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流行や習い事なども、信じるが「洗脳」に近いモノになってしまう現象

ハッキリ言えば

・ヨガなどの スピリチュアルに入って行く傾向のモノ
・武道関係の習い事
・何かしら 教えて貰う関係性

これらには 信頼関係から あまりに信用してしまうという事で
依存関係から「洗脳に陥りやすい」

信じ切ってしまう恐ろしさを言いたい訳です。

これはある意味 致し方ない部分もあるけど
「型があって 形無し」だったか
いや
「型があるから型破り、型がなければ形無し」という
ネットなどでは 歌舞伎役者の勘三郎の言葉が 一番出てくるみたいだが
これは 電話の子供相談で
「僧侶で教育者の無着成恭先生の言葉」を聞いての引用らしい

それらもネットでは、出てきた
そして「仏教の教え」に それらの事があるという推察もあったけど
多分 その答えは

武術の守破離(しゅはり)にあると思います。
wikiには もとは千利休の訓をまとめた『利休道歌』からとも書いている

千利休が~~というのも あまりに始まりが 唐突ともいえ
いきなり そんな事を唱えられるか?
それ以前 脈々と教えがあったからこそ

そこのエッセンスを纏め上げていった後の「茶道」だと思う。
「道」の付くものには その前に「術」があって

技術体系だけを進めていった経緯がある。
そこから 精神的な哲学を合わせて「哲学=道」と合わさった。

だから最初の教えも大事 
だが
そこを打ち破る事が出来なければ一人前とは言えない

と古来からの考えがあるのですが
この道筋が あやふやだったり 明確でなかったりして
教えと言うより 真似事を伝えるに留まっている。

【なぜに、この話?とお思いに】

最近は私はMLMと言うビジネス 要は「マルチ商法」で 呟いたり
書いたりすることが多かった。
それは盲目的であったり、洗脳状態にあたる状態で

勝手な信頼、信じ切った状態で 取り組まされているのです。

それは
・比較対象を 見せてくれなかったり
・一方的な解釈や見解 単一的な情報
・信頼、信用の精神状態を、裏切らせない重圧
これには 相互関係は 在るようで無い!

これが スポーツ施設である 
ヨガ教室や、その手の運動とか ピラティスなど
これらに武術、武道系も あったりする。

一番筆頭は残念ながら「合気道」「太極拳」
申し訳ないけど 練習方法に「自由組手」「試合」がないので
多くの、これらの武道は使えると思わされている事が多い。

守破離が出来ていないからである。
ここでは簡素に説明するけど ちょっと身体の事でお休み期間中に
確実に自分の体で 感じた出来事を書きながら
ちょっと書いていきましょう。

ヨガなど(ここでは他の 体操系を出さず「ヨガ等」で統一)
武術もあるが、型がある。

これらは その動きで一度 身体を使って
習う人に疑似的に出来る感覚を養うために「形作る作業」を養う訳である。
そう言う訳なので
一般的、スポーツでも同じように「振り方、泳ぎ方、走り方」があって
全く無いモノから やって出来る事はない。

よって 「形」「型」は、重要である。
あるけど

それは 型は作るが 型を真似るでは無く
その人から 作り出さなければ 「型は作れない」

それは型や動きの理解であって
指導者が その人に会わせて作り出さないと出来上がらない。

何を言っているのか 分からなくなってくるでしょうから
順を追って

名称未設定17

軸というモノがあって

軸 
それは 身体の中に軸と言う線が あったり
作ったりして 仮想のイメージした重心や重力に合わせて
「鉛直(重力方向)や 力線に合わさった体の中の線」を言っている。

体に 突き刺さる様に骨は存在しない
出足でも 真っ直ぐに骨をしていたら 衝撃が吸収されずに故障する。
故に
「真っすぐ」であっても 実際は体を硬直させて 真っ直ぐを維持している訳でもない、軸を作るとしても 撓りや、遊びや、ゆとり(余裕)が必要

で 大体が「軸を作るための型」などが 教えられる。

水泳理論の 説明画像3

水泳で言えば ストリームラインなどがある。
ヨガなどで言えば 太陽礼拝 ポーズなど 色々あるけど

これらは 軸や形、動きが伴わないと 正しいとは言えない。
軸が出来ているようでいても 過緊張であれば
軸としては 成り立っていない

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軸ではなく「棒」のように一塊になってしまう。
そうすると形は良くても 柔軟性、対応力がなくなるので 良い姿勢でも
悪い姿勢、崩れやすいモノとなる。

上の動きは 水泳のキックであるけど
上半身の姿勢は良くとも 足の動きが悪いと意味を成さなくなるし
(進まなくなるし 疲れる)
この点は すべてに共通する事とおもう。

姿勢での筋肉の緊張は 呼吸にも原因があるから
本来は 筋肉の各部のゆるみや緊張を調節し
その時に 呼吸の仕方や動きを 見たりする。

姿勢には 肋骨の動きや首、肩など
頸椎の微調整を 見てあげた方が より効率よく作り上げることが出来る。
つまりは
形が出来て良い形が 良い訳ではない。

その人には 良い形は無理な姿勢という事もある

外からの形ではなく
内から作る形でないと意味は無い

その作り方は 先生が「出来てますではなく」
実際に物理的に 刺激を与えて 確かめるという作業が必要であり
客観的な動きが重要

となると武道系の合気道は どういう事となる。
それは確かめる方法が間違っているとなる。
つまりは型稽古が実践に置き換わっている考えが大部分ので起こっている。

つまりは 応用力の無い形で練習しているので
腕力に弱いし、殴らないし、蹴らない、戦わないし、掴んでもらって練習

練習も本気の抵抗力で向かってくる人に対して 練習もしていない。
腕力、スポーツ経験者などは そこそこ理にかなった動きをしていて
動きも俊敏で パワーがある。

そこを技の力で 傷つけずに制圧する考えは
現実的ではないという事は 理解していただけるだろうか?

そこらへんの部分が「洗脳、宗教、信用しすぎる、思い込み」である。

こちらのマガジンで説明したりしているが
ここではまだ 首や肩と 鎖骨あたりの肋骨と呼吸などが
不完全で説明はしていない。
私自身が理解していなかったためである。

未だ不十分ではあるものの
姿勢に 今加えた上半身の首周辺で胸元の呼吸の動きを意識して
腹部の姿勢を整えていくと
腹周りの脂肪と筋肉は ある程度良い方向になって
スッキリし 筋肉が実感できるし
無駄に硬い訳でもなく、日常生活で腹筋が 使えるようになってくる。

腹筋にある一定の緊張、テンションが掛かって使えるようになる。
常にある程度「筋肉に力が入っている状態になる」

これは前の記事にも書いたが
「かけている訳では無く、かかっている状態」を作り出している。
本来は 常に気にかけて 常に行う事(日に数回、小時間)
そしてレッスン、始動で 微調整と「上達するように軌道修正の指導」
を受け作り上げていくのである。

毎回レッスンで その気になって
レッスンの時だけ 気持ち良い気分で終わっては 全く上達も進歩もない
先生も ただ教えているだけで お金を支払ってもらっているお客であって
技術を教えようとは全然していない。

そこが「洗脳」に近い、本などの教え
巷に売っている本などを 先ずは疑ったことは無いでしょうから
まず あれらを参考にする。

姿勢を気にするなら 足先の足の裏や、動き、体重の置き方
そういう部分も気にかけて 作っていく方が おそらくは正しい

そうしないと 
・フクラハギと足裏の関係
・腿と股関節
・股関節と仙骨、背骨、肋骨
・首と肩
体全体が纏まって行かない

そこに 改めて軸や姿勢を 作っていく

そのくらいの型があって 型を打ち破る事が
型破り

つまりは 型とは、その中にあるモノを理解して引き出して
近いしなければ 全く意味を成さない!
つまりは 見えない物を感覚として 教えなければならないのだから

そこには 洗脳という事は 只の弊害でしかない
真似事、コピーでは
その人からは何も 生まれ出て無いからだ。

洗脳状態からは 染まってしまった考えから抜け出せないから
何も 生まれない

工夫も生まれないから 変化も生まれない。
今 コロナが未だに収束していないからこそ
難しい問題ではあるが 単純な姿勢であるにしても かなり深い

それを知って欲しいし 「教え」は 非常に難しいモノだ。

読んでいただきありがとうございました。 また 読んでいただければ 幸いです。 サポートの御代は 今後何かを 製作する時に使います。