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モリマガジンvol.5 死へのプロローグ 



<目次>
1.別の部屋に移っただけ
2.考えてみるとポジティブ
3.本気でマイビジョン
4.祈るように
5.ダサワミイロウを読む前に
6.死の壁をのり越える  

表紙絵: ダサワミイロウ




1.別の部屋に移っただけ

文: 森のマスター

ロックミュージシャンのチバユウスケが亡くなった、20代のころ彼のバンドのライブをよく見に行った、初めて見た写真にしびれた、虜になった、かっこいい、を超えている、ガレージパンクロカビリーにスーツとサングラス、ファッション、写真、映像、どれもかっこ良かった、あまりしゃべらないのも良かった、うちの近所でも2人の大物がこの世を去った、2人とも世の中に多大なる影響を与えた人だった、交流があっただけにどこか寂しい気がする、死について、自分の感覚がある、死って別れなの?、いやいやなんか違う、亡くなった人はまだどこかにいるような気がするし、自分の中では亡くなっていない、パッとすぐに自分の中に出でくるし、不思議な感覚、少し前に古賀さんの本を買った、そこにはこう書いてあった、死とは、亡くなった人が別の部屋に移っただけ、なるほどそういうことか、というのが最近分かった、分かるって頭で理解しても腑に落ちない、感覚で体感しないと納得しない、そんな感じだ、朝瞑想しているとそんな感じになった、亡くなった人が別の部屋に移っただけ、今年は他にも多くのミュージシャンが亡くなった、死について、考えたり、感じてみたり、社会では今を生きることに価値があるらしい、そうではないような気がする、自分の死について考えることに価値があるような気がする、これを機に自分もそうして生きたい、そうすれば今がもっともっと輝くだろう


2.考えてみるとポジティブ

文: 森のマスター

死に対する感情はネガティブだ、怖い、悲しい、寂しい、人は死にたくないのだ、なんで死にたくないのか?、いつか死ぬと分かっているのに、なぜだろうか?、理由はともかく、死について考えたい、どんな感じで死ぬか、どこで死ぬか、いつ死ぬか、ぼくのイメージはとても明るい、たぶん、90歳ぐらいで死ぬ、今住んでいる森で、森のくらしは、畑があって野菜、ハーブ、野草が豊富に取れる、うれしい、自給率が高い、味噌や米は共同で作っている、たのしい、電気ガスはなるべく使わず、夜は蝋燭やランタンの灯り、水は湧き水、おもしろいくらし、手作業で作るちょっとした木工品、森のクロモジでお茶や何か、多少の収入がある、こんな感じで楽しい最期を迎えたい、なんか自分の人生のビジョンのような、ポジティブな死のイメージ、さっそく今をスキャンして、さあこれから何をすべきか、何が必要か、出てくる出てくる、いろいろと、まだまだゴールは遠いなあ、1個ずつ1つずつ


3.本気でマイビジョン

文: 森のマスター

少し前から死についていろいろ考えていて、自分が死ぬ時、自分はどう暮らしていたいか、考えてみた、自給自足的な、野菜中心、お酒少々、自然と共存、なるべくなんでも手作り、なるべくお金を使わない、省エネ、共有、協力、自然治癒力とお手当ての力は奇跡だけど、みんな備わっている、奇跡だけど奇跡でもない、たまには気づいてあげること、大事、死生観はビジョン、ここを目指してぼくは今日も走る、1個ずつハードルを越えていく、死生観、死が先で生は後、今までは、生が先で死はなかった、

映画生きる、黒澤明監督作品、主人公は志村喬、どっしりとした存在感、ずっしりと響く言葉、死を宣告され、残りの人生を、組織の中で奮闘する、死から始まるストーリー、人は本気になると、こうも変わるんだ、ぼくは本気で生きているだろうか、当時そう思った、本気で生きるって分からなかった、でも映画生きるの志村喬さんは素敵だった、憧れた、あの感じは、今もまだぼくの中に残っている、死生観、死が先で生は後、死はビジョン、生は手段、映画生きる、志村喬、本気で生きる、ビジョンに本気


4.祈るように

文: 森のマスター

明日死ぬとしたら今日何をする、スティーブ・ジョブスは毎日そんなことを考えていたらしい、今ほとんどの人が彼が生み出したスマホを使っている、ということは、明日死ぬとしたら今日何をするは人類の深いとこにある共通無意識だ、深いとこに行くと、みんながそこにたどりつく、実際ぼくが明日死ぬとしたら、どうしようか、どうしよう、焦る、たぶん死なないけど、本気で考えたい、今してることの完遂は無理だ、時間がない、お金も足らない、せめて、今してることの方向は良いかどうかだけでも確かめたい、今の仕事は自分にとって心地よいだろうか?、人の役に立っているだろうか?、この二つがクリアになれば、計画半ばで死んでも、ひとまず人生OKとしようか、OKだ、ふぅー、あとは仕事に対して日々のパフォーマンスはどうか?、明日死んでも満足だろうか?、微妙なとこだなあ、ではどうしたら良い?、どうしたら満足する?仕事は楽しい、面白いではない、やらなきゃでもない、ここのところを相方は自然にやっている、ぼくはどうすれば…、降りてきた言葉は、捧げると祈り、日々目指すとこはここなんだろう、仕事ではなく、おつとめ、たとえばお坊さんが毎日お経を唱えるように、おつとめする、無条件で、まだまだ程遠い世界、スティーブ・ジョブスもそうだっただろうか、新たな創造に生命を捧げおつとめする、それは日々の祈りであった、その感覚をつかみたい  


5.ダサワミイロウを読む前に

文: 森のマスター

モリマガジンは今回で5回目となり、ダサワくんには2回目から登場してもらっている、文書を依頼すると、いつも電光石火で、10分ぐらいで文書がやってくる、たぶん書くという感覚ではないと思う、受信してるのかな、そして文章はかなり難解で難解も読まないと分からない、ぼくにはぼくの世界観があり、ダサワくんにはダサワくんの世界がある、ぼくはブログを書く時はいつも秘密の地下室で書いている、地下10mぐらいかな、長い机があってランタンがあって、誰もいない静かな場所、もちろん妄想空間だ、ダイロウくんは、たぶん地下1000mぐらいの深い洞窟みたいなとこで、蝋燭の薄明かりに照らされながら書いている、そこから文章が電光石火で一気に上がってくる、そのぐらいの違いはある、だけどもだけども、世界観は違えど、今回も言いたいことは同じだ、死って、表面で感じると、怖い、悲しい、寂しいってなるけど、深いとこで感じるとあったかいんだよね、人は求めている、あったかさを、これからあったかい逆襲がはじまるかもしれない



6.死の壁をのり超える

文: ダサワミイロウ

ひとのために生きるとは、どういうことかと考えていたら、それは死のほうに向かって立ちそびえている大きな壁を恐怖を横目に追い越えて行くのを意味すると感じた。
死に対して承諾するようなのとは違うが、恐怖がいつもセットだから、その怖れのほうを剥いでしまう。そのむこうには超楽観主義が待っているはずだ。とにかく、恐れることとすれ違ってもう出合わなくなれば何もかも今しかなくなるのだろう、その都度毎回すれ違う毎にキョーフの彼は小さくなって行くとも言えるのだった。
無意識の領域は、ある種その死の感覚に近いと想像するけれど、怖れに立ちむかうようなとき、あえてその無意識まで降りてゆくと、話しがはやい気がするのだ。最大限の恐怖、ピンチに遭遇したとき、そこに持っていかれなければ、殻を破って死のすがたは新生する雛鳥となって現前する。つまり、いつでも生老病死は存在するのだった。集中力の高まり、これ以上に生を感じる時があるだろうか、いや、ない。いつでも、お茶をすすっている際に、また集中している生の存在性は、だから、雪の降っている冠をかぶったサザンカの赤など一番美しく、誰もが冬眠の遺伝子を持っているし、そこにはいつも土に触れる大地の温かさが隠れているのだ。



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