水戸と仙台を訪問して~つながりを取り戻す~

こんにちは。
 前回のポーランドの視察に触発され、日本の様々な取り組みや知見を知りたいと思い。引き続き勉強をしております。

 今回は、茨城県の水戸市で行っている認定NPO法人PIECESの市民育成の現場の見学、仙台で行われた生活困窮者自立支援全国研究交流会へ参加して参りました。

In 水戸


 前者の水戸は現在、認定NPO法人PIECESが子どもと関わる市民育成プログラム「Citizenship for Children in 水戸」を展開しております。

 このプログラムは私が昨年受講した市民育成プログラム(旧名:コミュニティユースワーカー育成プログラム)をパワーアップさせたもので、この水戸での取組についていつか見学したいと思っており、ちょうどタイミングが合ってお邪魔させていだきました。

 お邪魔した回は、実践者の講座とゼミの二部構成で、講座は「地域での子ども若者支援のこれから~中間支援の立場から見る“非専門職”の可能性~」というお題で文京区社協の根本さんが講師でした。

 根本さんのお話では、印象に残った話として、以下の話がありました。

・専門職と非専門職の違い

 専門職は関わる目的があり、職務としてクライアントと関わる。また、知識、技術を武器として与えられた権限(枠)の中で行動する。非専門職は目的、枠組みにとらわれず目の前の人のニーズにこたえる。対等な関係で困っていなくても繋がれる。

・当事者から見て欲しいのは「支援」か「かかわり」か

 支援する側からすれば支援をしてしまえばケースは終わりなのかもしれないが、その人の生活は続くことになる。クライアントが求めているのは、終わりのある支援ではなくゆるくつながり続けることができる場所・人が社会にあることではないか。

・助けてを発しやすいのは身近な人

 人が困ったときにまず自分で何とかしようとする。その次に、誰かに頼ろうとするがそこでいきなり専門家や行政の窓口へ行くことはなく、最初にSOSを発信するのは家族や友人など身近な人である。誰かとゆるくつながることは、SOSを発信しやすいことにつながる。


 ゼミでは、PIECESの「間の理論」という相手との関係性を重視した関わり方を実践でどう生かすかを何回かのゼミに分けて学んでいきます。

 今回のゼミでは、子ども・若者を取り巻く社会資源を整理してどうやって子どもとつなげるか、もしくはサポートが必要な子どもとつながるか考えるというワークを行いました。
 水戸市を事例として、学習支援の場、児童館、青少年の家など公的なサポートの場から、たまり場や日常の場としてファミレス、コンビニのイートイン(水戸は車社会なので、だいたいのコンビニあります。)など様々なな意見が出ました。

 水戸のプログラム参加者は社会人が多く、自身の子育ての経験を活かすことや、職場が子どもの支援に関わる場でどのようにそれを社会資源に活かしてくか盛り上がりました。
 また、水戸の車社会という地域特性からどこで子どもは集まって、つながりやすいかよくわかりました。

 私も、プログラム参加者から、「先輩いろいろ聞きたいです!」と昨年のプログラムについてや福祉の専門職ではない社会人としてどのように経験を活かしているかいろいろ質問していただけました。
 参加者の熱意を見て、子ども・若者のためあるいは誰かのために何かしたいと感じている人がいろんな地域で機会を求めていると改めて感じました。


In 仙台

 生活困窮者自立支援全国研究交流会では、2日目の分科会「「孤立大国ニッポン」における子ども・若者支援の行方」に参加しました。

 2018年にイギリスでは、高齢者の孤独や主に大人の孤独が健康や寿命に大きな影響を与えるとして、孤独担当大臣が設置されたとして話題になりました。
 日本においては、急速に高齢化が進んだことから独居老人の見守りについて社会課題としてあがっていますが、同様に深刻なのが子どもの孤立です。
日本はOECDの中で子ども・若者が突出して孤独を感じると回答しています。この分科会はそういった問題意識からスタートしました。

 このテーマで約4時間にわたってトークが行われ、次の3つが印象に残りました。

1支援者への支援

 支援をする側が持続的に支援をできるような環境整備が必要である。
 現場のNPOでは、団体の運営費、自身やスタッフの生活費など常にやり繰りに苦労しており、企業寄付や個人のマンスリーサポーターからの協力によってサービスが提供されている。
 企業寄付では、最近はSDGsの流れで社会貢献に対して企業が目が向きやすくなったことや、従業員や顧客を巻き込んだ寄付の方法(例えば、マイルの使い道に寄付を設ける)を提案して寄付を獲得している。
 委託事業についても単年度だと来年も運営費が入るのか不安を感じる。

2なぜ、困難を抱える子どもが増え続けているのか

 現場の実感からすると数年前より、遥かに子ども・若者関連の制度ができて支援も増えているのになぜ困難を抱える子どもは増え続けているのか今一度振り返る必要がある。例えば、児童虐待の通告数や子どもの自殺は高止まりしている。
 支援につながっても問題が解消されなかったり、異なる問題が生じてつまずいてしまう子いるのではないか。

3支援につながった後の対応

 子ども・若者相談支援事業の利用者にアンケートをとると、半数近くがすでに何かしらの支援を受けたり、窓口につながっている。これは、支援を求めている側と提供する側のニーズや目標感が合っていないのではないか、例えばいきなり対面では厳しいのでLINEで相談したいというニーズや、勇気を出して相談したが詰問されたり結局は学校や働くことを勧められてしまったなど。
 支援が対症療法的なものだけにとどまっている場合もある。例えば、生活基盤がしっかりしていないと学習支援をして進学させても中退につながる。
 また、子ども一人で利用できる窓口が少ないのも日本の特徴である。(ちなみにポーランドでは、子どもの権利庁が子どもに必要に応じて代理人となり様々な権利行使や意思決定を支援してくれます。)

 支援は早ければ早いほどいい。カリフォルニア州ではACEスコア(子ども時代にどれだけ過酷な経験をしたか)という指標と成人後に精神・身体疾患のなりやすさは相関があると認めて、子ども・若者の早期のケアを重視している。


 最初は4時間はものすごく長いのではないかと思っていましたが、4時間では足りないくらい多くの話が出ました。


水戸と仙台での学びを通じて改めて以下の二つを感じました。

① 地域の生きづらい子どもの把握

 仙台の分科会の話であったように困難を抱える子どもたちは現在も増え続けています。実際に私がPIECESで接した子どもたちも多様な困難を抱えながらも前に進もうとしていました。水戸の社会資源を探すワークを行ったように子ども・若者がどんなときに困難を抱えるのかどのようなニーズを持っているのか実態をつかむことが必要だと感じました。

② 専門職の支援だけでなく地域・社会のつながりが予防と回復に必要

 世間ではよく児童虐待など悲しい事件が起きたときに児童相談所や行政が批判の対象となることがあります。しかし、児童相談所はかなり重度な場合や緊急度が高いときに介入する機関であり、本来的には予防まで全ての責任を求めるのは過剰ではないでしょうか。

 専門職による支援によって全てきれいに課題解決されるわけではありません。日々暮らしている地域や社会がどれだけ寛容でつながりを持ってくれるかが重要なのだと思います。特に何かを目的とするわけではないつながりを保つような実践が各地域で必要ではないでしょうか。


(本文中の内容は私個人の見解であり、所属する組織の見解とは一切関係ございません)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?