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本当に「人と交流する」ということ

半年ほど前、メキシコ(留学)情報について主に書いている個人ブログを移行しました、まそん (máscara-sonrisa)です。

移行先(WordPress。元々ははてなブログ。)のサイトでは、まあブログに関してや筆者プロフィールのページも新しく設けたりしまして。

その中で自分の経歴も書いたりしたんですが、何について書くか考える中で、「やはり、学部3年生の夏から秋にかけて参加した、瀬戸内国際芸術祭2016のボランティア活動&同芸術祭での経験は、自分の今までの人生における一つの転機だったよなぁ。」と思い、実際にそのページの中でも言及しましたし、実は「一度ちゃんとその時のこと(どういう部分で/どのような点で、自分にとっての転機だったか。)を整理して書き表したいなぁ。」と、前からよく思っていました。

そんなわけで、今回はその転機となった出来事について書きます。ボランティア活動参加以前の自分の行いを反省し、どのような問題があったかを述べるという感じでもあります。だいぶ長いです。

(注1:文中では、しばしば瀬戸内国際芸術祭のことを「瀬戸芸」と略して書いたりしています。)

(注2:本記事では、「ある特定の国、地域出身の人」や「特定の国の国籍を持っている人」といった意味で、便宜上「〜人(例:日本人、メキシコ人など)」という言葉を使っています。)

(注3:瀬戸芸2016での印象に残っている出来事や経験について、扱いたいことほぼ全て書いているので、若干内容に詰め込みすぎ感がある上、文章のまとまりを欠いていたりします。欲張ってすみません。)

(注4:また、過去に行っていた自分のあまり良くない(恥ずべき)行動について書いている部分では、やや乱暴な表現を用いている場合があります。そういった表現を見たくない方は、当記事閲覧にあたってはご注意ください。)

要点

先に要点(この話の大まかな流れ)を述べると、

1. 瀬戸芸2016のボランティア活動参加前まで、「国際交流が好き。」とか「『国際〜』『異文化、多文化〜』といったテーマに興味がある!」と言っていたが、前者に関しては実は「外国人」とカテゴリー分けした(「外国人」という意識しか相手に対して持っていない)上での、外国人との交流が好きな人(=ただの外国人好き/「外国人なら”誰でも”友達になりたい!」って思っている、よく考えるとヤバい奴)だった。

属性(国籍、出身地、年齢、職業、性別、etc.)を知り、その属性に関して軽く先入観を持った上で(「こういう属性だから、こういう人だろう。」とある程度決めつけて/属性に当てはめて考えて)人と接している部分があった。

2. 2016年の瀬戸内国際芸術祭でのボランティア活動参加などを通して、「日本(人)の中にも多様性があること」を知る。(例えば、地域によって様々な民俗、暮らしのあり方、文化があることや、さまざまな背景を持つ人、色々な生き方をしている人が日本の中でも沢山いること、等々。)

それまで自分が行ってきたのが「上っ面だけの、チープな国際交流」、言い換えると「(人の)属性しか注視していない上での交流」であったことに気付き、それまでの自分の行動を深く恥じるようになる。

といった感じです。

瀬戸芸2016のボランティア(こえび隊)活動に参加していた時期&瀬戸芸2016の会期が終わった直後は、芸術祭を通して得るものが多すぎた上に「瀬戸芸LOVE!こえび隊(の活動)大好き!」と思っていたのもあって、瀬戸芸2016を通した自分の経験を客観的に考えてみるのが難しくて。

ここ最近になってやっと、「この時の経験について客観的に見て、ちょっと文章化もできるかな。」と思うようになり、また卒業論文で芸術祭のボランティアをテーマにして書いていた時に瀬戸芸での出来事について沢山思い出したりしたので、今回noteで書くことにしました。(ちなみに、筆者は2019年3月に学部を卒業。)


背景(幼少期〜学部2、3年あたりまでの自分)

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幼い頃より海外から来た人と接するのが好きで、学校でALTの先生とよく話したり、(田舎に住んでいたので機会は少なかったですが)国際交流イベントがあった時には外国から来た人と積極的に接したりしていました。

また、他国や異文化への興味もあったので、中学生、高校生の時にはよく洋楽を聞いたり、洋画や海外ドラマを見たりもしてました。

そんな反面、実家というか自分の家族や親族に関して言うと、海外との繋がりが全くなかったんですよね。もっと言えば、関東甲信越圏以外には殆どつながりが無かった。(だから、私が大学進学で長崎に行ったこととか、留学でメキシコに行ったことは、親族の間でちょっとしたビッグニュースになったわけですが。)

身近に海外や他地域の人との関わりが全くなかったから、なおさら海外とか外国、あと異文化への憧れみたいなのが強かったのかな、と今考えると思います。

海外やほかの国、異文化への興味というのは高校生のあいだも尽きなかったので、大学でもこういったこと(多文化、異文化理解、国際交流など)に関連することを学びたいと思っていましたし、実際に大学では人文社会系+国際系(?)の学部に進学しました。

大学進学後は、実家にいた頃とは比べものにならないほど海外から来た人と接する機会が増えました。例えば、大学では留学生と交流する機会があったり、海外出身の先生の授業を受けたり、また進学先の大学があった長崎に住む外国人の方と話す機会もあったりしました。

それで、当時の様子を思い返して気がついた今だからこそ言えることなのですが、私はある時まで人と接する時に、「外国人か否か」とか、彼らの「国籍」とか「出身地」「職業」といった属性で(頭の中で一回)はっきりとカテゴリー分けしてから交流をしていたのです。(この点については、あとで詳しく掘り下げていきます。)

ちょっとこの自分の態度(?)に違和感を感じ始めたのは、学部2年の後期から学部3年の前期くらいの時。

いつだったか、大学の留学生数名と私と同じ学部の学生数名、計20人くらいで飲みに行った際、ふと「あれ、何で私はこの飲み会に参加しているんだっけ?ええと、海外から来た留学生と交流できる機会だからか。でも...“留学生だから”交流したいと思うって、なんか...」と思って、モヤモヤするようになりました。

もちろん、留学生と交流したいと思う理由は、「他の国・地域から来た人と友達になりたい。接点を持ちたい。」と思っていたり、「彼らとの交流を通して他地域の文化、事物に触れたい。」みたいな考えを持っていたりしていたからなのですが、まあその時は、なんか「留学生と交流する、接点を持つ」という手段が目的になっていたんですね。今思い返してみると。

あと、私は人とコミュニケーションを取るのがあまり上手くなかったこともあり(あまり自分から話を切り出すことがない。大勢の人が集まる場や飲み会だと、結構話を聞く側になることが多いし、そもそも日本人であってもなかなか馬が合うというか、すごく仲の良い関係を築いていける人があまり多くない。限られている。)、

実際には留学生の友達があまりできなかったりとか、頻繁に話をするような仲の良い留学生の友人がいなかったりして、ひたすら留学生や海外から来た人との交流の場を求めていたみたいです。当時のことを振り返ってみると。

(まあそもそも、「大学にいる(””日本人ではなくて””)外国人の友人が欲しい。」って思っていた時点でもうほんとありえないし、その時の自分をぶん殴りたい。「日本人か否か」とか「外国人か否か」で、その人と接するかどうか決めていたとか、ほんとない。)


瀬戸内国際芸術祭について

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さて、今回の記事のメインである瀬戸芸2016での出来事について触れる前に、芸術祭自体について軽く紹介します。

瀬戸内国際芸術祭とは、3年に1度開催されている現代アートの大型展で、開催地域は香川県高松市の高松港周辺、岡山県玉野市の宇野港周辺、そして瀬戸内海にある12の島々(直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、沙弥島、本島、高見島、粟島、伊吹島)。

作品はこれらの地域の様々な場所に設置されていて、鑑賞者は時に船に乗って海をわたり、島のいたるところに設置されている作品を観てまわります。

作品を実際に見る、芸術祭関連のイベントに参加するというだけではなく、作品巡りをしながらその島・地域ならではの風景に出会ったり、地域の人との交流があったり、その地域のことを深く知ることができたりするのも、瀬戸芸の魅力とされています。

国内、海外から色々なアーティストの参加が見られ、また過疎地域の振興や地域に元々ある資源を活かしていくこと、地域の魅力の再発見、普段交わることのないような人たちによる交流等々が芸術祭のコンセプトとなっているとともに、芸術祭開催を通して行われることが期待されていたりします。

ちなみに今年(2019年)はその「3年に1度」の年、すなわち4回目の芸術祭が開催される年です。(今まで2010年、2013年、2016年と開催。開催年でない時でも、イベントや通年の活動は行われています。)春、夏、秋と会期が分かれていて、春会期は今月4月26日(金)から。

そして、瀬戸芸ではボランティアサポーター(通称「こえび隊」)が募集されており、国内外のさまざまな地域から、(芸術祭の年は特に)たくさんの人がボランティア活動へ参加しに瀬戸内へやって来ます。

主な活動内容は、作品制作補助や作品受付、イベントの手伝いなど。また、ボランティア活動参加者のための宿舎(こえび寮)なんかも用意されていたりします。活動日程や活動の申し込み、こえび寮の利用できる日等については、下記のこえび隊ホームページをご覧くださいな。


瀬戸芸2016での出来事

2016年の瀬戸芸にて経験したこと、特に自分に大きな影響を与えた出来事について紹介します。

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まず、私は2016年の瀬戸芸の夏会期〜秋会期(学部3年の夏〜秋)にかけて、こえび隊の活動に参加していました。複数回に渡って活動参加をするために瀬戸内に行っており、活動継続日数は1週間弱の時もあれば、2日間ほどの時もありました。

そこで、本当にさまざまな立場の人(国籍や出身、職業、年齢、経歴、ボランティア参加理由、etc.)と接する機会が沢山あって

長期にわたってこえび隊活動に参加していると(、特に芸術祭が開催される年に長期間こえび隊の寮に滞在していると)わかるのですが、たくさんの、しかも色々な属性をもつ人たちがボランティア活動に参加しに来ては去っていくという、この「活動に訪れる人の入れ替わりの活発さ」っていうのが半端ない。

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(こえび寮内リビングの様子)

例えば、こえび隊活動に来た人と話す機会が多い(自由に話せる時間が長い)のってボランティアの寮にいる間だと思うんですけど、1日の活動が終わって寮に帰ってくると、みんな大体夜の自由時間にリビングでご飯を食べたり、歓談したり、お酒を飲んだりしていて、でも毎晩そこにいるメンバーが異なるんですよ。

特に一人で活動参加に来ている人が多いからこそだと思うのですが、夜ご飯の時に話をする相手というか、リビングで交流する人が毎日変わるんです。

しかもそれが寮の当たり前の景色で、自然に行われているから、毎日本当にいろいろな人と交流できる。毎日ですよ。こんなことって滅多にないと思います。

極論を言ってしまうと、「自分はただ一つのボランティア活動に参加しに来ているだけなのに、毎日全然違う立場の、自分とは異なる経歴をもつ人と話すことができる。」という経験

もちろんその中には、継続的に(様々な)芸術祭のボランティア活動に参加する人(私もそうだった。)も沢山いて、こえび隊活動への参加を通して再会できるのを喜んだりもするんですが、そういった方々と話したりするのも楽しくて。

自分とは違う経歴をもつ人が殆どだったし、しかも瀬戸芸のボランティアに参加する前って、私にとってはこういった、自分とは異なる立場の&経歴をもつ人とたくさん交流できる機会というのがほとんど無かったから、尚更興味深かったというか。

だからこそ、この「瀬戸芸2016での様々な人との交流」という出来事が、今でも自分の心の中に印象深い思い出として残っているのかな、と思います。(印象深い思い出になっている理由は他にもたくさんあるのですが、詳しくは後述。)

こえび隊活動や芸術祭を通した人的交流って本当に魅力的で、執筆した卒業論文の要点にも少し関連する部分なのですが、それってなかなか普段生活している中では味わえないような(関わることが無いような人との)交流だったりするんですよね。。。

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ほかに瀬戸芸2016で印象的だった出来事としては、考え方、物事の捉え方の多様さを目の当たりにしたというのもあります。

芸術祭ではボランティア活動に参加するだけではなく、いろいろな作品を観てまわったりもしました。

作品鑑賞や、色々な作品のコンセプトについて知ることにより、作品に影響を与えたものやモチーフとなったものに対する様々な考え方・捉え方を知ることができて、またそういった物事の見方というのは私にとっては結構新鮮だったり、私自身がそれまで考えたこともなかったようなものだったりして。

考え方、物事の捉え方の多様さのいろいろな例を知ることができたんですよね。

あとは、作品巡りを通して自然と色々なアーティストの存在を知ることができて、それぞれの作家さんの活動(や活動の方向性)とか考え方とかに興味を持ったりもしました。
ちなみに、この出来事がきっかけで現代美術に興味を持つようにもなりました。(参照:note記事「人文社会系学部で学んでいた私が、現代美術に夢中になった理由。」

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また、瀬戸芸を通して地域(民俗)の多様さを知ることができたというのも、印象的な出来事の一つでした。

瀬戸芸では様々なアーティストの方がいろいろな場所(島が多い)で作品を作って展示されたり、はたまたパフォーマンスを行ったりするんですが、その展示やパフォーマンスが行われる地域(地域の特徴、歴史、生活、伝統、風土、etc.)から影響を受けている作品も多くて。

作品鑑賞を通して、その地域についてより深く知るきっかけを得ることができたり、また地域によって様々な文化や暮らしのあり方、風土があることを知ることができたりもしました。

作品を観ることに加えて、作品巡りで色々な島や島の中のあらゆる地域を訪れることでも、その地域の特徴や暮らし、民俗について自然に知っていったり、学ぶチャンスが沢山あったりするのですが、それがまた私にとっては興味深かったんですよね。

先に述べた、瀬戸芸を通して現代美術に興味を持ち始めたことと同様に、民俗学に興味を持つようになったのもまた瀬戸芸がきっかけでした。(感化されやすいな、自分。)


瀬戸芸2016を通して気づいたこと

前章で述べた瀬戸芸2016での様々な出来事を通して、またそれらの出来事を振り返ったことで、いくつか気付いたことがありました。

まず何と言っても、瀬戸芸のボランティア活動への参加を通して人の多様性や多様な生き方があることに気付けたのは、とても重要なことだったと思います。

私にとってこれはある種の衝撃で、「こんなにも色々な生き方をしている&色々な経歴を経た人が世の中にいる」というのを、実際に会って知ることができたっていうのは本当に貴重な経験だったと思います。普段生活している中ではなかなか経験できないことでしょうし。

例えば、(今でこそTwitterなどで色々な生き方をしている人を簡単に知ることができて、あまり学歴とかを過度に気にしなくなってはいるのですが、)当時の瀬戸芸における人との交流で一番印象に残っている出会いというか、驚いたことは、高卒の方ですごく素敵な人柄を持っていたり、魅力的な生き方をされている方数名に出会ったことでした。

私自身、別にすごく学歴に変にこだわっている人間では元々なかったのですが、なんとなくそれまでは、「世間には学部卒の人が多くて、だいたい皆んな「大学の学部を出て、会社に就職して...」という道を歩んでいるんでしょ。」みたいな(勝手な)認識でいました。

でも、瀬戸芸を通して(高卒かどうかも関係なく)魅力的な生き方をされている、素敵な人生を歩まれている人たちと出会い、たくさん関わりを持ったりして、そこで、「ああ、学歴云々ももちろん大事だけど、それよりも、今まで何をやってきたか、どんな考えをもってどんな行動をしてきたかで、その人自身とその人の人柄というのは形作られ、磨かれていくのだなぁ。」と深く深く思うようになりました。

これに関連して、「ガチガチに固められた決まった価値観・偏った考え方でしか物事を見れない自分の思考」というものにも気づき、恥ずかしくなりました。

それ以来、「自分の中に備え付けられている偏った物の見方や、芽生えたプライドやらを、バッキボキに折ってくれるような出会いが沢山ある人生を歩みたいなぁ。(注:誰かによって直接的に折られるのではなく、何かの事象によって自然に爆破される感じが理想。)」と思うように。

他には、それまで自分は海外(から)の異文化/諸外国(から)の多様な文化にばかり目を向けており、「日本の中にある(特に民俗の)多様性」については全然意識したことがなかったということも、瀬戸芸を通して気付かされました。

個人ブログの筆者プロフィールページや色んな自己紹介文で書いていたりするように、現在は国内・国外関係なく、色々な地域における習俗(文化、風習、暮らし、etc.)への関心を常に抱くようになっています。

そして、もう一つ重要な、一番重くて痛い気づきとしては、自分が過去「人をカテゴリー分けしてからじゃないと、興味を持って交流していなかった。」ということが挙げられます。瀬戸芸2016以前、留学生との交流を行う時に抱くようになっていた”モヤモヤ”の正体ですね。

この点は瀬戸芸2016が終わった半年後くらいに気付きました。
コミュニケーションを取りながら人柄や特徴を知っていって、徐々にその人のこと知っていこうとするのではなく、まず属性のようなカテゴリーでその人のことをある意味”決めつけ”て、その上でまずその人と会話するかどうかとか、知ろうとするかどうかとかの自分の行動を決めていたのです。(最低...)

また、極端な例を言えば、「外国人の友達が欲しい。(=外国人なら問答無用で友達になりたい。)」と思っていたということ。

既に何度も紹介した、瀬戸芸2016で経験した色々な人との交流を振り返って、私は今まで「チープな(上っ面だけの)国際交流」をしていたんだと気付き、それはそれはもう、過去の自分が恥ずかしくて仕方なくなりました。今でもその自分の行い・態度を思い出すと恥ずかしくなるし、すごく後悔しています。

それまでに私と接してくださった/交流を行ってくださった色々な方に対して、「そういう意識で接してしまったこと、本当に申し訳なかった。」と思い、反省しています。本当に恥ずかしい。


恥じていること、反省していること

少し繰り返しにはなりますが、改めて過去の自分の行動に関して恥じている点を述べます。


① 人を属性カテゴリーに当てはめてから(ある程度決めつけてから)接していたこと

…特に「外国人か否か」で相手をまず判断し、興味をもって交流するかどうか決めていたのは最低な行動だったと思います。

また、属性カテゴリーに当てはめて考えてから人と接していたというのは、知らず知らずのうちに相手を決めつけてしまっている&偏見や先入観で囚われた上で相手に接している可能性があったように思います。

ただ、注意しなければいけないのは、そういう”カテゴリー”を「気にしすぎること、先入観で決めつけること」と「配慮・リスペクトをすること」は分けて考えなければいけないということ。

特に後者は、人と関わる時には常に心がけておくべきことだと思いますし、そこでは相手とコミュニケーションを取りつつ、自分で判断しきれない時には相手に直接尋ねた上で配慮やリスペクトすべきカテゴリーを判断する必要があったりするのですが。

例えば、(自分で話しておきながら、分かりやすい例がパッと思いつかないのですが、)(そしてこれから紹介する例も、あまり上手く説明できてはいないなぁ、と思うのですが、)(本当にこれはあくまで私が考える例で、人によって見えかた、捉え方は異なると思います。例え下手ですみません。)
海外から来た日本語を勉強中の人がいるとして、その人の母語が英語だと仮定します。そして、あなたは日本語と英語両方とも話せるとして、その人にはどちらの言語で話そうと思いますか。あくまで私の考えた例にはなりますが、それぞれ

●「先入観で決めつけてしまった」行動 
→日本語だけをずーっと使う (「日本語勉強中なんだったら日本語使うのが良い」という思い込み)    
  or 
→英語だけをずーっと使う (「母語が英語なら、英語で話すのが楽でしょ?」という思い込み)
●「配慮をした」行動 
→相手の習得状況や言語のレベルを見て言語を切り替えたり、その都度どちらの言語の単語を使うか考えたりする

になるのかなと。そもそも仮定なので、実際一番良いのは(まず最初にすべきなのは)その日本語勉強中の方にどうして欲しいか聞く、その後コミュニケーションを取りながら様子を見る、なのかなとは思いますが。(上手く説明するだけの文章力がなくてもどかしい。すみません。)

結局はやはり、話す・接する相手とコミュニケーションを取りながら相手のことを理解していき、配慮すべきことを知ったり、「この人に関しては、このカテゴリーがあんまり当てはまらないんだなぁ。」と判断したりするのが必要だったりするのでしょう。

上記に挙げた例は、相手の「言語能力」(というカテゴリー)に関してでしたが、もちろんこの「」のカテゴリーにはあらゆるものが入りうるかと思います。(特に年齢、出身、性別、国籍等々の属性が入ることが多いでしょうか。)

さて話を戻しますと、以前自分が行なっていた「人をカテゴリーに当てはめ、ある程度その人のことを属性で決めつけてから接していたこと」を、恥ずべき行動であったと今は考えています。

ただ一方で、先に触れた相手への「配慮・リスペクト」のためには、相手が持つ属性カテゴリーへの意識が必要になってくるとは思っています。


②「個人」という意識/一人一人の個性や特徴への意識を持っていなかったこと

…①とも少し似ているのですが、私と接してくれる人をまず「一個人」として見るのではなく、最初に色々な属性でその人を判断してから接していたのです。

だから極端な表現で言うと、「同じカテゴリーに属する人はみんな同じ」といった見方に近いことを自然に、無意識のうちにしてしまっていたと思います。

実際、人それぞれの経歴や人柄、特徴というのは人によって全然異なるし、また現代では様々なルーツを持つ人(日本人、韓国人といった、「〜人」という割り切った表現では、その人のことを言い表し切ることができない場合)も沢山存在するというのに。本当に失礼な態度だったと思います。


③せっかく色々な人と交流できても、深くその人を理解していこうとする態度、心構えが出来ていなかったこと

…①、②があったために、できていなかったことだと思っています。もちろん瀬戸芸2016の時までにも、人によっては仲を深めることができた場合もあったのですが、この点に気づく前と後では、人との交流の仕方とか交流を通してできることに雲泥の差があったのかな、と思います。(パッと具体的な例が浮かんでこないのですが。)

(少し話は逸れますが、)あと、そもそも自分の特徴と性格上、「沢山の人と友達になる」というよりは「本当に気があう、馬があう人と深く仲良くなっていく」という人付き合いのしかたの方が向いているということも、この点の気づき&反省を通して初めて知りました。


今の自分は?

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人と交流することに関する気づきと反省を経て、現在の自分はどのようになっているのか。

2017年8月〜2018年7月のメキシコ留学を経た経験も上積みされていると思いますが、接する人の属性は配慮&リスペクトこそするものの、あまり過度に意識しないようにしています。

実際に話したりして、その人のことを少しずつ知っていって、人柄や特徴などについて把握していく、みたいな感じ。

今は、「接する人それぞれをまず同じ「人」/「個人」として捉えて、そこから話を聞いたり情報を得たりして、その人について知っていく・理解していく。

特に気が合うと思った人に関しては、どんどんその人のことを知ろうとして、仲を深めようとする。」という風になりました。瀬戸芸2016を経て、学部3年の夏と秋を経て、やっと。

最近の実際の例だと、それこそメキシコ留学中の自分の行動とかが思いつきます。

例えば、あんまり「せっかく留学に来ているんだから、日本人とは話さないようにしよう」みたいには考えなかったです。私は留学中に語学学校に通っていたのですが、日本から来た人もそうだし、メキシコ以外の地域からメキシコにスペイン語を学びに来ていた人は魅力的な人や興味深い背景を持つ人が多くて、もう国籍、出身、身分、職業、性別、etc.とか関係なく、色んな人と学校では話していましたね。

もちろん、現地のメキシコ人とも沢山関わりを持ちました。

まあ、普通に色々な人と接して、特に馬が合う人とは日本人だろうが、メキシコ人だろうが、そのほかの地域から来た人だろうが、よく話したりご飯に行ったりしていたし、話してみてあんまり興味を抱かなかった人に関してはそれなりに人付き合いをして、という感じ。

日本にいる今もまったく変わらない。



さてさて、私のよく書きがちな、だらだら長文記事をここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

今回は、2016年の瀬戸内国際芸術祭で経験したことやそれを経て気づいたこと、自分の過去の行いに関する恥というか、ポジティブにいうと学び、苦い経験、ネガティブに言うと恥じるべき行動について書きました。

案の定、瀬戸芸2016での経験を経て気づいたことや学んだこと全てを盛り込んだら、だらだらと長くなってしまいました。

ちなみに、(冒頭でも触れましたが、)今年1月末に提出した学部の卒業論文は、「(瀬戸芸を含む)複数の芸術祭、アートプロジェクトにおけるボランティア活動参加者の参加動機、参加理由」がテーマになっています。(詳しくは下記リンク(個人ブログの記事)をご覧ください。)

瀬戸芸2016以前は全く別のテーマ(それまで私の中で学術的な関心の一番上にあった、「言語と経済」*、「方言と経済」に関するもの)で卒論を書こうと思ってたので、いかに瀬戸芸2016での経験が、私にとって大きな影響を与えたことか。。。


*余談ですが、『ことばと社会』(三元社、年一回刊行)という、言語と社会の関係をテーマにした(←ざっくりまとめ過ぎ)学術雑誌があるのですが、2017年に刊行されたもののテーマは「ことばの商品化」です。

メキシコ留学から帰ってきた後に大学の図書館で見つけて、「はっ!2年前の夏まで、私が卒論で扱おうと思ってたテーマに近いやつ!」と個人的にビックリしました。気になる方は是非チェックを↓。


**さらに余談ですが、瀬戸芸2016の話と関係する不思議な話があって、メキシコ留学中に同国の南東に位置するチアパス州のサン・クリストバル・デ・ラス・カサスを旅していた際、なんと偶然にも、瀬戸芸2016で某作品内のレストランを担当されていたスタッフの方とバッタリ再会しました 。

そのスタッフだった方が道端で私に声をかけてくれて初めて気がついたのですが、その時私がびっくりして大きな声をあげたのは言うまでもないでしょう。なんて小さな世界。

(ヘッダー写真は、瀬戸内国際芸術祭の開催地域の一つ、女木島にある展望台からの眺め。)


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おわり。


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