ビジネスにおいて「本質」は問いにならない

カント的なのですが。(この一言で、この投稿の意図が伝わる人がいると思います)


良く「本質」と言う言葉を用いて、ビジネスのコアな箇所を捉える表現することが多いと思います。僕もちょっと前までは、使いやすい言葉なので使ってました。

ただ、よくよく考えると、ビジネスの本質はユーザの認識にある。そして、その認識は行動でしか表現できない。つまり「現れ」のみを僕らビジネス側は観察できる。つまり、本質自体を観察できない。

本質自体を問うのは、神様がいるかどうかを問題にするようなもので無理ですね。そう言う話です。


経済学や機械学習関係で言えば、カルマンフィルターや隠れマルコフ的です。「観測値」から「ある状態」を予測するもので、状態自体は観察できない。

僕らは、「現れ」=「観測値」から「ある状態」=「本質」を予測することしかできない。

NAIRUの状態は、観測値から予測するしかできない。


しかも、それは「構造主義」的にしか認識できない。「差異」がないものは、僕らは認識できない。

与党も野党も同じことを言っているなら同じです。コーラもペプシも差異がなければ同じ。


差異が消費者に認識を生み出し、その認識から予測プロセスを通って、その状態を確定させる。


ビジネスにおいては「本質」を問うのではなく、「観測」を問う方が妥当です。本質を問うのは神様を論じている状態で、答えが出ない。

科学が発展した理由、そのものです。神様を論じていても、永久に解決しない。

こんな感じで終わります。