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幸運な病のレシピ 2021年8月1日〜10日

医者の言うことなど聞いていたら病気にされてしまう。医者は病人が飯の種である。予防医学というと病気を予防うするための「修身術」かと思うかもしれないが、それは違う。

検査を毎年繰り返して、検査値が正常でない時に、薬を処方して、検査値を「正常範囲内」に落とし込むことなのだ。検査値を正常にするのは適切な投薬と処方でできる。しかし、検査値を正常にしたら問題は消えるのだろうか?致命的な臓器・組織の崩壊していくプロセスは検査値を正常にしても進んでいく。

「病因のある病気」と「検査値」は対になっているし、適切に「病因」を叩けば検査値は正常に戻る。これは正しい姿である。骨折して痛い(検査値)のはギブスして元に戻れば痛くなくなる。

しかし、今私達を苦しめている「ガンや生活習慣病の後に来る合併症」「膠原病・難病(自己免疫疾患による炎症だと僕は踏んでいる)」リュウマチや骨粗鬆症、膝の痛み、認知症、アルツハイマー、いづれも「病因」は見つかっていない。特徴的な物質を探し当てて、それを病因だというのは研究者が給料をもらうためにフェイクを重ねているのだ。「アミロイドβ」「レビー小体」の様に認知症やアルツハイマーの脳に特異的に見られる物質は病因ではない。病因はそういうった「物質が脳に集まる原因」なのだ。「アミロイドβ」「レビー小体」は検査値の一つである。物忘れや様々な病態も検査値である。問診や日常の観察から見つけることの出来るものなのだ。そして検査値は「病気の原因」ではない。

ブドウ糖が多く血液を流れることで毛細血管を破壊すると言うが、嘘である。分子生物学敵機序が見つかっていない。10年くらい前には専門書にブドウ糖が細胞を破壊するプロセスが見つかると言って研究者は製薬会社から金を集めたが見つかっていない。当時もてはやされたのが「最終糖化物質」と言って、細胞内の行く種類化の糖化タンパクである。現在では、どこにでもあって、特に害をなさないのではないかと言われている。脳細胞からも見つかって、「認知症は脳の糖尿病だ」とか大喜びで本を書いた医者もいた。

その反面様々な機序を持つ糖尿病薬はどんどん出てくる。儲かるのだ。一生懸命血糖値を下げる薬ばかり作っておる。バッカじゃなかろか。彼ら自身も本当に怖いのは合併症だというが、合併症と血糖値の高さの因果関係は見つかっていない。そして今日も血糖値を無駄に下げる薬が処方されて製薬会社を儲からせる。いずれ、「合併症と言われる辛い人生の終わりまでの10年間」を頑張らせられるのだ。患者がそうなっていくのを見ながら、医者は黙って薬を処方する。よく心が壊れない物だと思うが、患者の「苦痛や不安」を聞くのが嫌で5分間の問診なのだと思う。

この「検査」というやつが曲者である。「会社に行きたくない」とか「周りの人が悪口をいう」、「生きて行きたくない」などという自己申請も検査値の異常なのだ。

「バカにつける薬」と「社会を変える処方箋」はレセプトににない。あるとしたら医者に行かないで済む食事である。このnoteを読めばいい。

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1980〜90年代から、医大での研究は変わった。薬理学という金のなる木を見つけたのだ。酵素パワーの洗剤がで始める頃だ、痛みを消して胃酸をブロックするとかいろいろな薬が出始める。食事が原因で身体の状態がおかしくなた時に、食事を変えないで薬で体を変えるようになったのだ。

食事に合わせて、体を変えるのだ。何と恐ろしい。

しかし、本当の問題は、朝から晩まで共働きで時給仕事にこき使われて食事を作る時間がないことだ。そして三世代の家庭(家族というシェルター)で守られてきた「食事のメソッド」が見事に消え失せたことだ。そもそも三世代の家庭というのは「農家や家業が経済のベースだった時代」の産物である。サラリーマン(社畜と言われるパートタイムの奴隷)というのはごく最近の発明なのだ。まあ、昔からヒトは何かの奴隷ではあったが、今ほど支配の階層が高く深くなった時代はない。

1980〜90年代から、タンパク質の研究が発達するのだ。この時期に出版されたタンパク質の解説書はものすごく多い。そしてコンピュータが大きな役割を果たす。電子顕微鏡と遺伝子解析がよく効く薬を生産するようになる。可愛そうな大腸菌にタンク一杯作らせるのだ。そしてその薬は、患者の細胞の目鼻(膜タンパクや受容体)を潰す。可愛そうな細胞は苦しさを他の細胞に伝えられない。

よく効く薬は見事に検査値を正常にして、薬を一生手放せなくする。しかし、病気は進んでいく。

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ヒトは苦しさが嫌だ。家族が苦しむのを見ているのは辛い。何とか助けたいと思う。大事な家族なのだ。自分の一部なのだ。母は家族をたくさん失って生きてきた。母の母ももっと悲しい思いをした。結核がかんたんに人の命を奪った時代だ。父の兄は、その上の兄が亡くなったとき、兄嫁と再婚して「2歳だった甥」を子供として育てた。家族というコロニーは生も死もその内に持っていたのだ。

しかし、「苦しさ」が問題なのではない。歳を取るということ、様々な元に戻らない変化があること。それは仕方がないことだ。その苦しさのうちに私達は生きねばならない。いくら金を出しても、いつかは死なねばならないのだ。ともに苦しみ、食事を変えて看病する家族が消えたのだ。そこが問題だ。

具合が悪いと、家族からも「とっとと医者にいけ」と言われる世の中である。なにか美味しいもの作るから、ゆっくり休んでねと言ってくれる家族はもういない。

医学は、金を出せば幸せにしてくれると言うが、それは嘘だ。

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#アスパラソテー #ナスと冬瓜の牛肉トロトロ

【2021年8月10日】アスパラはの倍で100円である。近所の野菜が美味しいスーパーは最高である。大きなスーパーにも産地のお百姓さんの顔写真がハラれているコーナーが有るが、全県でこのコーナー時は有るのだろう。それだけ大量につくるとなると買い手の方が横暴になる。契約農家というのは結構ひどい目に合うという。長野のレタス農家の話を知っているだろうか?首都圏に朝露に濡れたレタスを搬入するのに海外の労働者が狭い部屋に入れられて朝の3時位から働かせられるという。その話を聞いたときに嫌な気持ちになった。売るのも買うのもデカイ規模になると問題が起こる。「農家のおすそ分け」という言葉を小さな販売所で見たことが有る。考えさせられるものだ。ナスと冬瓜のトロトロは好きなメニューだ、今日は冬瓜を入れたが、夏はウリの季節だ。ゴーヤと言いキュウリ、カボチャも僕の範疇では売りの仲間である。皆、夏が旬である。

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#パスタ #揚げ物一式 #スパニッシュオムレツ

【2021年8月10日】妻のパートが休みだと知らないで揚げ物を一式作った。ズッキーニとナスが多くあったので、フライパンでソテーしてトマトソースを作ったのでパスタを煮て、バジルオイルで和えた。これがまた美味い。スパニッシュオムレツは、ズッキーニの一番好きな食べ方である。卵の内にズッキーニが溶け込んで美味い。他の食材ではなかなか難しい。これは料理方法と素材の見事な融合と言えよう。ナスでは空気が多くキュウリでは水が多い。ズッキーニは薄切りでちょうどよく美味い。揚げ物は2つで1パックの鶏ももをぶつ切りにしてニンニクにつけておいた残りの半分である。先週の土用に揚げ物をしたときに下ごしらえしてあった。火曜ー木曜ー土曜がパートで弁当がいる日なので、週間のスケジュールはだいたいそれに準ずる。揚げ物は作っても余ることが多いので数日で食べる。卵で閉じたり焼きサンドに入れたりである。

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#ゴーヤチャンプル #手羽先焼き

【2021年8月9日】ゴーヤチャンプル、手羽先焼き、余ったおかずたくさん、今日はビール飲んでいない。木綿豆腐を小さめに切ってフライパンでごま油で炒めて肉を焼いて味を入れて卵を落としてホロホロにした。ゴーヤは軽くこなして高温で炒める。一回上げておいて野菜を蒸し炒めして戻して味噌味でまとめた。かなり美味しく出来た。手羽先の先頭はマユのご飯にする。とにかく野菜をたくさん食べる。炭水化物抜きで満腹になるところまで食べるのだ。少し寝てまた起きて仕事に入った。なにかハラが落ち着かない、嗜好品はあとから食べる。夜中にパンと納豆トキ卵とゴーヤチャンプル残っているのをほとんど食った。パンは先週のアジフライを卵で焼いて挟んだ。酒飲まないけど、なんか食いたいのは何故であろうか。食欲は謎だ。

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#豚キムチ #米麺

【2021年8月9日】豚肉が悪くなってきているので豚キムチにした。米麺というのは既に賞味期限は終わっているのだがだれかのお土産である。モロヘイヤとオクラは昨日からのもの、オムレツや天ぷらも昨日のものである。麺つゆはこないだから自作。麺はほんのひとくちで満腹になるように工夫することがよろし。何よりも豚キムチがガッツリしていた。夜まで食べるのだ。オムレツは食い終わった。マユはトマト大好きである。冷蔵庫がメニューを決める。満腹である、少し寝てから仕事しよう。今日は雨で少ししのげる。すぐに涼しくなるであろう。庭木も嬉しいことだろう。


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#スパニッシュオムレツ #コールスローサラダ

【2021年8月9日】出来たても美味いが、冷たくても美味しい。昨日のスパニッシュオムレツとコールスローサラダである。汁も少し前のやつだ。なんか少しスッパメであった。ギリギリセーフである。酸っぱいというのは腐敗を意味するが、それは食事の中にマイクロバイオームが増えつつ有るということだ。ミネラルや各種の生命が作った代謝物が有る。腐敗は生命の始まる所なのだ。死によって生命は始まるのだ。輪廻転生は始まりも終わりもない。食事、セックス、生と死、身体というコロニーを通じて生命は輪廻し続けるのだ。

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#豪華弁当 #ステーキ幕の内 #ビール

【2021年8月8日】懺悔が済んだというわけではないが、また放蕩の食事である。ビールで終わったのだが、やっぱ食っちまった。昼以降、根を詰めたせいで何も作りたくなって弁当を買うことにした。娘が40度の高熱(コロナワクチン熱)なので妻は味噌おじやを作るという。大事なのは、家族の看病である。医療などというものは家族の劣悪なコピーに過ぎない。医療崩壊の前に問題とするのは家族というシェルターの崩壊のはずなのだ。老人の孤独死は起こるべくして起こっているのだ。皆その道を通る。心するが良い。幕の内の上にステーキが乗っている弁当が売られていた。少し興味があったので頼んだのだが、美味しい肉であった。どこの部位だろうか「サガリ(牛の横隔膜)」と様な食感であったが、どうだろうか。また食べてみたいものだ。お弁当屋さんもやるなあ。揚げ物は当たり前だが冷凍物、僕が作るのとさほど変わりない。添え物のパスタが好きだ。

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#コールスロー #スパニッシュオムレツ #ズッキーニ

【2021年8月8日】懺悔というわけではないが野菜多めに食べた。ズッキーニと昨日のハッセルバックポテトに玉ねぎを入れてスパニッシュオムレツである。随分練習をした。油を多めにして卵には牛乳を多めに加えて中火〜弱火がコツだ。具材がジックリと卵牛乳で蒸される。バジルオイルをタップリと使った。香りが素晴らしい。コールスローは作りたてはまた格別である。徐々に味が外に出ていくのでそれも嬉しい。タマネギとキャベツ人参ピーマンである。出来るだけ細かく切るとよろしい。全粒パンを四割にして内側に切れ目を入れてサンドイッチ風にした。耳はマユのものである。コーヒーを飲んでもう一眠りすることにした。

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#ビール #牛丼 #マカロニグラタン

【2021年8月7日】随分ハメを外した。仕事が辛い。プログラムが上手くかけていない。Always have an escape plan.と思いながら、人生を生きる。遅くになって、ビールが欲しくなって牛丼も買ってきた。これは麻薬である。マカロニグラタンの冷凍も買った。牛丼のご飯は余ったので、マユのご飯(3回分)に混ぜてあげることにした。月曜が休みなので、まあ、嬉しい。昼の揚げ物を食べたり大騒ぎである。酒少しやめていたのだがなあ。体重は戻っておるであろう。『首切られる時にひげの心配してどうする』七人の侍より。

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#トウキビ #唐揚げ #セロリかき揚げ #ハッセルバックポテト

【2021年8月7日】揚げ物を作って、蕎麦茹でて、トウキビがでてきてメロンも食った。枝豆のかき揚げとセロリの葉のかき揚げはそばに合うので急遽蕎麦にした。唐揚げは、ニンニクすったものにカレー粉微量、ナツメグも少し、醤油にオイスターソースで甘みを入れて、片栗粉と小麦粉で伝説の唐揚げにした。小麦粉と片栗粉の比率と手順でカラッとするのは最近知ったのだ。何事もトライである。蕎麦だけ食っても満腹になるが、それはあまりいいことではない。「生命=素材の水に溶け込んだ三次元構造を維持したタンパク質と脂質」は身体に取り込まれ代謝される形でのミネラルの宝庫である。ミネラルは、そのままでは身体に吸収されないということは1990年代には分かられていた。当時の資料を見るとキーレイト(ミネラルを吸収できる形に生化学物質で絡める)が重要だと言われていた。しかし、ミネラル不足は進行した。医者は、最近の畑にミネラルが足りないと「寝言」を言う始末である。食事の中に生命が含まれていないからだ。そしてそれは個人の責任でも妻の怠慢でもない。もはや、家庭というシェルターは失われたのだ。男たちよ、やがて、妻と死別して缶酎ハイとおにぎりの人生が待っていると言うことを知っておいたほうがいい。まあ、共働きでスーパーで弁当買うのが家事となってしまったのは社会の問題である。一人の給料で家族が維持できないのは個人の能力のせいではない。企業が広告費を捻出するためにリストラや時給下げ、派遣社員に切り替えを連中のせいなのだ。そいつらは働かなくとも金が入ってくる。羨ましい。

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#マトウダイ #鳥のセロリスープ #ズッキーニ炒め

【2021年8月6日】マトウダイが400円で2匹が70%引きであった。セロリスープは保温鍋でぶつ切りにした鶏ももを1時間放っておいた。結構美味いので大好き。ズッキーニは難しい。スパニッシュオムレツで使うと大好きなのだが、今回は炒めるt事にした。ちょうど肉も悪くなりそうだったので醤油と紹興酒で少し中華風の味にした。味付けを決めるのは不思議な工程だ。自分でも意識しない内にこれはこうがいいと判断するのだ。どこにそんなAIが眠っておる。料理はマニュアルではないと思うのだが、いつその極意を得るのだろうか。母は、いつも自慢げにこの料理はこうしたから美味しかったという話をしたものだ。気持ちがよく分かる。料理情報が面白くないのは、マニュアル通りのことしか書かれていないからだ。ヒトはみな違う、好みも生き方も食事も違わなければおかしい。身体が食事に合わなくなったら食事を変えればいいのだ。ところが売られているものばかり食っていると、薬で身体の方を変えることになる。恐ろしい話だ。しかし社会がそうなってしまったのだ。医者は社会の処方箋は持っていない。レッセプトもない。自分の命は自分で守らなけえばならない。

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#カレー  #ゴーヤ

【2021年8月6日】野菜(ゴーヤ、小玉葱、にんにく、人参)をジックリとソテーして一回上げて、ひき肉とタマネギのソフリットを作り出来たら戻す。火が通ったら赤ワインで味をまとめて、小鍋で溶かしていたカレールーを入れて煮込む。カレーのルーはバーモントカレーが好まれる。僕はもっと辛いのがいいのだが、妻と子供はバーモントカレーだ。いつの間にかこの味に落ち着く自分が面白くない。

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#夏の庭

【2021年8月6日】夏の庭は生命にあふれている。池もあっという間に濁るアオモが生きているのだ。浄水器を回すときれいになるが、少し短めに回すことにした。あんまり透き通った水は生命が足りないかもしれない。鯉もこころなしかゆったりと動いている。木々は緑でいっぱいだ。夕方には少し水をまいてあげよう。刈った草をその場においておくようにしてからいいような気がする。カナヘビがちらっと走ったがカメラでは捕まらない。今年勢いがいい木蓮を剪定している。浄水器の排水を庭側に向けたら土が豊かになった来ているのだろう。庭というのは面白いものだ。

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#キャベツの汁

【2021年8月5日】キャベツは、味噌が合うと思う。汁にすることもおいのだが、味噌を使う。味噌汁と行ってもいいのだが、肉が入るので、味噌汁とはなんか違う。妻と娘は遅いのでお腹が一杯になって野菜がたっぷりはいっている汁を作っておく。健気なものだ。昼はパスタとカツであった。ちと忙しくなってきているのだが、食事こそが大事である。

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#揚げ物一式 #ジェノベーゼリベンジ

【2021年8月5日】たくさんセロリの葉を入れてバジルオイルで炒めて自イェのベーゼソースを入れてからトマトソースを入れてパルジャーミノをちらした。リベンジである。温泉卵を乗せて、潰したらどんなパスタでもカルボナーラになる。温泉カルボナーラと呼ぼう。妻がパートなので揚げ物を一式作った。トンカツはドロを多めにジックリあげた。上手く出来た。バラ肉でいんげんと人参を巻いてカツにした。これも美味かった。

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#焼き鳥 #リンナイ赤外線グリラー #R-3452-III

【2021年8月4日】地下の物置で焼き鳥を焼くグリラーを見つけた。久しぶりに使ったのだが、素晴らしい。美味しくて嬉しい。今度またしようっと。これがあるとお家焼き鳥屋さんである。もう随分前に友人に頂いたものだ。買った方は、もっと小さいものを想像していたようだ。一度も使わないで家に来た。たしかにこれはデカイ。掃除が大変なのだ。夜中にちまちまと片付ける。僕が料理しても妻が小言を言わないのはきれいに片付けるからだ。何もしないで食べれる。後片付けもしてもらえる。住み込みの下男である。何がいいかと聞くと「いくら食べても太らないもの」という答えが返ってくる。それはちとむずかしい。妻には外で焼けばいいと言われたが、これは都市ガス用なので、外では出来ないのだ。ああ、家のベランダにガス管を付けておけばよかった。しかし、そんな後悔をするのは僕ぐらいであろう。ハンバーグが意外と美味しかった。遠赤外線は偉大である。

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 #ジェノべーゼ

【2021年8月4日】地下の物置にミキサーを見つけた。バジルをジェノベーゼソースにした。すり鉢のほうが良かったかしら(笑)。友人に紫蘇のジェノべーザ・ソースを頂いたことがあるのだが、紫蘇も美味しい。もしかしたら、僕はバジルそんなにに好きでないかも。なんか恥かしい。とは言っても、美味しい。パスタ食いすぎた。炭水化物食べ過ぎるとおならが出る。これも恥ずかしい。そんな年でもないが。

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 #梅干し

【2021年8月4日】一晩夜露に当てて、梅干しを戻したのだ。梅干しは伝統的な濃縮の技法だと感じる。手間はかかるが、この美味しさは売ってはいない。形はにているだろうが、違ったものなのだ。いつか作れなくなるんだろうなあ。とは言っても、母が田舎の人に教わったことなのである。河の淵に浮かぶ一瞬のアブクのようなものだ。子供はまた違った物を見つけるのだろう。

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#マユのご飯 #残り物がたくさん #梅干し

【2021年8月3日】マユのご飯がなくなっていたので肉じゃがと素麺を合わせてご飯にした。僕も同じ様に食べた。冷蔵庫には小鍋が多く並ぶ。少しこってりしたものを作ったりすると多く余るのだ。もったいないがサヨナラした。流石にマユにはあげられない。一回の料理を何度かに分けて食べるのは大事である。一回に2種類作り、それぞれを3回の食事で食べるようにオーバーラップさせるとバラエティに富んだ食卓が出来る。一昨日の八宝菜が残っているので、夜中に食べる。梅干しの3日目の土用干しだ。明日の明け方日が昇る頃に戻して梅干しが出来上がる。

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#トンカツ #手羽先カレー揚げ #ヅケ丼 #パエリア風  

【2021年8月3日】手羽先が悪くなりかけている。インディカ米があったので手羽先とコンソメでパエリアを作ろうと持った。作り始めてからサフランがないことが分かった。まあ、仕方ないからこのままパエリア風である。あとからポロッと出てきて悔しい思いをすることが多い。手羽先はすぐにぬめりが出てきて気持ちが悪い。安いが、食べにくいので調理が難しい。半分はカレー粉を振って揚げることにして、昨日買ったトンカツ肉と揚げた。料理は結果オーラライである。様々な技を使い、食って美味いものを作ることが大事。結構残ってきたのでちまちま食べることにした。夜の弁当を持って妻はパートに行った。梅干し土用の天日干しは3日目である。明日の明け方まで干して夜露とともに取り込んで10月くらいには食べることが出来るにしれない。紫蘇は少ないがよく干せた。美味かろうや。

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【2021年8月2日】刺し身を醤油に漬け込んだものをヅケと父はよんだ。一日たっったヅケのほうが美味しいという。僕もそうおもう。特に安い刺し身はそうだ。少しだけ白米をすし飯にして、漬け込んだ醤油も垂らして食べると美味い。これはどこにも売っていないアジである。幸せである。明日も食べようっと。昼のそうめんと、夜は汁である。たくさんお野菜を山盛りにして肉を加えて煮るのだ。鍋と同じである。これがなかったら、内の食事は成り立たない。そろそろ冷蔵庫の在庫が沢山になってきた。食べなければなあ。贅沢な悩みである。マユも大喜びである。

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#煮干し  #昆布 #かつお節 #そうめん

【2021年8月2日】随分昔に買った煮干しが出てきたので出しをとって素麺を食べようとおもた。鰹節と昆布をジックリと10分程度にて、かつお節と醤油を入れてもう10分弱火で煮た。沸騰させないことというのが大事なコツだと聞く。まあ、何でもそう思っていれば間違えはない。朝の鮭やモロヘイヤがあったのでコブと煮干しと鰹節でダシを取ることにした。上手く取れたので、今後はこれにしよう。二番だしはあまりうまく出なかったので、夜の汁に少し浸かってみる。出し殻は煮付けたりするといいいというが、昔やったときは、余り食べないので木の根っこにまこうかと思う。玉ねぎを刻んで納豆と和えたもので2杯目を頂いた。麺は2ワ茹でたが妻と二人で半分を半分ずつ食べた。市販のめんつゆは嫌うのだが、これは美味しいと食べてくれた。

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#梅干し #土用干し

【2021年8月2日】カラッと晴れてくれた。梅干し土用干しの2日めである。梅干しは「抽出ー>発酵ー>濃縮」を伝統的なプロセスである。多くの梅干しサイトではこの事を余り強調していない。梅のエキスを抽出して、発酵させて人に何らかの意味がある代謝物を作り、日に干すことを繰り返して水分を乾燥させるのだ。一日干したあとで梅のエキスに戻してまた吸わせて果肉の内側にエキスを戻して、また天日で水分を飛ばすのだ。これを3日繰り返す。毎日崩れた梅干しを食べるが、味が変わっていくし、塩っぱくも酸っぱくもない。美味しいのだ。市販の梅干しも同じ様な工程(私達がつくる場合も皆少しずつ違う)で作るのだろうが美味しくないのだ。「手前梅干し」とでも言おうか。味噌や醤油などもその土地土地の風土の中で作られるものだ。自分と言うコロニーの代謝系(身体というコロニーを統べる蟲)が美味しがる味がある。ぼくが梅干しを作りはじめて10数年である。母の作り方を習い、それを踏襲しつつ別なひねりも入れる。今年は紫蘇が少ないが、どうなるか楽しみである。これが「根を持つ」ということなのだろう。根は失っても自分で出てくるのだ。生命というのは力強いものである。


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#八宝菜 #ナスの肉巻き #モツの味噌煮込 #刺し身

【2021年8月1日】暑くて蒸した一日である。梅干しを干そうと思ったが朝方の雨で中止。夜は、海鮮の八宝菜を作って、野菜をたくさん使った。豚肉でナスを巻いてジリジリと炒て醤油で照り入れた。モツは昼から数時間煮込んで味噌とごま油で最後まで行った。最後まで行くというのは男女の関係ではそこはどこなのだろうか。一夜の話ならまあ分かるが、その後の展開は千差万別万華鏡である。煮ている場合は適切なところまで水が飛ぶことだ。今日のモツの煮込みではごま油でジリジリと焦げる直前まで進める。魚だと多めの水のときに薄めに味を入れてちょうどいい味まで水を飛ばす。刺し身は、余るので夜中に醤油とワサビでヅケにする。父が好きだった。よく日のほうがコクが合って美味しい。小さく薄く切るが良い。デカイと生臭くて好きでない。料理屋さんのお刺身は好まない。あっという間に食べ終わる。何よりも値段が高い。包丁を研いでもらったのでとても良く切れて嬉しい。鳥の皮を熱して油田して、中華麺を炒めて、きゅうりとトマトで食べた。油麺である。中々コクが合って美味しい。食べる時、「酢」を加えるとよろしい。

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#ハンバーガー #魚の得意なスーパーで買物

【2021年8月1日】昼は娘にゴチになった。マユっも大好きである。いつもゲージの上に乗って僕に早くくれと催促するのであるが、ハンバーガーは別格に美味しい匂いがするようである。スパイスの多いところは僕が食べて、パンズの端っこを上げた。大喜びである。ポテトも嬉しいと見える。人と犬って本当に代謝系が煮ているのだろうなあ。食事の喜びは、種の違ういはなく生命の喜びである。庭の木々が雨を喜び、鯉も嬉しそうである。今日は雨だったので梅干しは一日おやすみ、明日はまた天日干しである。魚の得意なスーパーに行って刺し身や諸々を買った。明後日妻のパートの時にトンカツと冷凍の揚げ物にすることにした。夜のために、モツを煮始めている。昔からよく作るのだが、今日は3回茹でこぼして鶏ガラスープと味噌味で1時間位煮ることにした。夜は刺し身と、油そばを作ろうかと思う。鶏皮をジックリと炙って油を出して冷やし中華のタレで作ったら美味しかろうとウトウトしながら考えた。神様のお告げであろうか。

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#カボチャのラグー

【2021年8月1日】カボチャのラグー。ラグーというのはトマト缶で肉をジックリと煮込んで味を出すと僕は考えている。ブロック肉を使って、朝からマンマが煮込んで、昼はパスタにかけて夜は煮崩れた肉を食べるという。美味しそうだ。今日はブロック肉が無かったので牛肉を使った。カボチャを大きめに使ってジックリと炒めて、外側を叩いたらそのままいろいろな野菜を入れて、赤ワインしてからトマト缶で煮込んだ。カボチャは旬である。セロリやパセリにタマネギを合わせてジックリを煮込むと実に美味しい。やはり何者でも旬が一番。生命が元気いっぱいだ。美味しさがその証拠である。パスタはバジルオイルで和えた。香りがものすごくいい。ラグーにも入れた。バジルは今が一番元気がいい。たくさん作っておこう。パルジャーミノを擦って乗せるとまた美味い。少し遅い朝というか早い昼ごはんである。ハンバーガ買いに行こうと画策していた娘も食べた。朝は終わっていた妻も食べた。夜まで残っていなそうである。これは嬉しいことである。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。