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『わかりあえないことから - コミュニケーション能力とは何か -』

演劇界でのキャリアを経て、長くコミュニケーション教育に携わった平田オリザさんが、2012年に出版されたのがこの本です。最近まで僕は、この本の存在を知らなかったのですが、昨年末こちらのnote、

【保存版】Web時代のライター・編集者らが選ぶ「 #今年の一冊 」9選

の中で、soar代表の工藤さんが紹介されていたのをきっかけに手に取り、今年に入ってすでに二度、読み直しています。


この本は、次のような前提に立っています。

今までの日本では、言わなくてもわかりあえることが美しいとされてきました。けれど本来、人は心からは『わかりあえない』もの。時代が変わり、世界とも繋がって、お互いに『わかりあえない』ことへと直面する状況も増えてきました。

だからこそ、『わかりあえない』人間同士が、それでもどうにか共有できるものを探して、それを広げていく方法を、身につける必要があります。

そのために、これまで日本では希薄だった『対話』というものを重視しようと、近代演劇の手法を通じて出来ることが述べられています。

コミュニケーション力を語るにあたって、「若い人の力が低下している」というのは、今もメディアの記事などでよく見かける話題です。が、平田さんによれば、若い人のコミュニケーション力は下がっていません。

むしろ豊かな表現方法を、上の世代よりもたくさん知っている。ただ社会の変化の中で、求められる能力が変わってきているのだと指摘しています。

実はよく言われるこの『コミュニケーション力』という言葉には、これまで日本社会が育ててきた ①同質性の高いコミュニティの中で、意図を察して行動する(しない)力 と、変化の激しい時代の中で ②異なる文化や価値観の人に自分の主張を伝え、相手の背景(コンテクスト)を理解し妥協点を見出すことができる力 という、全く相反する意味が含まれているというのです。

前者は、親しいもの同士の『会話』から生まれます。それに対し後者は、親しくないもの同士の『対話』(擦り合わせ)から生まれます。

日本は近代化のなかで、この『対話』のための言葉をつくり忘れてしまったのですが、文化的に「コンテクストのずれ」が少ない社会であったため、これまで大きな問題になりませんでした。ただ国際社会の中では、そうした文化は少数派であるため、マナーとして、後者のコミュニケーション作法を身につける必要があります。


ただ実際に演劇の教育を通じてわかったのは、その「コンテクストのずれ」は文化的な差異が大きいほど意識しやすく、違いを認めやすいということ。逆にその差異が小さい「コンテクストのずれ」は意識しづらく、むしろ摩擦やコミュニケーション不全の原因になりやすい、というのです。

これは、今の日本で起きている状況を説明する上で、とても重要な指摘だと思います。

成長型の社会が終わり、これからは多様性が大切になる!そうわかってもなお、なかなか多様性を受け入れる仕組みづくりは進んでいません。その原因の一つが、ここにあるように感じます。


保育という視点でこの本で読んだとき、僕は二つ考えることがありました。

一つは、子どもを中心とした場所で、まさにこの「コンテクストのずれ」があちこちで起こっているのではという点。親の育ってきた環境や、はたらき方、子育ての考え方、家族のまわりの環境(祖父母との関係、地域との関係)など、子どもの置かれている状況は実際に多様化しています。

そして同じことが、保護者側だけでなく、保育者側にも言えます。多様なの背景をもっているのは、保育者も一緒です。

それらの小さなずれを認識できないままに、以前からのやり方のまま摩擦が生まれたり、ずれに対して実際出来る対応が限られたりするため、保育の世界は過酷な状況が続いているにもかかわらず、なかなか改善に向かっていかないのかもしれない、そう感じました。


もう一つは、コミュニケーション力が育つための源、「伝えたい」という気持ちを育てる上で、保育はすごく大事なことを実践してきているんだなという点。

「伝える技術」をどれだけ教え込もうとしたところで、「伝えたい」という気持ちが子どもの側にないなのなら、その技術が定着していかない。では、その「伝えたい」という気持ちはどこからくるのだろう。私は、それは「伝わらない」という経験からしか来ないのではないかと思う。今の子どもたちには、この「伝わらない」という経験が、決定的に不足しているのだ。

語彙の少ない乳幼児にとっては、「伝えたい」けど「伝わらない」。そんなことばかりです。

だからこそ保育者は、うまく表現できなくても「伝えたい」というサインを見逃さず、ゆっくり寄り添いながら、その子にあった言葉や表現方法の獲得をめざします。(保育の五領域『言葉』や『表現』の担う部分です。)

「伝わらない」ものが「伝わる」ようになる、この喜びを子どもと一緒に体感しているのが保育者です。だとすればコミュニケーション教育がいっそう重視される社会で、保育者が示せるものが、実はもっとあるのかもしれない、そう感じました。


本の最後に、締めるようにこんな言葉があります。

「みんなちがって、たいへんだ」

有名な金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい」へ、あえて当てた言葉です。

みんな違うことは、大変です。でもその大変さに向き合い、これまでの協調性(同一で『わかりあえる』)から、社交性(『わかりあえない』けど共有する)を身につけていこう、そんなメッセージをこの本からは受け取った気がします。


今回、noteを書くために三度目の読み返しをざっとして、また新しい発見がありました。これからも読み返すと思います。

たぶん、人と話したとき、文章を書き起こすとき、子どもと接しているとき。

誰かに何かを伝えたいのだけど、うまくいかず自分がモヤモヤした際、この「わかりあえないことから」という背表紙を見ると、「まぁそうだよな」と。自分をスタート地点に戻してくれる本になりそうです。



『わかりあえないことから - コミュニケーション能力とは何か -(平田オリザ)』


(twitter @masashis06


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