不良に暴力を受けていた

僕は中学3年の頃、
時折不良に絡まれて、暴力を受けることがあった。

きっかけは、中学3年になってすぐの頃だった。
僕が通っていた中学校は僕が2年生の時に休校になった。過疎化が原因で、市内5つの学校が統合した。

統合した学校は、荒れに荒れていた。
思春期真っ只中の子どもには統合による環境の変化は刺激が強かったのか、
混乱に乗じた興奮か、
原因はよく分からないけど、とにかく荒れた。

学年で数人の不良グループが頭角を表し、
毎日のようにガラスが割られ、
非常ベルが押され、
ロッカーの破壊、
授業の妨害、
色々あった。

田舎の閉鎖的な環境と、
環境が変わったことによる刺激、
何かこう、みんなバタバタしていて落ち着いてなくて、
一部の人が暴れ出しても、誰もすぐに対処できない、そういう雰囲気があった。

中3になってすぐ、トイレで僕は不良に会った。
彼は茶髪でピアスを開けていて、腰パンをしていた。
見た事ないけど、渋谷にいる90年代のチャラ男のような見た目だった。
仮にその不良生徒のことをAと呼ぶ。

僕はAのことを知らなかったが、Aは僕のことを知っているようだった。
初対面のAは、「お前、◯◯君にいじめられてたらしいな」と話しかけてきた。

◯◯君というのは、僕が小2で転校するまで、時折意地悪を受けていた一つ上の生徒だった。
ただ、イジメというほどではなかったし、その他にもそういった意地悪を受けていた人は何人もいたから、僕だけが特に◯◯君にイジメを受けていた実感はなかった。

だから、Aからそう言われた時に、
そんなに広められることか?という驚きと、
なぜ知っているんだ?という疑問に駆られた。
小2で転校し、中3で学校が統合されるまで、
既に7年が経っていた。

おそらく小学校低学年の時点で荒れていた◯◯君は、中学校でも名の知れた不良なのだということはAの口調で分かった。

ただ、なぜ7年前のことが見ず知らずの人にまで共有され、それをわざわざ僕に話してくるんだ?ということが、理解ができなかった。

その疑問がぐるぐる渦巻いて何も返答できない僕に向かって、Aは御し易いと感じ取ったのか、
僕の股間に手をガッと伸ばした。
そこまで衝撃は強くなかったが、僕を驚かせるには十分だった。

Aはニヤニヤしながら僕を残してトイレを出て行った。
僕は1人壁にもたれ、
言いようのない屈辱感、敗北感、
そして目をつけられてしまった、という恐怖を感じ、しばらく動けなかった。


そして時折、僕はAに暴力を振るわれることになった。



僕が下校する時、下駄箱で靴を履き学校を出たところ、
不良グループたちが駐輪場でたむろしていて、
何人かは駐輪場の屋根に座り、学校から出てくる生徒たちを見下ろしていた。

駐輪場の屋根の上に座っていたAは、学校から出てきた僕を見つけると、
「(僕の名前)くん、じゃーねー!」と大声を出した。
周りの不良たちはそれを笑っていた。

僕は馬鹿にされている、と感じて、
無視して通り過ぎた。

Aは激昂し、即座に僕に追いついて詰め寄ってきた。
僕に顔を近づけ、「舐めてんのか?」「潰すぞ」と凄んでいた。

僕は恐怖と屈辱を感じながら、
顔を逸らし、無視を続けた。
しばらくすると生徒会の人が駆け寄ってきて、僕は解放された。

僕は止めてくれた人達に礼も言わず、何も気にしてないというふりをして立ち去った。
助けてもらえたことは感謝しているが、それ以上に僕は周りから見て可哀想な人間なのだという屈辱感が強かった。

立ち去る僕の背中に、Aからの罵倒がまだ届いていた。


こんなこともあった。
僕が帰る際に、走ってきたAと出会い頭でぶつかりそうになった。

僕は無視して歩いて行ったが、
僕に気づいたAは僕に詰め寄り、「舐めてんのか」と言いながら、
僕に頭突きを喰らわせた。

僕は鼻血を出し、暴力の衝撃に頭が真っ白になった。
先生達が駆け寄ってきて、僕は保健室に行った。

Aは先生に保健室に連れてこられ、憮然とした表情で押し黙っていた。
謝れ、と先生から言われても、Aは無言だった。

僕は先生から、Aに何か言っておくことはないか、と聞かれた。
僕はこれまでAから受けた暴力について全て吐き出してしまおうか、と思った。
ただ、報復を恐れ、これ以上関わりたくない気持ちが強かった僕は、一言、
「もう暴力を振るわないで下さい」とAに伝えた。

Aは無言のままだった。
先生に促され、やっと曖昧な返事が引き出され、その場は解散となった。


結局、
こんなことがあっても、Aの僕に対する振る舞いは変わることはなかった。


ある日、僕が体育の時間の後、教室に戻るために廊下を歩いていると、
向こうからAが他の不良と談笑しながら歩いてきた。

僕は内心硬直していたが、
視線を合わせず、通り過ぎようとした。


すると、Aは僕が持っていたジャージを通り過ぎざまにひったくった。


僕はこれまで暴力や暴言は受けても無視しているだけで良かったが、
物を取られるなどの実害が出ると、対応せざるを得なかった。

僕はAの背中に返して!と言ったが、
Aは振り向かず、楽しげに僕のジャージを振り回しながら歩くのをやめなかった。

僕はAに追いつき、強引にAの手からジャージを奪い取った。
その時に、Aの手に僕の手がぺチンと当たった。
暴力ではなく、不可抗力だった。

僕はジャージを取り戻してすぐ教室に帰ろうと振り返って戻ろうとした。
だが、激昂したAは僕を背後から突き飛ばし、胸ぐらを掴まれ、教室のドアに押し当てた。

そして、Aは例の如く「舐めてんのか?」と凄み、
僕の腹を殴った。

そこまで痛くはなかったし、Aも本気でやっている感じではなかった。
ただ、ドアに押し当てられていたから、殴られた衝撃で大きな音が廊下に響いた。

膝から崩れ落ちた僕と、暴力を振るったAを、
休み時間だった生徒達がたくさん見ていた。

僕はそれが何より屈辱だった。
殴られるのは屈辱だが、それはその場をやり過ごせば済む。
だけど、クラスの人や友達に、「不良に殴られているやつ」というレッテルを貼られ、
心配され、憐れまれることが耐えられないくらい屈辱だった。

イジメや暴力が露見しにくい原因は、
被害者がその事実を明かすことを嫌がるからだ。

僕はAに暴力を受けていることそれ以上に、
その事実が周囲に晒されるということが何より嫌だった。
問題を大きくしたくない、これ以上悪くしたくない、という気持ちだった。


ここに書いたのは目立った事件だけで、
僕がAから受けた被害は細かいものだとまだまだある。

だけど僕は特にこのことを誰かに相談することもなく、一年が経って中学校を卒業し、
県外の学校へ進学した。

タイムリミットを待って、問題は解消した。
僕は中学校のクラスでは馴染めていたから、不良に絡まれる時以外は楽しい1年間だった。


卒業後、Aから暴力を振るわれることは無かった。
ただ、夜寝る前に殴られていた光景がフラッシュバックし、
どうしようもなく苛立ち、
殴り返してやれば良かった、という後悔にうめく夜はあった。


Aはどういう人間だったのか。

僕は、Aのことをほとんど知らない。
一方的に詰め寄られ、殴られるだけで、
対話らしい対話をした事がない。

Aは中3の学年で一番力を持っていたから、自動的に校内一の不良だったと思う。

Aは授業に一度もまともに出ている様子はなく、
ほとんどは校内をうろつくか、教室後ろのロッカールームで仲間とはしゃぐか、授業を囃し立てて妨害するかだった。

Aに対する周りの反応はそれぞれだった。

クラスの一軍、少しやんちゃめの男女はAたちの不良グループと仲良くする事がステータスのように振舞っていた。

先生達も、無視する人、叱責する人、穏和に授業を受けるように促す人など、
対応が別れた。

そして大半の生徒達は、不良がいると黙って目を伏せて関わらないようにしていた。

だからこそ、暴力を受けていた僕は、なんで僕が、という気持ちもあったと思う。
ただ、僕だけじゃなく、Aから絡まれていた人は学年で数人いた。
暴力までいってるのは僕ぐらいだった気もするけど、
自分だけじゃないんだ、という事実は浅ましいが僕を少し慰めた。

Aは自由に振舞っている、ように見えた。
誰にも縛られず、先生を無視し、
悠々と校内を歩き回り、
気に入らないことがあれば暴力を振るった。
だけど、生徒達でAを排斥するような動きはなく、仲良く盛り上がっている光景も多々あった。

僕はそれに納得がいかなかった。
間違っている人が、なぜ排斥されないのか、
自分は正しいはずなのに、なぜ萎縮しながら惨めな気持ちでいないといけないのか、
そういう、世の中の理不尽さを体感した。


殴られて帰った日、
家で父に、お前は殴り返さなかった優しい人間だと慰められた。

父さん違うんだ、僕は殴れたのに殴り返さなかったんじゃなくて、
殴りたくても怖くて殴れなかったんだ。
それに、殴る事で自分も相手と同じ下等な存在に落ちたくなかった、プライドを守りたいだけだったんだ、

ということを当時の僕は言語化できず、
何も言えなかった。


中学校を卒業して5年後、
僕は成人式に出席した。

Aも出席していた。
彼は茶髪のままで、袴を着ていた。

彼は特に暴れることもなく、周囲の人と談笑していた。
僕はAに絡まれたらどうしようかと緊張していたが、そんなことは無かった。

Aは中学校を卒業して、どんな人生を歩んだのだろう。
高校は悪名が轟いていたため、どこにも入れなかったと聞いた。

卒業後、地元で働いていたのか、
もしくは地元を離れて、どこかで働きながら生きていたのだろうか。

僕は会社を辞めてしばらくフリーター生活をしていたが、支払いや生活など、
生きていくだけで大変だった。

彼は中卒でどんな苦労をしながら生きていたんだろう。
肉体労働でへとへとになりながら生きているのか、
それともまた仲間を見つけて、自由を謳歌しているのだろうか。

僕はそのどちらにせよ、
日々は続いていくし、誰もが大人になっていくんだなと妙な感慨を感じた。

あれから何年か経ったが、
Aはまだ元気に生きているだろう。
もしかしたら結婚していたり、子どもがいるのかもしれない。
捕まっているかもしれないし、
何か人生の岐路を経て更生し、生き生きとしているかもしれない。

どちらにせよ、一生会うことはないから、関係の無いことだ。

だけど、こうして何年経っても、当時のことをこんな文字数で振り返れるくらいには覚えている。

それが良いことなのか悪いことなのかは、今のところ分からない。

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