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こぼれた人生に火が通るとき。

私は人生で大きな間違いを犯したことがある—

こだわりが強く仕事一筋だった私は、
よく上司のことを批判していた。

『彼は何にもわかってない。』

優柔不断な上司。
判断できない上司。
自己保身の上司。
無責任な上司。

そんな名ばかり上司に心底腹が立っていた。

当時の私は自分の評価が欲しかったわけでない。
結果を出して、上司が昇格してくれればいいのにとさえ思っていた。

私は自分の能力をトコトン発揮したい。
そして結果は上司の成果としてあげればいい。

お互いにとってメリットのある方法だと考えていた。

だけど、多くの上司から敵と判断された。
泣きたくなるくらいつらかった。

なんでわかってくれないんだろう。

何度も何度も自問自答していた。

***

そしてある日、こんな問いをしてしまう。

私をうまく使ってくれる上司はどこにいるか?

これが大きな間違いだった。
非常にまずかったと今でも思う。

だけど当時の私は無謀にもこの問いに答えを出そうとしてしまった。

結論からいうと、そんな人はない。

そう。
そんな人はいないのだ。

こんな当たり前のことがわかるまで
数年かかった。

そして数年後たどり着いた答えは、

自分を生かせるのは自分だけ である。


これが腹に落ちた時、
今までのズレがすべて整った気がした。

上司に腹が立つのも当たり前で、
衝突するのも当たり前。

自分の生かして方を他人に委ねていたから。
それなのに批判するのはお門違いだ。

だけど、
こんな風に生きてるのは、
私だけじゃないはずだと思った。

上司がこう言ってたから、
偉い人がこう言ってたから、
有名な人がこう言ってたから、

そんな風に自分の行動を
誰かに委ねてしまっている。

悲劇の原因はこれだったのだ。

この人は私のことをわかってくれてる。

そんな思い込みが見ている世界を歪ませる。

上司とはこうあるべき。
偉い人はこうあるべき。

自分勝手な価値観までも、
この人はわかってくれてる。
と思い込んでしまう。

だからそれが違うと、批判的になる。

すべき論を振りかざして、
相手の間違いを責めてしまう。

だけど、
本当に言いたいことは、

私のことをわかってくれてない!

という悲しみなのだ。

***

誰かを批判してはいけない、とガチガチな考え方は好きではありません。

愚痴や文句も、
人らしい行動だと思えます。

なので、
愚痴を言ったとき、
誰かを批判したくなるとき、
自分の声を聞いてみてください。

きっとどこかに、
『私をわかってほしい』が
隠れているではないでしょうか。

それはある意味、
私は私をわかろうとしていない
の裏返しだと思うのです。

これに気づいたとき、
私はこう思いました。

なんて私はバカだったのだろうか。
私は私のことを何にも見ようとしてなかった。

自分自身がわかってないのに、他人にわかってほしいなんて無茶なお願いじゃないか。

私の代わりにどうか私を見てください、
なんておこがましいにもほどがある。

あぁ皆さんごめんなさい。
私よごめんなさい。
今までないがしろにしてごめんなさい。

あなたはどのように感じるでしょうか?


最後まで読んでいただきありがとうございます。

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