってる」という自慢なんて、少なくとも、成人期以降は繰り返すべきではないかな、と私は思います。

イタリアはピザをシェアしない

「イタリア人はピザをシェアしないらしいよ。」
何度も何度も聞きました。聞き飽きました。
はいはい。そうですね。

日本人やアメリカ人は、ピザをシェアします。
そういう文化だから。
イタリア人は、ピザをシェアしません。
そういう文化だから。

なんでしないのかな、なんて知りません。
私ではなく、イタリア人に聞いてほしい。
私に言えるのは、イタリアだけでなく、ドイツもそうらしい、ぐらい。
イタリアのこともドイツのことも「らしい」なのです。私はただの日本人です。
行きたいですが、行ったこともありません。

イタリアの一皿は丼である

以下に、完全な私見を述べてみます。
「イタリアの一皿は丼である」と。

ピザの箱を、紙皿、かつ、大皿だ、と思っているから、シェアという発想が出てくるのです。

イタリアのピザは丼物であると捉えてみてはどうでしょうか。牛丼やカツ丼のように。

イタリア人は、ピザを食べる時は一種類です。
そして、一人一皿。
マルゲリータも、クワトロ・フォルマッジも、色々食べたい、とはならないらしい。

日本人も丼物はそうですよね。
牛丼は牛丼。カツ丼はカツ丼。
合い盛り丼もありはしますが、基本的に一種類。
そして、日本人の丼物は、一人一丼です。

なんで日本人は、牛、カツ、親子、カレーの丼にしないのかな、とは言われないでしょう。
クォーターピザみたいな、クォーター丼をすればいいのに、と言われても困るでしょう。
クォーター丼を仲間でシェアすれば、8種類でも、12種類でも、なんて言われても困るでしょう。

もし言われたとして、「そういうもんだから」としか言えないでしょう。

けれども、イタリアのピザには思ってませんか。
イタリアのピザはアメリカのピザではないのに。

完全な私見ですが「イタリアの一皿は丼である」というのは、我ながら良い発想だと思います。

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