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現実味を感じる標準はどこにあるか?

※本ブログは3度繰り返して読んでいただくと情報が有益なレベルにまで浸透します。

リアリティに関して、なぜ多くの精神世界のリーダーや書籍が伝えているのかというと、リアリティをどう捉えているか?こそが肝だからである。人は常に自分にとって「現実味・現実的に・実際問題〜」というポイントを基準点として思考している。

・お金が全て、ということに現実性を強固に見出している人は、全ての行動の奥行きにお金に関する側面を“見出して”その見出したものと相互作用する。

・学歴が全て、ということに重きを置いている人はその現実を創造していく流れのみに進んでいくことになる。

・オーラが全て、という人々は、お金も、学歴もどがえししてエネルギーだけで全てを片付けようとする。

これら全ての尺度がその人の中での絶対的な現実性である。だからリアリティを確定させている自分自身のパワーに気がつくことが最初の一歩になる。

自分が作り出した世界の中で、その作り出したことを忘れて勝手に環境の犠牲者を自己演技してしまうことから離れることこそが基本のスタンスとなる。そのことを理解せずに次のステップはありえないのだ。

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そこで“自分が感じている現実味”にゆらぎを与える手段というものがいろいろ考案されており、その1つが瞑想であったり、夢見だったりするわけだ。

夢や瞑想は「Aは必ずBへ、そして次にCになる」という直線的な物理的な秩序を崩して「A→C」というテレポート的な一足飛びの秩序を持ち込んでくる。

これに慣れていない、ということはそれだけ自分が軸足を置いている(重きを置いている)秩序が時空間をベースとしたリアリティにあるということで、その分だけ自らが作り出した物理次元というマイルールに自分から縛られにいっている、ということになる。

これに気がつき、自ら自己縛りを解いていくことができるとリアリティ、現実、日常生活はグニャグニャにふやけて柔らかくなってくる。こうして柔らかくした後にやっと理想的な状態に再構築が可能になるということだ。

ただ、現状の大多数の人々は現実を柔らかくふわっとした定義にしておくことが割と難しいようだ。その代わりに凝り固まった硬い世界観に岩がぶつかってくるようにショック(事故や病気など)をくらい、その後に再構築をするスタイルが多い。

これは形を一度崩したい、という観点においては瞑想等で柔らかくすることと目的は同じなのだが、硬いところをカチ割る分、後者は荒業といえる。

だから私は常々クライアントさん達に「できることなら意識の負債はくり上げ返済がおすすめですよ」と言っているのはこう言った理由からだ。

放っておけば、いつかどうぜ自分の潜在意識からショックを食らうのなら、自ら積極的に重たい部分を掘り起こして掃除を進めていくほうが当然、人生の切り替えポイントの移行はスムーズに運ぶ。

ただ、誰にでも準備や時期というものはある。

そして「今がその時だ!」と感じらるようになるのは本人だけなので、たとえ当人がショックを受けるような出来事を被っているように見えた時でも、
 
そのようなリアリティを創造した本人のチャレンジ精神を尊重し、助けるでも、無視するでもなく、その姿をそのまま見つめておくことが、第三者としての中庸なスタンスであろう。

「実際問題として〜」とあなたが考える時、その現実味の捉え方を根底から再検証してみること、そこになんらかの形で「ゆらぎ・ゆるみ」をもたらす事が“真に実際的な手段”なのだ。


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