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自分の役割ってなに?

クリスマスクリスマスしない2回目のクリスマス。

前妻と別れてからクリスマス感のないクリスマスが気にいっている。

一年に一度のイベントで家族の日。

その部分は好きだ。

家族団欒の時間。

ゆっくり時が流れる。


好きではないのは過剰なプレゼント交換と飲み過ぎの部分。

次から次へとプレゼントが渡されていく。

要らないものも多い。

恵まれない人たちがたくさんいる中でこれでいいのかといつも思っていた。


時代や状況に応じて行動を変えるのは難しい。



話は変わって、昨日クリスマスパーティーに参加した。

20人くらいの若者たちが集まった。

学生、ワーホリなど。


最近の日本の若者たちで海外に出てくる子たちはすごいなと改めて思った。


僕もワーホリの経験がある。

もう30年近く前のこと。

今とは全く状況が違う。

僕が思うに当時の方が今よりは簡単だった。


僕が来た頃はメルボルンはまだ物価も安かったし、日本の方が経済的にもまだ強い感じだった。

メルボルンで受け取る給料は安かったが(時給6ドル)、家賃も生活費も安かったのでそれほど苦労しなかった。

日本から持ってきたお金をそれほど使うこともなかった。


それが今では若者たちから話を聞いたりSNSの投稿を見るとまず家賃が高い。

今ではたくさんのマンションがCBDに建っていてそこに住むのが一般化しているが、そのころはCBDに住むっていう感じではなかった。

当時日本から付き合っていた彼女と一緒に1LDKのフラットに住んでいた。

シティから5駅くらいのところで家賃は二人で週120ドル。

だから一人60ドル。

今はCBDで週300-400らしい。


円も対豪ドルで安い。

日本でお金を貯めてきても多分あっという間に使ってしまうだろう。


僕らの頃はまだまだワークというよりもホリデーを楽しむことができた。

日本での生活に一旦区切りをつけて、気分転換にメルボルンに来る人もたくさんいた。

2004年から2008年に働いていた会社で日本のワーホリの子たちを雇っていたが、その頃もまだ「ちょっと日本の生活に疲れたから」とか「海外で一度暮らしてみたかった」とかまだゆるい感じだった。


今の子たちはオーストラリアでの物価の上昇と日本の経済停滞でここでの生活は厳しいはず。

それでも来るということは昔よりはハードルが断然あがったと思う。

中途半端な覚悟では生きていけない。

固定費は無情にも出ていく。

英語なしでの仕事も少ない。


昨日会った子たちは自分の息子と同じくらいの年齢だ。

時の流れを実感した。


ここに来て20年。

上の人たちとこの若者たちとの中間にいる。


上の人たちの経験や知識、それぞれの通った道は聞いていて面白い。

それぞれにストーリーがある。

普通に日本にいるよりは変化があって興味深いことが多い。

そういった物語を先輩たちは墓場に持っていってしまうのかと思うと少しもったいない気が最近している。


そしてコミュニティーの変遷。

自分の知らないところでいろいろとコミュニティーがある。

コミュニティーが小さい時は全体が把握しやすいが、規模が大きくなるにつれてそれも難しくなる。

良い助け合いの連鎖が起こればいいなと思う。

あやかるところはあやかったり、組んだ方が上手くいく時は組んだりするのもいい。


若い子たちは時間とエネルギーがあってみてて頼もしい。

ぜひいろいろ経験をしてそれぞれの人生を素晴らしいものにして欲しい。


WIN WINの関係構築ができればいいなと感じた昨日でした。

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